1:ヒーローとヒロイン
朝のテレビからは、けたたましい爆発音と正義の雄叫び。
画面の中でヒーローが悪の軍団を相手に、今日も大活躍していた。
「うおーっ、かっけぇ……! 今日の必殺技、やばっ!」
男の子向けの特撮番組を、ユウキは真剣な顔で見つめていた。
体を乗り出し、いつのまにか自分もヒーローになったかのように、拳を握りしめる。
だがそのすぐあと、チャンネルはキラキラした変身シーンと明るいオープニングに切り替わる。
今度は女の子向けのアニメ。キラキラな変身、美少女戦士たちの友情と冒険。
「これも続き気になるんだよな~……あ、でももう時間……」
時計を見ると、すでに7時45分。始業のチャイムまであと少し。
「ちょっと! 遅刻するわよ! さっさと行きなさい!」
キッチンからは、母親の怒号が飛んできた。
慌ててランドセルを背負い、玄関に向かってダッシュ。
「いってきまーす!!」
勢いよく玄関を開けた瞬間――
「おはようっ!」
タイミングを合わせたかのように、すぐ隣の家のドアが開く。
そこには、サイドテールが元気に跳ねる女の子――セツナが立っていた。
「おはよう、セツナ!」
「ふふっ、またギリギリでしたね! ……もしかして、朝のテレビ、最後まで観てました?」
「……うん。セツナもでしょ?」
「もちろんですっ!! 今日の変身シーン、最高でしたよね!!」
セツナはぱぁっと笑いながら、指でポーズを決める。
そのテンションのまま、ふたりは団地の階段を駆け下りていく。
ランドセルがゆさゆさ揺れて、足音がコンクリートに弾む。
そしてふたりの元気な声が、朝の団地に響き渡る。
「よーしっ、今日も元気にいきましょうっ!」
「うん、走れば間に合う!」
こうして、セツナとユウキの“いつもの朝”が始まるのだった。
・・・・・
2時間目、算数の授業中。
教科書を開きながらも、ユウキはこっそり隣を気にしていた。
席順の関係で、セツナはちょうど右隣。
先生の話を聞いているふりをしながら、ランドセルの中から小さく破ったノートの切れ端を取り出す。
(今日のヒーロー、ジャンプしながら斬るの反則じゃね?)
すばやく書いて、そっと紙をセツナの机の上に滑らせる。
セツナは驚くでもなく、それに気づき、すぐさまシャーペンを取り出して――
(あのアングル、カメラさん最高ですっ!)
と返してくる。
そのやりとりは止まらず、まるでトークショーの脚本のように次々と紙が行き来する。
(ヒロインも今日は作画神回だったよな!)
(ですねっ!! 変身バンク、鳥肌でしたよ~っ!)
どちらが先だったかはもう覚えていない。
ふたりは気づけば、つい文字ではなく――声に出していた。
「――で、あのときさ、レーザーの音がさ!」
「わかりますっ! しかも光の色が――」
「――こらっ! 2人とも!」
バンッ!
黒板にチョークが叩きつけられる音に、クラスが一瞬で静まり返る。
「授業中におしゃべりとはいい度胸ね。2人とも立ちなさい!」
ビクッと肩をすくめながら、2人はゆっくりと椅子を引き、立ち上がった。
「じゃあ、これ、やってみなさい」
先生は黒板に見たことのない数式を書き始める。
(え……なにこれ……知らないやつだ……!)
ユウキは一気に青ざめた。
頭をフル回転させても、まったく見当がつかない。
隣で立っているセツナを見ると、口元に手を当てて、にこにこ笑っていた。
そして次の瞬間――
「答えはこれですっ!」と、あっさり言い当ててみせた。
「……ふん、まぁいいでしょう。座っていいわよ」
ぶぜんとした表情の先生にそう言われ、2人はほっと胸をなでおろしながら腰を下ろす。
「……ありがとな、セツナ。すっごい……」
「えへへっ、塾でちょうど習ったばっかりでしたっ!」
小声で返すセツナに、ユウキは宣言する。
「じゃ、放課後、お礼にお菓子奢るよ。駄菓子屋な!」
「えっ、いいんですかっ!? じゃあ、えっと……ラムネと、チョコと、あ、あとプリンのやつもっ!」
セツナは声を抑えてはいるものの、テンションはMAXだ。
2人で顔を寄せ合って、あれこれ相談が始まる。
「例のくじのやつ、まだ売ってたっけ?」
「売ってましたよ! でもこの前ハズレました!」
「じゃ、今日こそは当てような!」
「任せてくださいっ! ユウキヒーローと、セツナヒロインの名にかけて!」
――その瞬間だった。
「良い加減にしなさい! 2人とも! 廊下っ! 今度は廊下に立ってなさいっ!!」
ふたりの顔がビクンと跳ねる。
結局、再び叱られた2人は教室を出されて、並んで廊下に立たされたのだった。
「……でも、なんか楽しいよな、こういうの」
「……ふふっ、ですねっ!」
廊下に並ぶふたりの影が、昼前のやわらかな陽に照らされて、少しだけ長く伸びていた。
・・・・・
チャリン――と鈴の音が鳴る、昔ながらの駄菓子屋。
入り口の引き戸を開けると、色とりどりの駄菓子がぎっしり詰まった棚がふたりを出迎えた。
「うわあっ……やっぱりここ、最高ですっ!」
セツナは目をきらきら輝かせながら、店内をぐるぐると見回す。
「こっちの棒つきゼリー、新しい味増えてますっ! あと、あっちのガムも3等が出たら2個もらえるんですよっ!」
「せ、セツナ……テンション上がりすぎ」
「ふふっ、だって今日だけは選び放題ですからっ!」
そう言いながら、セツナは両手にいくつかのお菓子を抱えてレジに向かった。
ユウキは小さな財布を取り出し、数枚の小銭を数えて受け渡す。
「ぜんぶで……300円ちょうどですっ!」
「はい、ありがと~」
店のおばちゃんがニコニコしながらお釣りのいらない会計を受け取ると、ふたりは近くの公園のベンチへと腰を下ろした。
「あ~……おいしいっ!」
セツナは最初に手に取ったチョコ大福を、ぱくりと一口。
その表情が本当に幸せそうで、ユウキは思わず笑ってしまう。
「……そんなに嬉しいのか?」
「はいっ! すっごくっ!!」
そう答えるセツナの口の端には、ちょこんとチョコがついていた。
(ほんとに……よかった、奢って)
今日使った300円。
それがどれだけの価値なのか、小学生のユウキはちゃんとわかっていた。
おもちゃのカプセルトイをひとつ我慢すれば手に入る金額。
ゲームの続きを1回お預けにする金額。
でも、今――セツナがこんなに幸せそうに笑ってくれるなら。
(うん、安いもんだ)
そんなふうに思ってしまう自分に、少しだけ驚きながらも、心がぽかぽかしてくる。
「……なに見てるんですか?」
ふと、セツナが不思議そうにこちらを見る。
「……あ、ごめん」
「ふふっ」
セツナはにっこり笑うと、手にしていたラムネの袋を破り、中のひと粒をつまんだ。
「じゃあ、これは半分こですっ!」
「 いいのか?」
「もちろんです! 今日のヒーローへのごほうびですからっ!」
ぽいっと渡されたラムネを受け取ると、なんだか胸がくすぐったくなる。
(そっか……オレ、ヒーローなんだ)
セツナと一緒に笑い合うこの時間。
それは何よりのご褒美であり、ふたりだけの、特別な放課後の記憶になった。
・・・・・
「よし……行くぞ!」
駄菓子を食べ終えたふたりは、駄菓子屋の隅っこ――
ひときわ存在感を放つ、赤と銀に輝くガチャガチャ風のくじ引きマシンの前に立った。
【一等賞:変身ベルト(最新ヒーローVer.)】
その下には、残念賞のガムやシールたちが控えている。
「今日こそ、絶対当てる!」
ユウキは小さな財布をぎゅっと握りしめて、力強く言い放った。
「ユウキくんなら、きっとやれますっ! 信じてますよっ!」
セツナも目を輝かせながら、ぎゅっと拳を握りしめて応援してくれる。
(今月の残り、1000円……10回分。これで勝負だ!)
ガチャ……1回目、ハズレ。
2回目、ハズレ。
3回目、またハズレ。
くじを引くたびに、おもちゃのシールやラムネが手に入る。
でも――欲しいのは、それじゃない。
「うぅ……っ、あと1回しか……」
9回目を引き終えたとき、ユウキの手にはガムだけが残った。
(……ダメか。やっぱり、そう簡単に当たるわけ……)
「ユウキくんっ!」
不意に呼ばれて顔を上げると、セツナが何かを差し出していた。
「……それ」
「私のおこづかい、残りぜんぶっ。700円あるから、あと7回できるはずですっ!」
「いや、でもっ……」
「わたしも、欲しいですからっ!」
セツナはきっぱりと言い切った。
「朝からずっと言ってましたもんね? 今日こそ当てるって。だったら、まだ負けてないですっ! ヒーローは、最後の最後まであきらめないんですからっ!」
その言葉に、胸がぐっと熱くなる。
「――わかった! 一緒に、勝つぞ!」
「はいっ!」
残る8回の勝負。
ふたりは息を合わせるように、ひとつずつ引いていく。
6回目……ハズレ。
7回目……ハズレ。
そして――最後の一枚。
(……これで最後だ。絶対、当てる!)
願いを込めて引いたその瞬間――
カララン!
「当たった……!? あ、あたったぁーーっ!!」
「い、いっとうしょぉぉおおぉっ!!」
レジのおばちゃんが笑顔で変身ベルトを差し出すと、ふたりは思わず手を取り合って跳ね回った。
「やった、やったーーーっ!!」
「これ、ほんとに……本物だっ……!」
歓喜に満ちたふたりの顔。
その笑顔は、まるで本物のヒーローになったかのようだった。
変身ベルトを受け取ったユウキは、嬉しさを噛みしめながら、そっとセツナに差し出した。
「これ……セツナのもんだよ。お前のお金で当てたようなもんだし……」
しかし、セツナは首を横に振った。
「うち……おもちゃ、持って帰ったら怒られちゃうんです。ママ、すぐ捨てちゃうから」
一瞬、寂しそうに目を伏せるセツナ。けれど、すぐにふわっと微笑んで、こう続けた。
「だから……ユウキくんが持っててください」
「でも……」
「これは、2人で一緒に当てたものですから。2人の力で手に入れた、2人の宝物です」
セツナの声は、少し照れながらも、まっすぐだった。
「だから……ユウキくんが持ってて。わたし、見せてもらえるだけで嬉しいから」
(2人の……宝物)
その言葉が、なんだか胸の奥までしみ込んできて。
ただのおもちゃのはずなのに、今ではそれが、とてもとても大事なものに思えた。
「わかった……オレ、ちゃんと大事にする。めっちゃ大事にするからっ」
「ふふっ、約束ですよ!」
変身ベルトをリュックにしまいながら、ふたりは並んで団地へと歩いていく。
夕暮れの空が、オレンジ色に染まりはじめていた。
その背中は、まるで本物のヒーローとヒロインのように、今日もまっすぐで――
そして、ちょっぴり特別な、夕方の帰り道だった。