二人三脚のスタートアップ ~ポーションと現実の壁~
セレスティーナ・フローラ。それが、俺ことリョウスケ・フォン・アルクマイヤーが当主となって初めて雇い入れた、記念すべき最初の従業員(兼弟子)の名前だった。彼女の加入は、埃っぽく、どこか陰鬱だったアルクマイヤー工房に、確かな変化をもたらした。
まず、工房が劇的に片付いた。俺とエリザ、マーサだけでは限界があった整理作業だが、薬草や素材の知識が豊富なセレスティーナが加わったことで、効率が格段に上がったのだ。彼女は一つ一つの素材を丁寧に仕分けし、その性質に応じて分類・保管してくれた。「アルクマイヤー様、こちらの棚には乾燥系の薬草を。湿気を嫌いますので。それから、この鉱石粉末は光に弱いようですから、遮光瓶に入れ替えますね」彼女の的確な判断のおかげで、工房の在庫状況をようやく正確に把握できるようになった。(よし、これでようやく在庫が把握できた。経営の基本、まずは現状把握からだ)
住む場所については、屋敷の空き部屋を提供した。エリザは最初こそ貴族の体面を気にしていたが、セレスティーナの人柄の良さと俺の説得(工房運営と安全確保のため、という方便)に納得し、むしろすぐに彼女を気に入り、実の娘か孫のように接し始めた。マーサも同様で、セレスティーナはすぐに屋敷の生活に馴染んだようだ。これは計算外のプラス要素だった。
「エリザ様もマーサさんも、とても親切にしてくださいます。食事も美味しくて……以前の暮らしとは比べ物になりません」
休憩時間に、セレスティーナが淹れてくれた薬草茶(驚くほど美味い。これも彼女の才能か)を飲みながら、彼女ははにかんで言った。その表情には、以前のような諦めの影はなく、穏やかな光が宿っている。
(……まあ、結果的に良かった、か。ただし、人件費と生活費はきっちり発生している。その分、稼がなければ意味がない)
内心で自分に鞭を入れる。
工房の整理と並行して、俺たちは当面の収入源となるポーションの開発・試作に取り掛かった。目標は「低コストで、市場の低級品より効果の高い回復薬」。父ゲオルグの研究ノートにあった基礎的なレシピ、セレスティーナの専門知識、そして俺の前世知識(効率化、代替素材の検討)を融合させる。
「セレスティーナ、この『月雫草』のエキス抽出だが、父上のノートにある加熱法だと有効成分のロスが大きい。常温で、こちらの触媒…そう、この安価な『銅亜鉛合金粉末』だが、これを使って圧力をかける方法を試せないか? 計算上は純度を保ったまま抽出できるはずだ」
「はい、アルクマイヤー様。その方法なら、より純度の高いエキスが抽出できるかもしれません。それに、セレスティーナ、知っています。この合金粉末、特定の薬草と組み合わせると、触媒効果が少しだけ上がるんです。こちらの『星見草』の根を少量…」
「ほう、それは初耳だ。素晴らしい。すぐに試そう」
彼女の知識は、書物だけでは得られない実践的なものが多い。特に植物系の素材に関しては、俺など足元にも及ばない。二人での作業は、俺が理論と効率化を主導し、セレスティーナが素材知識と丁寧な実作業でそれを補完するという、理想的な形になりつつあった。
試行錯誤を重ねる中で、俺はある壁にぶつかっていた。完成したポーションの効果を、より正確に、客観的に評価する方法がないのだ。自分の舌で確かめるわけにもいかないし(毒だったらどうする)、動物実験をする余裕もない。父のノートにも、効果測定に関する記述は曖昧なものが多い。
(もっと正確に知りたい…! この成分、この効果、副作用の有無を…! 何か方法はないのか…!?)
強く念じながら、試作品のポーションが入ったフラスコを睨みつけた、その瞬間だった。
ズキン、と軽い頭痛と共に、脳裏に淡い光が走り、文字情報のようなものが流れ込んできたのだ。
【低級回復薬・試作品 Ver.3.1】
効果:軽度の外傷治癒促進(市場品比:約148%)、微量の疲労回復
副作用:軽微な眠気(発現率:低)
成分安定性:やや不安定(要・冷暗所保管)
推定市場価値:銀貨1枚半~2枚(素材原価:銅貨8枚)
備考:魔力親和性高、精霊の微かな祝福が付与されている
「なっ……!?」
思わず声を上げる。なんだ、これは……? 幻覚か? いや、あまりに具体的すぎる情報だ。鑑定……そうか、これが父上のノートにあった「物質内情報読解」、いわゆる【鑑定】スキルか! 前世の記憶が蘇ってから、時折断片的な情報が見えることはあったが、これほど明確なのは初めてだ。
(しかし……情報が途切れ途切れで、詳細までは読み取れない箇所もあるな。それに、妙に魔力というか、精神力を使う感覚だ。これが父上の言っていた『劣化版』ということか……? まだ不安定で、燃費も悪い、と。だが、それでも……これは使える!)
この新たな力を得て、俺たちのポーション開発は飛躍的に進んだ。効果とコストのバランスを最適化し、副作用を最小限に抑える。セレスティーナの知識と精霊の力(やはり「清浄な魔力水」は必要だったが、効果を考えれば費用対効果は高いと判断した)、そして俺の【鑑定(劣化版)】を駆使し、ついに目標とするポーションが完成した。市場品の1.5倍の効果を持ちながら、コストは2割削減。これなら勝負になるはずだ。
名前はシンプルに「アルクマイヤー印の回復薬・改」とし、俺たちは数十本を量産。意気揚々と販路開拓に乗り出した。…のだが、現実はやはり厳しかった。
領地内の村々では、効果を説明しても「高い」と敬遠され、商業都市では、鼻で笑われるか、門前払いされるかの連続だった。
小さな薬屋の頑固そうな親父:「ふん、アルクマイヤー? 聞いたことねえな。うちは長年の付き合いがあるシュタイン工房一筋だよ。他所様の品を置く棚はねえ!」(強い拒絶)
少し大きな道具屋の愛想の良い店主:「へえ、効果が高い? それは興味深いが…申し訳ない、うちはギルド認定品じゃないと、ちょっと信用問題に関わるんでねえ。まずはギルドのお墨付きを貰ってきたらどうだい?」(丁寧だが本音は保身)
冒険者ギルドの受付嬢:「新規の納入業者登録ですか? 書類はこちらですが、審査には時間がかかりますし、実績がないとまず通りませんよ? それより、低ランクの素材収集依頼でもこなして、ギルドへの貢献度を上げてはいかがですか?」(事務的かつ遠回しな拒絶)
(くそっ……! 何が飛び込み営業だ! 信用も実績もなければ、話すら聞いてもらえないじゃないか! シュタイン工房……やはりあの工房がネックか……!)
数日間の営業活動は、完全な惨敗に終わった。持ち出した試作品は一本も売れず、むしろ移動費や滞 B で赤字が増えただけ。屋敷に戻った俺は、珍しく感情を抑えきれず、工房の壁に拳を叩きつけていた。
「ちくしょう……! 何が鑑定スキルだ、何が前世知識だ! 結局、この世界でも俺は……!」
「アルクマイヤー様……?」
心配そうにこちらを見るセレスティーナの顔を見て、俺はハッと我に返った。いかん、取り乱した。彼女を不安にさせてどうする。
「……すまない、セレスティーナ。少し、疲れているだけだ」
俺は深呼吸し、無理やり冷静さを取り戻した。
「すみません、アルクマイヤー様……私がお役に立てなくて……」
彼女が消え入りそうな声で謝る。
「……いや、君のせいじゃない。俺の、俺たちの力が足りないだけだ。それに、君のポーションは素晴らしい。問題は、それをどうやって市場に認めさせるか、だ」
俺は改めて情報収集の必要性を感じた。特に、目の上のたんこぶである「シュタイン工房」についてだ。マーサや、街で懇意になった情報屋(安くはないが背に腹は代えられない)を通じて情報を集めると、その厄介さが明らかになった。
シュタイン工房はこの地域のポーション市場をほぼ独占している老舗で、品質はそこそこだが、ギルド幹部や一部の有力貴族とも太いパイプを持っているらしい。新規参入者に対しては、様々な手段で妨害工作を行うことでも知られているという。
(なるほど……正面からぶつかっても勝ち目は薄いか。厄介な相手だ。迂回するか、あるいは……別の土俵で勝負するか)
追い打ちをかけるように、小さなトラブルも起きた。セレスティーナが薬草園で精霊の力を借りて薬草の成長を促進させようとした際、力の制御を誤り、周囲の植物が異常繁茂、一部は毒々しい色に変質してしまったのだ。幸い大事には至らなかったが、精霊の力の制御の難しさと危険性を、俺たちは改めて思い知らされた。(マーサには「お嬢様! 庭が大変なことに!」とこっ酷く叱られ、二人で半日かけて後始末に追われたが…これも管理コストだな…)
そして、決定打のように、ゴルドマン商会から冷たい文面の督促状が届いた。「先日お約束いただいた返済計画書、提出期限が迫っておりますが、いかがなされますかな?」……期限は、あと一月を切っていた。
(八方塞がり……だ。ポーション販売は、シュタイン工房の壁が厚すぎる。かといって、他にすぐ金になるアテもない。父上の研究ノートには、確かに画期的な……いや、危険すぎる錬金術もあったが……それに手を出すのは、まだリスクが高すぎる。設備も資金も、知識も足りない)
俺は工房に戻り、再び父の研究ノートと、整理した素材リスト、そして絶望的な数字が並ぶ帳簿を睨みつけた。セレスティーナが、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「アルクマイヤー様、大丈夫ですか……? 何か、私にできることは…」
「……ああ、大丈夫だ。少し、次の戦略を考えているだけだ」
俺は無理に笑顔を作った。「大丈夫」ではない。全く大丈夫ではない。だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
(ポーション市場がダメなら、別の市場を狙うしかない。競合が少なく、かつ需要が見込める分野……。そうだ、武具だ。この地域には、シュタイン工房ほど強力な武具工房はないはずだ。父上のノートにも、金属系の錬金術や、古代の鍛冶技術に関する記述があった。それに、今の俺には【鑑定(劣化版)】もある。素材の価値を見抜き、最適な加工法を導き出せるかもしれない。……だが、それには金属加工の専門知識と技術、そして何より初期投資が……!)
俺の視線は、自然と、工房の隅に積まれた金属素材や、壁に掛けられた古い設計図(父が趣味で描いたものか?)へと向かっていた。ポーションだけでは、この壁は越えられない。より大きなリスクを取ってでも、新たな道を切り開くしかない。
アルクマイヤー工房の再建は、開始早々、巨大な壁にぶち当たっていた。最初の仲間を得て、希望の光が見えたかと思ったのも束の間、現実は非情だ。俺は、次なる一手――より困難で、しかし可能性を秘めた道へと、足を踏み出す覚悟を決め始めていた。