闘神への愛情
闘神が部屋を出たあとも、
妻はしばらく動かなかった。
手の中には、まだ闘神の温もりが残っている。
大きく、固い手。
戦場で神を殺してきた手。
その手が、
さきほどまで自分の手を握っていた。
妻は天井を見つめたまま、小さく息を吐く。
胸の奥は、まだ痛い。
深く。
どうしても消えない痛み。
腕を抱くようにして、腹に手を置く。
そこにはもう、何もない。
数日前まで、確かにあった命。
小さく動いていた命。
そのことを思うだけで、涙がまた滲む。
「……」
声は出ない。
ただ、静かに目を閉じる。
⸻
最初は。
本当に何も思っていなかった。
この城に連れて来られたとき。
記憶もなく。
名前もなく。
ただ神に命じられて妻になった。
それは結婚でも何でもない。
ただの命令だった。
侍女のように仕え、
給仕をし、
夜には抱かれる。
それだけの関係。
闘神のことを好きになる理由など、どこにもなかった。
むしろ恐れていた。
冷たい目。
命令だけの言葉。
城の外に出ることも許されない。
自分はただ、閉じ込められた存在だった。
けれど、
時間が過ぎるうちに。
少しずつ気づいた。
闘神は。
本当に残酷な神なら。
もっと簡単な方法を取れたはずだ。
人間の自分など。
いつでも捨てられる。
命を奪うことだって。
簡単だったはずだ。
それなのに。
そうはしなかった。
戦場から戻るたびに。
必ずこの部屋へ戻ってくる。
時々、黙って座っている。
何も言わない。
けれど。
そこにいる。
あの日。
戦の夜。
突然抱きしめられたとき。
あの腕の強さと。
少しだけ震えていた体。
その時、初めて思った。
「……この神は」
怖いだけの存在ではない。
孤独なのかもしれない。
そして自分も。
少しずつ変わっていた。
闘神の帰りを待つようになった。
足音が聞こえると、安心した。
戦場の匂いがするたびに。
無事でよかったと、思った。
いつの間にか。
胸の中に生まれていた。
愛情だった。
妻は静かに目を開ける。
涙がまた溢れる。
「……だから」
小さく呟く。
「産みたかった」
あの子を。
ただ生むだけではなく。
抱いて。
育てて。
この城で。
三人で。
生きてみたかった。
闘神が戦場から帰ってきて。
子を抱き上げて。
少しだけ困った顔をして。
そんな光景を。
どこかで思い描いていた。
でも闘神が言っていたことも、
今は分かる。
神の子の男。
それがどれほど危険な存在なのか。
この世界で。
神々が争う理由も。
自分は知らないが。
闘神があんな顔をした理由は。
少しだけ、理解できる。
それでも涙は止まらない。
理解と悲しみは、
別のものだから。
妻はゆっくり呟く。
「……それでも」
涙が頬を流れる。
「あなたの子でした」
そして小さく目を閉じた。
心の奥には、
まだ消えない悲しみ。
それでも確かに残っている、
闘神への愛情があった。




