水魔法の正しい使い方
六歳になり、魔法の才が目覚めた俺は、すぐにこの世の理不尽を思い知った。
魔法の開花訓練で、小さな水滴を生み出した俺を見下ろす父の目を忘れた事はない。失望と嫌悪に満ちたあの目を。
我がクライン家は四大貴族の中で火の魔法を得意とする一族だ。アウル家は土、ネハ家は風、メイラート家は雷。
代々、同属性の魔法使いとだけ婚姻を結び、その血を濃くしてきた。故に、家紋に刻まれた魔法属性以外、許されない。
そんな中、俺はクライン家の次男として、水魔法の才を持って生まれてしまった。他の属性なら養子として出されるだけで済んだものの、よりにもよって水魔法だ。
本来、火、風、土、雷と並んで五大魔法と呼ばれるはずの水は、この国において劣等属性として扱われている。
理由は単純、他属性と違って役に立たないからだ。水魔法に出来るのは、一日にせいぜい桶三杯程度の水を生み出せるだけ。しかも、その水を口にすると中毒症状を起こすため、飲み水にも使えない。
水魔法で生み出された水には微量の魔力が宿っている。それが原因で嘔吐や頭痛を引き起こすのだ。つまり、水魔法は、戦争でも生活でも大して役に立たない。
だから、貴族のなかで水魔法は、劣等属性として忌避されている。もっとも、下々の中では、それなりに重宝されているらしいが、生憎、俺は貴族だ。
あの日から、俺はいない者として扱われた。
部屋を取り上げられ、代わりに裏の森に小屋を用意された。
突貫で作られたのが丸わかりの、みすぼらしい小屋だった。森から出ることを禁じられ、食事を運びにやってくる使用人としか会うことが出来なくなった。
仲の良かった兄と弟も、母も会いに来てはくれなかった。俺はその事実が受け入れられず、日に日に弱っていった。そんな俺を見かねたのか、使用人がこっそり教えてくれた。
父も母も兄も弟も、もう俺のことを愛していないらしい。クライン家の恥として、隠すべき汚点としてしか思っていないようだった。
俺は絶望した。
なぜ俺が、なぜ水魔法なんだ、なんでなんでなんで——
夜になるたび、涙が溢れた。
暖かい部屋と美味しい食事、優しい家族が恋しくて堪らなかった。
当たり前にあったものが、たった一日で失われてしまった。俺の心はやり場のない怒りと悲しみに支配されていた。
だが、そんな感情も一年、二年と過ぎるうちに消え去り、十年も経てば、何もかも、全てどうでもよくなった。怒りも悲しみも、喜びも何もない。
だから、兄が結婚するという話を使用人から聞かされても、悔しさすら感じなかった。
もはや顔すら思い出せない兄が結婚しようと、俺にはなんの関係もない。兄だって、俺に祝われたいとは思っていないはずだ。
ある日の夜、十年経ち、すっかり年老いた使用人が夕飯を持ってきた時、ぽつぽつと話し始めた。
兄の結婚相手、招かれる貴族、そして警備の配置と式の日どり——
俺は眉をひそめた。
この使用人は、俺がそんな事に興味がないのは知っているはずだ。なにせ十年の付き合いになる。
「何が言いたい?」
俺が問いかけると、使用人は目に戸惑いの色を浮かべた。やがて、意を決したように、かすれた声で話し始めた。
「……式の前夜、森周辺の警備が手薄になります。招待客の到着に合わせて、兵の多くが屋敷周辺に回されるのです」
なるほど、と心の中で呟く。
使用人の言いたい事が分かった気がした。
「そして……これは、うっかり盗み聞いてしまったのですが、その」
「言ってくれ」
俺は、その先を確信した上で、続きを促した。
使用人は、大きく呼吸した。
「旦那様が、暗殺者を雇ったと」
ああ、やっぱりか。
驚きもしない。遅いくらいだ。
「人数は?」
「いえ、そこまでは……」
俺は壁にもたれかかり、雨漏りのシミだらけになった天井を見上げた。こんな場所で無意味に過ごした俺の人生も、いよいよ終わりが来るらしい。
どうせ殺すなら、十年前に殺しておいてくれれば無駄な絶望を感じずに済んだのに、とため息が出る。
「教えてくれてありがとう。でも俺は逃げないよ」
俺が言うと、使用人は驚いた顔をした。
それから、首を振って、懇願するように縋りついて来る。
「いけません……逃げてください、坊ちゃま」
閉ざしたはずの心の奥が、わずかに痛んだ。
「今さら行くとこなんて無いさ。それに、暗殺者を相手に逃げ切れるとも思わない。ここで大人しく殺された方が楽だろう」
俺の言葉に、使用人は唇を噛んだ。
皺だらけの手が、震えながら俺の袖を掴む。
「坊ちゃま……どうか」
俺は何も言えなかった。
使用人は、やがて力無く手を離し、深々と頭を下げた。
「……どうか、生きてください」
そう言い残し、小屋を出て行った。
俺は、しばらく動けなかった。
使用人の言葉が、何度も頭の中をよぎる。
冬のように冷え切ってきた心の奥が、ぐらぐらと熱くなって、たまらず服の上からぎゅっと押さえ込んだ。
「今さら……」
どうしろと言うのか。
世間を知らず、人に身の世話をされて十六になった俺が、どこでどう生きられる?
答えは出ぬまま、夜は更けていった。
兄の結婚式、当日。
その夜、いつもの時間になっても使用人は現れなかった。
「これから死ぬ男に夕飯は必要ないもんな」
俺は、ベッドに腰掛けたまま呟いた。
ランタンをつけていない小屋の中は、一歩先も見えないほど真っ暗だった。いつもなら天井の隙間から漏れ差す月明かりも、今日はどんよりとした雲に覆われのせいで無い。
と、小屋の外で音がした。
小枝を踏み折るような小さな音。俺は息を殺して、静かな扉の方へ歩み寄った。
隠しきれていない足音が、少しずつ近づいて来る。
俺は、ゆっくりと息を呑んだ。
扉がキィ……と開き、使用人よりも頭二つは大きな人影が入ってきた。
瞬間、俺は人影の後ろから飛びついて、首に腕を回して硬くしめた。
「ッ!?」
男のうめき声。
このまま絞め落とす、そう思ったのも束の間。男は首を絞められたまま、体を捻って、俺は壁に思いきり叩きつけられた。
「か……っ」
力が緩み、腕が外れた。
その隙を見て、男は俺の上にのしかかると、両手で俺の首を握るように絞める。
呼吸ができず、目玉が飛び出そうになる圧迫感が襲う。腕を引っ掻き、足を暴れさせて逃れようとするが、力の差は歴然だった。
視界が白くざらつく。
死が、すぐそこまで来ている。
(……俺は、死なない事にしたんだよ……!)
俺は、咄嗟に両手で男の口と鼻を覆った。
水魔法を発動し、大量の水を口と鼻から一気に流し込む。
男は弾けるように背を反った。
目を真っ赤にして激しく咽せている。
俺はその顔に膝蹴りをお見舞いすると、胸の上にのしかかり、再び両手で口と鼻を覆う。
男は、体内に流れ込む水を止めようと必死に暴れるが、やがて、パタリと動かなくなった。
俺は、しばらくそのまま動けなかった。
やがて、男の体から力が完全に抜けたのを確認し、ゆっくりと手を離す。頭がゴロンと横を向いて、口から水が流れ出てきた。
人を、殺した。
そう実感した途端、吐き気が込み上げてきた。俺はそれをグッと飲み込む。
目を閉じ、息を深く吸って、はやる鼓動を鎮めると、すぐにいつもの落ち着いた心が戻ってきた。もう一度、男の死体を見下ろす。だが、もう特に感情は動かなかった。
「……こんなものか」
「動くな」
首筋に冷たい感触がして、俺は動きを止めた。
背後から首に刃物を当てられている。背筋がゾッと寒くなる。
冷たく、無気力な女の声だった。
ゆっくり両手をあげると、刃物が強く押し当てられた。皮膚が引きつる感覚に、ごくりと喉を鳴らす。
「それ、あなたが殺したの?」
女が尋ねる。
「だとしたら、どうする?」
「……非常に困った事になる」
無感情だった女の声に、わずかな戸惑いが混じった。
「相棒を失うなんて、私たちの組織では絶対に許されない」
女の声が震えている。
「仲間を失えば、どうなるか分かる?」
「……いいや」
「あらゆる痛みと屈辱を与えられるの。まさに生き地獄よ」
首筋に当てられた刃が、かすかに震えている。恐怖を隠そうとしているのが嫌でも伝わってきた。
「……だから?」
俺がそう返すと、女は小さく息を吸った。
「だから、あなたを殺すわけにはいかない」
意外な言葉だった。
「相棒が死んだという事実を、そのまま持ち帰ることは出来ない。報告すれば折檻される。逃げても、いずれ見つかる。私は、どちらもイヤ」
刃が、ゆっくりと離れる。
背後の女が距離を取る気配を感じ、俺は手を挙げたまま、ゆっくり後ろを振り返った。
「方法は一つしかないの」
女は、床に転がる死体へと視線を移した。
「一人減っても、一人増やせば、何もなかった事になる」
心臓が大きく跳ねた。
女が何を言いたいか分かってしまった。
「……まさか俺を相棒に?」
「ええ」
「拒否したら?」
「ここで殺す」
迷いのない声だった。
「選択肢は二つ。死体になるか、私と来るか」
「……聞いてるかは知らないが、俺は水魔法使いだ。人殺しの役に立てるとは思えないぞ」
女が、クスクスとわらった。
その声が妙に色っぽく、少し戸惑ってしまう。
「私は、死体を見ればどうやって殺されたのか分かるの。あなた、おもしろい水魔法の使い方をするのね」
ハッとした。
そうだ、咄嗟のことで忘れていたが、俺はこの男を水魔法で殺したのだ。口と鼻から無理やり水を流し込んで……
「力で勝てない相手を、知恵を使い殺した。そして殺したあとの、その落ち着きよう……暗殺者の素質は充分ある」
女はナイフを鞘におさめた。
「水魔法は役に立たないって、誰が決めたのかしら」
肩をすくめる。
「人ひとりの命を奪えるなら、それで十分じゃない」
言葉を失った。
おれの中の常識が、音を立てて崩れていく。
「……俺は、訓練なんて受けてない」
「知ってる」
「人を殺したのも、今日が初めてだ」
「それも知ってる」
女は、こちらをじっと見据えた。
夜目が利くと言っていたが、その瞳は、闇の中でも不気味なほど澄んでいる。
「だからいいのよ。私好みに調教出来るでしょう?」
俺は目を閉じ、これまでの十年を振り返った。
思い返すこともない、空っぽの十年。
「……分かった。ここで殺されるのも、暗殺者として新しい人生を歩くのも、同じようなものだろう。わかった、行くよ」
「賢明な判断ね」
天井から差し込む月明かりが、女を照らした。
暗殺者らしからぬ、優しい笑みを浮かべている。
「今から、あなたは私の相棒よ。名前は?」
「忘れた」
「そう」
女は肩をすくめる。
「じゃあ、拠点に着いたら決めましょう」
女は死体を一瞥する事もなく、何事もなかったように扉へ向かった。
俺は、視線を落としたまま小屋の中を見渡す。
十年、否定され続けた俺は、この瞬間、初めて認められた。
「遅いわよ。後輩」
「待ってくれよ」
夜の森を抜け、月明かりの下で二人は静かに歩き出した。
連載にしようかなーと思ってやめた一話です。
勿体無いので短編として。
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