共闘
「はは……おや……?」
「ああ、大陸から逃げてきたのだと」
「そんなはずねえよ……俺は山奥のひなびた村で農夫の爺さんに育てられて……」
言いながらも遠い昔からあった疑問は得た真実にカチリと嵌る。育ての親は気の良い人だったが母と呼べる人は居なかった。そもそも父は赤子だった竜胆を村の地蔵の前で見つけたと言っていたではないか。
「フランシスカが貴様を産んだ。遠い西の果てから、ローデルハイドという男から逃げてきたのだと言っていた」
「ローデルハイド……」
その名前には聞き覚えがあった。
「貴様の実の父親にあたるな」
「なん……だと」
「詳しい事情は知らない。何で逃げたのかどうしてそこに居たのかもだ。ただ一つこれだけは言える、貴様はフランシスカの子。顔なぞそっくりだ」
アヤメは竜胆を通して遠い過去を見るように目を眇めた。
雲がきれた空からは月が冴えざえと光を投げかけ、生ぬるい風の渦巻く地表を冷やしていくようだった。月光を浴びて立つ彼女の瞳から目を離せなくなる。
「なあ、悪食姫ってのは……」
竜胆がポソリと疑問を口にしようとした時、不意に風が吹き雲が光る月を覆った。
それと同時に悲鳴に似た酷く不快な音が耳をつんざく。
「―――っ」
光源の無い中でもアヤメが飛び退った気配が伝わってくる。
「そういえばここのところ掃除をしていなかったな」
私としたことが、そう呟く彼女の声に被さるように湿ったものを引きずるような粘着質な音が辺りに響く。妖気とでもいうのだろうか、忍び寄るようなねばっこい気配が肌を伝った。
「貴様はそこを動くな。一緒くたに首を狩ってしまうやもしれんからな」
挑発を含んだ好戦的な忍び笑いが闇を渡る。まったくもって彼女らしい嫌味に竜胆は苦笑を浮かべた。
「サロメは好きか?」
見えないだろうがバチコンとウインクを決めてみる。無言でもとんでもなく不愉快そうな気配が前方からひしひしと伝わってきた。ふざけすぎたか。
「恋しくもない男の首などいらぬ」
うんざりした声がそう言うので「別れのキスもくれないのか」と返してやると不愉快さを醸す気配は鋭利な殺気に化けた。
ふざけて嫌味の応酬をする間にも嫌な音は周りを包囲していく。標的が全方位に満ちたのを感じてナイフを構えると、相手も敵意が分かったのか耳障りな音を上げながら此方に突撃してきた。
「――――ふ」
息を吐くリズムに合わせてナイフを振るう。見えざる敵の気配に向かって切りつけると確かな手ごたえと肉を裂く嫌な音が聞こえた。そのまま反動を生かしてクルクルとナイフを弄び相手を崩しながら歩く。まるで血の海を泳いでいるような気分だ。
ざくり ざくり ざしゅ ざくり
暗い世界の中で気配と音だけが竜胆の持つ情報だ。やがて近くから響いていたもう一つの命を引き裂く音が止み、竜胆も腕を下ろした。どうやら首は狩られずにすんだらしい。
ゆうらりと雲の切れ目から月明かりが零れる。空の音色を紡いだような冷えた光を浴び、修羅のように血溜まりの中に立つ少女は、酷く美しかった。赤い飛沫の飛んだ秀麗な顔が嫣然と笑う。
気がつけば辺りは動かなくなった何かの塊とまき散らされた体液、そして竜胆達だけが佇んでいた。
「ほう、生きていたか」
「いや、さすがにあんなキングオブ雑魚みたいな輩に手傷を負うほど落ちてねえよ」
これでも現役なんだぜ。そう呟くと煌々と光る金の瞳が面白そうに歪んだ。
「そうだな、雑魚だ。こんな知能も無い雑魚が我が身を……いや、無力な鬼の血肉を啜ろうと集まってくるのだ」
竜胆は先ほどまで自分が切り刻んでいたものを改めて見た。鳥のようなモノ、犬のようなモノ、人に似たモノ。そして何者にもなれなかったような、生命になる前のような形のモノ。そんなのがたくさん転がっていたが、やがてそのどれもが風に崩れるようにサラサラと原型を留めなくなった。
「今のがお前が街をうろつく理由?」
「ああ、こんな奴らが無力なあの子を襲わないように、私が掃除をしておくのだ」
彼女が掃除というそれは狩りだ。自分の半身を守るための正等防衛の戦い。
「なんつーかお前も……難儀だなあ」
「ここ一番の頭痛の種が言うな」
睨まれた。満月のような瞳が半眼になる。ジットリとした視線を竜胆に突き刺していた彼女の目は、やがてふと閉じられ眉根がきゅうと寄った。
「……どうやらここまでのようだ。限界だ」
「は?」
唐突にそう言い放った彼女の体は、やがて音も無くゆっくりとかしいでいく。慌てて腕を差し伸べてその体を引き寄せると彼女は地面に倒れ伏す前に竜胆に向かって崩れ落ちた。
抱きしめた体が冷たい。目を閉じたまま眉間にシワを寄せて、苦しそうにアヤメは唸った。
「あまり長く私が出ていれば逢の精神が圧迫される……はしゃぎ過ぎたな、逢の軋みを受けた体が私を沈めようとしている。おい小童、実に不愉快だが貴様が逢を連れ帰れ」
その言葉を最後にアヤメは竜胆の腕の中で意識を失った。力の抜けた四肢がぐんにゃりと放り出される。
今この状態の彼女は、逢なのかアヤメなのか。竜胆は静かに反芻した。
―――そうして幸せに溢れるあの子を屠るのか―――
あどけない寝顔からはこの世の苦痛の一つも感じられない。無邪気にくうくうと寝息を立てる少女。
不意になにか訳の分からない衝動に駆られて、竜胆は少女の首に手をかけた。今なら逢はこの世界のどんな苦しみからも悲しみからも遠ざけられている。今なら――
とくとく、掌から彼女の脈が伝わる。血液の流れる、生きている音。月の光が血の気の引いた彼女の顔を照らして、まるで死に顔のように、青白い蝋細工のように見える。
暫くその細い首に触れたまま逡巡した竜胆は、やがて静かにその手を離した。首骨を折る握力の代わりに、首筋に口付けを一つ。彼女の温もりが今ここに確かに生きているただ一つの証明のようで、存在の確認のように強く抱きしめた体は柔らかく、そしてとても冷たかった。
「ちくしょ……」
もうどうすればいいのか、分からない。
惑う少年を、眠る少女を、月だけが静かに見つめていた。
* **********
「それで竜胆、なんで目が覚めたら私の部屋は扉が吹っ飛んでる状態になってたのか、説明してくれる……!?」
「いやそれは逢さんが自分でですね……」
「言い訳しない!!」
「……はい」
理不尽だ。