闘神の痛み
城の最上階。
誰もいない広い部屋で、闘神は一人立っていた。
窓の外には赤い空。
雪がゆっくり降っている。
つい先ほどまで、腕の中にあった重み。
赤子。
小さな命。
今はもう、城の外へ消えている。
闘神は動かない。
ただ空を見ている。
胸の奥が、静かに軋んでいた。
⸻
「……」
言葉が出ない。
神は迷わない。
それが闘神だった。
戦場では迷わない。
神を斬る時も迷わない。
だが今、胸の奥が、
重く沈んでいる。
闘神は目を閉じる。
そして思い出す。
あの夜。
医師が言った言葉。
「身籠っておられます」
その瞬間。
胸の奥で、何かが動いた。
だが同時に思い出した。
自分が言った言葉。
男なら許さない。
神の子の男。
男はその力を継承することになる。
それは神々が最も恐れる存在になる。
だから許さないと決めていた。
それは揺るがない。
たが......
闘神は小さく息を吐く。
「……」
闘神は気づいていた。
自分が願っていたことを。
女であれ。
そればかりを願っていた。
生まれる前から。
何度も。
何度も。
女であれ、と。
もし女なら神の力を継ぐことはない。
だからこの城で育てられる。
妻が笑う姿を見られる。
子を抱く姿を見られる。
そして三人でこの城で生きることになる。
その未来を――
どこかで想像していた。
闘神は拳を握る。
だが生まれたのは
男。
だから約束通り城から出した。
自分で。
自分の手で。
闘神は小さく呟く。
「……あの女は」
妻の顔が浮かぶ。
泣いていた。
必死に赤子を抱いて。
懇願して。
「お願いです」
あの声。
あの涙。
胸の奥が痛む。
闘神は気づいていた。
今さら。
あまりにも遅く。
自分が何をしていたのか。
自分が探していたのは
時の神。
何百年も
愛していた神。
その転生を探していた。
だから人間の女を見つけたとき。
迷わなかった。
だが今、胸の奥にあるこの感情は。
違う。
時の神への想いではない。
あの女神は、もういない。
転生したとしても。
記憶も力もない。
別の存在だ。
あの女と
城で過ごすうちに
仕える姿を見て
小さく笑う顔を見て
自分の帰りを待つ姿を見て
戦場から戻った夜
抱きしめたとき
その体の温かさを感じたとき......。
気づいていた。
ずっと前から。
闘神は低く呟く。
「……俺は」
言葉が重い。
「時の神ではなく」
目を閉じる。
そして初めて、
はっきり認めた。
「……あの女を」
小さな声。
「愛している」
それは神としての愛ではない。
転生した存在への執着でもない。
ただ一人の人間として城で過ごしてきたあの女を。
闘神は窓の外を見る。
雪が降っている。
そして小さく言った。
「……遅い」
あまりにも遅かった。
城の奥では。
まだ妻が泣いている。
そして自分の手で、
その子を奪った。
闘神の胸の奥にあるものは、
戦場では感じたことのない
痛みだった。




