妻に迎えた理由
夜。
闘神の城の最上階。
大地を見下ろす石のバルコニーに、闘神は一人立っていた。
風が鎧の端を揺らす。
城の中では、人間の妻が眠っている。
自分の妻であり、城から出ることを許されない存在。
闘神は静かに空を見上げた。
炎のような雲の向こうに、かつての記憶が浮かぶ。
⸻
まだ神々が今ほど争っていなかった頃。
闘神にも、愛した神がいた。
それが――
時の神。
長い黒髪を持つ、静かな女神だった。
戦う神ではない。
力を誇る神でもない。
だが、その力は神々の中でも特別だった。
時間を操る力。
未来を見ることもできる。
過去を覗くこともできる。
時間を止めることすらできた。
それは神々にとって、恐ろしい力だった。
神々は言った。
「あの神は危険だ」
「いずれ世界を支配する」
「今のうちに消すべきだ」
そして――
神々は結束した。
神が神を恐れた瞬間だった。
闘神は怒り狂った。
「誰にも触れさせぬ」
城を揺らす声で言った。
「誰があいつに手を出す」
だが神々は止まらなかった。
神殿の会議。
無数の神が並ぶ中で、時の神は静かに立っていた。
闘神は言った。
「戦え」
だが彼女は首を振った。
「嫌です」
静かな声。
「神同士が争えば、この世界は壊れてしまいます」
「構わん」
闘神は言った。
「お前を守る」
だが彼女は微笑んだ。
とても穏やかな笑顔だった。
「あなたは優しいですね」
闘神は眉をひそめる。
「優しくなどない」
「いいえ」
彼女は言った。
「あなたは優しいです」
そして、ゆっくり闘神に近づいた。
その目はどこか遠くを見ていた。
未来を見ている目だった。
「私は去ります」
闘神の目が揺れる。
「ふざけるな」
「消えるわけではありません」
彼女は静かに言った。
「転生します」
闘神は理解できなかった。
「何?」
「神としてではなく」
彼女は言った。
「別の存在として」
「動物かもしれません」
「魔物かもしれません」
「エルフかもしれません」
少し笑う。
「もしかしたら人間かもしれません」
闘神は彼女の腕を掴んだ。
「逃げるな」
彼女は首を振る。
「逃げではありません」
そして、闘神の胸に手を当てた。
「あなたなら見つけてくれます」
闘神の声が低くなる。
「保証はない」
「あります」
彼女は言った。
「あなたは必ず私を見つけます」
そして最後に言った。
「だから、大丈夫です」
次の瞬間――
彼女の体は光になって消えた。
神々の前で。
闘神はその場に立ち尽くした。
何も言わなかった。
ただ――
神々を見た。
その目を見て、神々は初めて理解した。
この神を怒らせてはいけない。
だがもう遅かった。
その日から、闘神は戦い続けた。
神々を斬り、領地を奪い、
神の戦争を始めたのは――
闘神だった。
だが、それと同時に。
闘神は探し続けた。
何十年も。
何百年も。
転生した時の神を。
動物を見た。
魔物を見た。
エルフを見た。
だが違った。
すべて違った。
そして――
ある日。
一人の人間の女を見た。
小さな村。
畑を耕し、普通に暮らす女。
神の力など、一切ない。
ただの人間。
弱く、短命で、平凡な存在。
だが――
闘神は確信した。
「……間違いない」
その瞬間に分かった。
理由などない。
力もない。
神の気配もない。
それでも。
彼女だった。
闘神は村に降りた。
女は驚いた。
「だ、誰……?」
闘神は答えなかった。
ただ女を見た。
そして言った。
「記憶を消す」
女は意味が分からなかった。
次の瞬間。
闘神の手が女の額に触れた。
神の力。
女の記憶はすべて消えた。
闘神は女を抱き上げた。
軽かった。
あまりにも人間だった。
城へ戻る途中、闘神は小さく呟いた。
「……見つけた」
それは何百年ぶりの言葉だった。
⸻
バルコニーで、闘神は目を閉じる。
城の奥。
人間の妻は眠っている。
彼女は知らない。
自分がなぜここにいるのかも。
なぜ神が自分を妻にしたのかも。
闘神は静かに言った。
「……お前は」
小さな声。
誰にも聞こえない声。
「ようやく見つけた」
炎の空の下。
闘神は、何百年も探し続けた神を
ようやく手に入れていた。




