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ひびわれ


 裏門は珍しいことに開いていた。


 やったね脱出したらアイスでも買って帰ろう!そんなことを考えていたからだろうか、門の影から伸びてきた腕に強烈なエルボーを喰らうような勢いで進行を阻まれ、抱き寄せられるまで、逢はその存在に気付くことが出来なかった。


 「よお逢、彼氏様のお迎えほっぽって何処行く気だよ」


 「でたー!さいやくだ!!」


 「お前は言うに事欠いて最悪だああ?ありがとうの間違いだろうが」


 いえ違います。災厄です。


 なんて言えるわけがない。


 逢は肋骨を絞めつけるように抱きしめてくる腕をベリリと剥がし、竜胆に向き直った。ああやっぱりこの目は一度見つけた獲物を取り逃がしはしないのだななどと、印象どおりの現状に溜め息を吐きつつ。


 「それで、何の御用でしょう竜胆さん」


 「いきなり他人行儀だな!」


 いったい何がそんなに面白いのだろう、竜胆は妙に愉快そうに笑っていた。


 「いやなに、帰っても家にお前が居ないものだから、逃げたかと思ってな。散歩がてら探しに出るかと思ったら知人からお前を見たって情報が入ってきた」


 「あの橙色の子か!」


 なにしてくれてんの台風少女!という言葉をかろうじて飲み込む。別に知られて困ることは無いが、ずいぶんとトラブルの種を落としていってくれたものだ。


 「もう……今日は夏休み中の登校日だから学校に居るの。学生が高校に行くのはあたりまえでしょう?」


 「ああ……そういやお前まだ高校生か……」


 まさか在宅ニートとでも思われていたのだろうか。そもそも彼氏様こそずいぶんと若く見えるが学業はいつから放棄しているのだろうか。怖くて聞けなかった。


 「それで?久しぶりの学校はどうだった。楽しかったか?」


 スルリと腰に腕を回される。両腕の小さな包囲網の中で逢の顔を覗きこんでくる竜胆は、酷く優しい顔で笑っていた。その柔らかい表情は奇妙に乾いた逢の心に染みこむようにして侵入し、浸透を許した細かな隙間に何故だかヒリヒリと傷みを与える。


 「上手くいっていないんだろ?他の人間と」


 「な……んで、あんたにそんなこと分かるの」


 「分かるさ、お前のことくらい。傷ついた目をしてる」


 俺はお前のその傷を入れた水晶が光を反射してるみたいな目、好きだぜ。思わず割ってみたくなるくらい。と耳元で低く囁かれ、背筋をゾクリとしたものが走り抜けるのを感じた。思わず腕を力任せに解けば竜胆はふざけた顔で「冗談だって、やらねえよそんなこと」とケタケタ笑った。


 「この……変態!猟奇殺人犯ですって警察に突き出してやるっ!!」


 負け惜しみのように投げつけた罵倒は、紛れも無く心からの叫びだった。




******




 「……言っておくけど、傷ついてなんかいないから」


 くだらない騒ぎを起こした帰り道、腹いせに奢らせたアイスクリームを口に運びながら逢は思い出したようにつぶやいた。


 「クラスメイトとか周りの人間に嫌われるとか、避けられるとか、いつものことだから。余計な気使ったりするのやめてよね」


 曰く自分は「少し違う」のだそうだ。クラスの女子が話しているのを偶然聞いてしまったことがある。異質な存在、気味の悪い違和感。おそらく集団の中で逢はそういった存在なのだろう。何故そうなのかは分からないが、とにかく違うのだろう。人、特に少女というものは驚くほど自分達と違うものに敏感だ。彼女達からすれば逢の異質な匂いなど間違い探しの絵のように浮き彫りになっているのだろう。


 今までも、そして恐らく、これからも。


 「これが普通だから、今更辛いとか無いわ」


 「……人は痛みに慣れる生き物じゃない」


 不意に竜胆が歩みを止めた。奇しくも川原沿いの道、竜胆と出会い、馬鹿みたいに二人して荷物も持たず延々と歩き続けた、あの川だ。


 「もう麻痺したか……?凍えたか?お前の心は。違うだろう、お前は人として人の中で今を生きている。拒絶や悪意に晒され続けて、痛まないわけないだろう」


 不意打ちのようなその言葉に、逢は脳天を殴られたような衝撃を受けた。何故か裏切られたと感じたのだ。竜胆は、引っぺがさないでいてくれると馬鹿みたいに信じていたのだ。綺麗に被せた、片平逢を形作る歪んだ防御線をそっとしておいてくれると、そう思い込んだ。


 痛んで当然なのだと当たり前のように突きつけてくるその言葉こそが痛くて、逢は顔を逸らした。やめてやめて、はがさないで。暴かないで。頭の中で警鐘がうるさいくらいに鳴る。


 だって、逢がどんなに傷ついても嘆いても変わらない。生まれてから今までそうだったように、集団の中で逢は孤独だし、唯一の肉親からは存在を忌まれ、恋人は逢にとっての死神だ。どんなに願っても暖かいものを内包した世界に逢の手が届くことは無いのだろう。


 だからもう疲れてしまったのだ。薄い膜の向こう側で水中のように揺れる遠い世界に。手に入らないのであればあんな葡萄すっぱいに決まってると言うのが一番なのだ。そんなもの欲しくないと、心の一番暗い場所にそっと埋めた気持ち。


 その気持ちが竜胆の鋭い眼差しに息を吹き返す音を聞いた。ああやっぱりダメだ、上手くいかない。自分が、繕えなくなる。この目は絶対に偽りを許そうとしないのだ。


 逢の目から割れた心の破片が散るように、たった一つぶだけ涙が滑り落ちた。今までが悲しかったわけでも辛かったわけでもない。ただ不意をついたように零れていった。


 竜胆の紫を沈めた黒檀の瞳を見返しながら、逢はどこか遠くで自分と世界を隔てていた膜が破れる鈍い音を聞いた。


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