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呪われた血

 「血吸いの鬼が。あの子を傷つけるなら容赦はせぬよ」


 なあ、でも、鬼姫。


 本当にあの子を泣かせているのは、誰だろうな?


*******



 ヒュルヒュルと鳴くビル風は止まず、少女の肩ごしに見える都会の夜景は毒々しいネオンの光に満ちていて、目がくらみそうになる。


 ふいに、風音にまぎれるようにして殺女が口を開いた。


 「よく、わかったな」


 冷たく響く、肯定の言葉。


 否定してもらえるのを心の何処かで期待していたのか、気持ちがズゥンと重くなるのが分かった。


 「いつ気付いた」


 「なに、ただの勘さ。なんとなく似てるんだよ、お前と逢」


 綺麗な金の目。澄んだ漆黒の目。


 白刃の煌めきのような苛烈な少女。老木の洞のように空虚な少女。


 どれだけ静かに佇んでいようと、どれだけ騒がしく喋っていようと、まるで対極に立つ彼女達の本質。


 だと言うのに、何故か直感でそう思っていたのだ。月夜に見たあの女は逢だ、と。


 核心的な証拠も無い、カマをかけたに等しかった。


 そして、それは彼女の口から肯定されることで真実になってしまった。望まぬ、真実へと。




 「……少し話をするか」


 そう告げるやいなや彼女は軽やかな身のこなしでフェンスを一足飛びすると、まるで何でもない日常風景のような気負いの無さで竜胆の隣に腰を下ろした。


 揺れる殺女の長い髪から、かすかに血以外の何かが香る。……夜の、におい。


 なぜだかその香りに酷くドキリとして、竜胆は内心の動揺を悟られないように殺女につられたふりをして地べたに座った。





 「鬼姫紅葉を、知っているか」


 間合いの内、手を伸ばせばギリギリ届く距離。二人の間を通る風にかき消されそうな細い、殺女らしくもない声音が、そう言った。


 竜胆はその声に惹かれるように、並んでフェンスを背に座り込む少女を見た。ゆるゆるとなびく髪が渦巻いて彼女の表情を隠していて、それをかきあげて顔を見たい衝動に襲われる。泣きそうな顔をしているのだろうか、金の瞳は影を宿して鈍く揺れているのだろうか。


 竜胆の考えている事を知ってか知らずか、殺女は微かに俯けていた顔をあげ、夜の気配を取り込もうとでもするかのように息を吸った。


 その金の瞳は弱々しい声とはうらはらに、凛と輝いている。


 竜胆は落胆と安堵をいっしょくたに詰めたような気分になった自分を自覚し、一瞬後には地味に落ち込んだ。自分はこの女の心折れたような顔が見たかったのだろうか。まったくイイ性格だ。


 そんな自己嫌悪に沈む心に一人ごとを呟くような清廉な声が、入ってきた。


 「鬼姫は、己の娘が産まれると力の全てを引き継がせ、生命力までも分け与えた先代は静かに朽ちていく。孤独の宿命を抱えた種族だ」


 ポツリ、ポツリ、言の葉は冷たい真実を紡いでゆく。


 「……変調は、先代の頃から始まっていた。どの種族のどんな男と結ばれようと鬼姫には娘一人しか生まれない、だが紅葉は双子だった。母親の血を継いだ紅葉と、父親の血を継いだ男児。その紅葉が今度は人との間に子を成す。そうして生まれた私達……いや、逢は本来鬼姫の血に喰われ跡形もなく溶け合い消えるはずの、父親から受け継いだ性質を持っていたのだ。鬼姫として生まれた私と人間として生まれた逢。この体には、本来一つになるはずだった二つの魂が宿っているのさ」


 「……その体は」


 言いかけた竜胆を遮り、殺女はユルリと首を振った。


 「違う。この体は人間のモノではなく、鬼だ。ただ逢の魂が人間だから、逢である時は人以上の力など使えはしない」


 「鬼の体なのに、主人格は逢なのか?」


 「そうだ。しかし言うただろ、私達は一つになれなかった別個の人格の同じ魂。言うなれば両極端なのだ。一番遠い所に居るが、どちらかが欠けても不完全になってしまう存在だ」


 もっとも、ほとんど私は寝ている故、この体は大抵の時間を逢として生きているがな。と彼女は目を伏せて続けた。意思の強い金の瞳が隠れると、夜に浮かび上がる白い肌は精巧な蝋人形のようで、少し落ち着かない。


 「逢は、お前のこと知ってるのか……?」


 「……知るはずが無い。あの子は人の娘だ。心が知っていても、人間として知る領分以上のことなど、理解できるわけがなかろう」


 そう言うと、殺女は少しだけ寂しそうに目元を歪ませた。


 「そうか……」


 だから、なんだな。


 「お前が同胞を狩るのは、逢のためなんだな」


 何らかの因果は見えていた。だが理由までは分からなかった。


 それが今、やっと納得した。


 「あのような低級を同胞などと呼ぶな。不愉快だ。……だが、お前も分かるだろう」


 「ああ」


 鉄錆の匂いに混じった、夜の香り―――とても、美味しそうな香り。


 「逢はあまりに弱い、何の力も持たぬ普通の娘だ。……普通で居させてやりたい」


 芳しい香りを放つ、力の強い鬼姫の肉体は、闇に巣食う人ならざる者にとっては最上級の御馳走だ。ただ、殺女ならば襲われても簡単に返り討ちにできるだろう。


 ―――しかし、逢は。


 「逢が襲われないように、人を喰うモノを狩っていたんだな……」


 「命の危機に陥れば、本能が私を引きずり出しもするだろう。だが、それでは遅い。あの子は何の怖いことも知らずに、温かい場所で人間として暮らしているべきなのだ」


 こちらの世界を知れば、きっとあの子は壊れてしまう。そうつぶやく彼女は、なんだか酷く辛そうで、気がつけばいつかの夜のように殺女の頭に手を置いていた。ぎこちなく撫でると、今回は射殺しそうな瞳に見つめられたが手を払われはしない。それに気付いて自然と顔が笑みをかたどる。


 「だらしなく笑いおって、気色の悪い男だ」


 「そう言うなって。お前でも弱ることあるんだな」


 言外に、会って間もない自分にそんな姿を晒してくれるのだなと滲ませてやれば、再び凄まじい顔で睨まれる。このままあの綺麗な金色に睨まれ続けたら視線にこもった殺気で顔に穴が開くかもしれない。


 「勘違いするな、これは警告だ。あの子をこちら側に引きずりこむ気なら、お前もこの町の悪鬼と共に喰ろうてしまうぞ」


 「それを俺に言うか……」


 まったくもっておっかないお姫様だ。竜胆はため息を吐いた。それを見て殺女は不愉快気に眉を寄せる。


 「お前こそが害悪だ……かはっ」


 不意に殺女が苦しげに息を吐き体を曲げた。


 「おい、どうした?」


 口元に手を当てケホケホと咳き込んでいる彼女の背に手を当てると、彼女の口にあった手が翻りパシリと腕は払われた。その掌には紅を塗ったような赤が付着している。


 「ただの不協和音だ」


 「不協和音……?お前……」


 「言うたろう。一つになれなかった不完全な魂が二つでこの体は動いている。しかし足して一になる程度のものでも魂が二つも存在し続ければ体は拒否を示すのだ」


 生物の生存本能のようなものなのだろうな、彼女は吐息のような声でそうつぶやいた。


 竜胆は黙って目をすがめると、自分の親指を口にくわえた。そのまま犬歯を思いきり突き刺す。ブチリという音と共に血の味が口腔に広がった。


 「うぇ、自分の血なんて不味いもんだな」


 「なにをしておる。貴様、世に言うマゾヒストというやつか」


 「やめろ、痛みに喜ぶ趣味なんてねぇよ。いいから飲め」


 ダラダラと血を流す親指を彼女の唇に押し当てると凄まじく不快そうな顔をされたが、そのまま押し続けると観念したのか諦めの視線と共に小さな唇が竜胆の指先をくわえこんだ。


 柔らかい舌が傷口を抉るように動く。もしこれが嫌がらせのつもりならば相当に陰湿だ。ピリピリした痛みを訴える神経と赤子のように血を舐め続ける少女の対比は、どこか背徳的なものだった。


 「ふ……まるで同類だな」


 ちゃかすようにつぶやくとまた射殺されるような視線。そのまま彼女は指を吐き捨てるとそっぽを向いてしまった。


 「もういいのか?」


 「いらん。……不本意だが、礼を言う。……………………ありがとう」


 渋面が鮮明に想像できるような声だった。だいぶ渋々言ったのだろう。まったく義理堅い女だと笑みをかみ殺すと舌打ちが聞こえてきた。ガラが悪い。


 いつの間にか夜は明け、東の空から朝の気配が漂い始めた。太陽の片鱗を宿して薄く黄緑に染まる地平線を眺めながら、二人をただ置いてけぼりをくらったような月が見ていた。少しだけ涼しさの増した風だけが場に満ちる。


 「逢に飲ませたのも、お前の血か」


 「まあ主成分はそれだな。あとは、まあ、極秘ルートで仕入れた滋養強壮の煎じ薬を」


 そういうモノ達の集まる市場にたまたま行ってみたところ、人魚のミイラが値崩れしていたのだ。薬の内容を言ったらキレられそうなので言わないが。


 「……お前の血はずいぶんと濃い。始祖に近い血だ。抵抗力の無い者に飲ませればたちまちのうちに同属にしてしまう血だ。たとえ傷を塞ぎあらゆる病に効く力があったところで、呪われた血なのだ。もうけして誰にも飲ませるな」


 「始祖?……俺は自分の親のことなんて知らねえよ。……だけど、お前は平気だろう。太古の鬼の血脈を継ぐ姫」


 たとえこの血が体に入っても、竜胆のそれよりも遥かに濃く古い血筋の力が呪いの介入を許さない。どの時代にどの種の男と寄り添ったとて、鬼の姫しか生まれ得ない。彼女こそが呪われた血だ。


 「……だが、それでも逢には飲ませるな。何があるか分からん」


 竜胆は頷こうとして、ふと意識に引っかかった疑問を口に出した。


 「なあ鬼姫、お前がそこまで片割れを気にかけるのは何故だ?」


 「なに、私は人間として生きようとするあの子が愛しいのだよ。――それと」


 殺女は言葉を切ると青白い月を見上げ、歯を食いしばるように俯き、そして竜胆を睨み上げるように見つめた。金の瞳が鈍く光る。


 「ただの、贖罪だ。」




****************




 「おっかえりー。朝ごはん食べ……ってうわっ」


 「ただいま」


 朝日の中に逢を見た途端、竜胆は衝動的に彼女を抱き締めていた。次の瞬間には鳩尾に肘がめりこんだが、意地でも離さない。


 「お前もなかなかじゃじゃ馬だよな……。こういうときは可愛らしく悲鳴とかあげとけって」


 「その前に私が何してるか見て!よく見て!!」


 「卵焼き切ってるな」


 「包丁!刺さるから!」


 「お前なんなの?卵料理好きなの?竜胆さんもう鶏卵メニュー飽きたんだけど」


 「安かったんだもの……」


 「そう言って確か一週間くらい卵だよな。もういい加減ドカ買い止めて毎日スーパー行けって、この引きこもりが。荷物くらい持ってやるから」


 他愛無い話をしながら陽だまりの中に居る逢を見る。光にとろけたように頬の輪郭がぼけ、酷く柔らかそうだ。フワリと揺れた漆黒の瞳が此方を見たのがなんだかくすぐったい。



 そうか、鬼姫、お前はこの光景が守りたかったんだな。


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