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埃まみれの工房と最初の希望

決意を固めたとはいえ、目の前には途方もない現実が広がっている。アルクマイヤー家の未来は、十五歳の俺(精神年齢三十五歳よりもっとおっさん)の双肩に、文字通り全てがかかっていた。感傷に浸っている暇も、絶望している余裕もない。


「……よし」


俺は一つ深呼吸をして、袖をまくった。まずは、このカオスと化した父親の工房を、人間が作業できる環境にすることから始めなければならない。何がどこにあるのか、何が危険で何が利用価値があるのか、それを把握せずして再建計画など立てられるはずもなかった。


幸い、母親エリザは俺の決意を(その深刻さを完全に理解しているかは別として)応援してくれ、年配の使用人マーサと共に、工房の清掃を手伝ってくれることになった。彼女たちには危険な薬品や怪しげな遺物には触れないよう固く言い含め、主に床の掃き掃除や、散乱したガラクタ(に見えるもの)の分別・整理をお願いした。


「まあ、ゲオルグ様は……相変わらずですわね。熱中すると周りが見えなくなってしまうのは、昔からでしたから」

エリザは、苦笑とも諦めともつかない表情で、床に落ちている金属片を拾い上げる。

「リョウスケ、あなたはお父様のようにはなってはいけませんよ。才能があるのは素晴らしいことですが、もっと周りを見ないと…」

(母上……それは、俺が一番よく分かっていますよ……父上のようにならないためにも、まずはこの現状を変えないと)


三人がかりでの大掃除は数日を要した。床からは何層にもなった埃や薬品のシミ、謎の粘着物が取り除かれ、窓からは久しぶりに陽光が差し込むようになった。壁一面の本棚に乱雑に突っ込まれていた古文書や研究ノートは、埃を払い、分野ごとに(推測で)分類していく。作業台に山積みになっていたガラクタは、金属、鉱石、植物系素材、そして「用途不明・危険物(?)」に分別した。


そんな中、埃の中からいくつかの**『希望の種』が見つかった。父が改良に成功したらしい「高効率灯火石」の試作品と詳細な設計図を発見した時は、思わず小さくガッツポーズが出た。(よし! これならすぐにでも量産して現金化できるかもしれない! 僅かでもキャッシュフローを生み出さないと始まらない!)さらに、几帳面にまとめられた薬草や鉱物の記録**は、今後のポーション開発や素材研究の貴重なデータベースとなるだろう。父上も、ただ夢を見ていただけではなかったのだな、と少しだけ見直す。そして何より、父が最期まで読み込んでいた数冊の研究ノート…これこそが、この状況を打開する鍵かもしれないし、あるいは更なる破滅への扉かもしれない代物だった。


ノートを手に取り、慎重にページをめくる。そこには、父の独特な癖字で、難解な術式、複雑な数式、そして古代遺跡のスケッチや、例の黒曜石の石板に関する考察がびっしりと書き込まれていた。


『…アルカヌム文明の遺産は、現代錬金術の常識を覆す可能性を秘めている。特にエネルギー変換技術は驚異的だ。石板に刻まれた紋様は、単なる装飾ではない。高次元エネルギーを制御するためのプロトコルの一部か…?』

『…等価交換の法則を超越する錬成…その鍵は、虚数空間における魔力位相の制御にあると仮説。だが、制御を誤れば空間歪曲、最悪の場合、対消滅のリスクも…』(…虚数空間? 魔力位相? 前世の物理学とは全く違う概念だが…要するに、通常とは異なるエネルギー次元にアクセスして、物質変換の法則そのものを書き換える、ということか? とんでもない話だ…。対消滅なんて、下手をすればこの屋敷ごと吹き飛ぶんじゃないか?)

『…ゴルドマンの連中が嗅ぎまわっている。資金援助はありがたいが、奴らの真の目的は何か? 技術の独占か、あるいは軍事転用か…? 油断はできん…。だが、他の支援者は皆、私の研究を理解せず援助を打ち切った。残るはゴルドマンだけだ…奴らの要求を呑むしかないのか…? 研究完成まであと少し…それまでの辛抱だ…』


ノートを読み進めるうちに、俺は父ゲオルグという錬金術師の、常軌を逸した探求心と、その危うさ、そして彼なりに抱えていたであろう苦悩を改めて思い知らされた。彼は間違いなく天才だった。だが、同時に、あまりにも無謀で、現実を見ていなかった。そして、その研究が、莫大な借金の原因であり、彼の死の直接的な引き金になったことも。


(父上……あなたは一体、何を目指していたんだ? そして、この描きかけの術式は……? これが完成していれば、あるいは……)

ノートの最後のページ、描きかけの複雑な紋様。俺にはまだ、その意味を理解することはできなかったが、重要な手がかりなのは間違いない。いつか、これを解き明かす日が来るのだろうか。いや、来させなければならない。それが、この家を継いだ俺の責任の一つなのかもしれない。


工房の整理とノートの解読である程度の現状把握はできたものの、問題は山積みだった。まず、短期的な資金繰り。灯火石や簡単なポーションを製造・販売するにしても、材料の仕入れ費用と、それを売るための販路が必要だ。次に、工房の設備。父が使っていたものは古く、危険なものも多い。安全かつ効率的に作業を進めるには、最低限の設備投資が不可欠だ。そして何より、人手不足。


(無理だ……。清掃や整理ならともかく、本格的な錬金術作業、素材管理、経理、販売……これを全部一人でやるなんて、どう考えてもキャパオーバーだ。最低でも、専門知識を持った助手が一人……いや、二人……)


前世でのプロジェクトマネジメントの経験が、現状のボトルネックを明確に示していた。必要なのは、信頼でき、かつ特定の分野に長けた人材だ。薬草やポーションに詳しい者、鉱物や金属加工に強い者、あるいは……父の研究を引き継げるほどの、高度な錬金術の知識を持つ者。


(……だが、そんな都合の良い人材が、こんな没落貴族の、借金まみれの工房に来てくれるはずも……薬草部門なら…あるいは…)

そこまで考えて、ふと、森で出会った少女の顔が思い浮かんだ。セレスティーナ・フローラ。薬草に詳しく、不思議な力を持っていた。彼女なら、ポーション製造の大きな助けになるかもしれない。


(彼女がどこに住んでいるのか、そもそもまだこの近くにいるのかも分からんが……探してみる価値はある。それに、錬金術の素材集めも必要だ。工房の在庫だけではすぐに底をつく)


俺はエリザに「錬金術の素材を探しに、少し森へ行ってきます」と告げ、最低限の護身用の道具(父の遺した、少しだけ魔力を帯びた短剣)を懐に、再び屋敷の裏の森へと向かった。


数日かけて森を探索したが、目ぼしい素材はなかなか見つからなかった。痩せた土地が多いこの領地では、有用な薬草や鉱石は少ないのかもしれない。


諦めかけて、流れのほとりで休憩していた時だった。

「……あ!」

小さな、しかし聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには、数年前よりも少し背が伸び、少女から乙女へと成長した姿があった。亜麻色の髪、そばかすの浮いた顔、そしてあの大きな翠色の瞳…セレスティーナ・フローラだ。彼女もこちらに気づき、驚きと戸惑いが入り混じった表情で固まっている。手には薬草を摘んだ籠を持っている。どうやら、彼女は今もこの森で薬草摘みを続けているらしい。


「ア、アルクマイヤー様……!? なぜ、このような所に…? ご、ご無沙汰しております!」

慌てて駆け寄り、深々と頭を下げる姿は昔と変わらないが、その表情には以前とは違う、諦めのような影が見えた。


「……久しぶりだな、セレスティーナ。ここで何を?」

俺は努めて平静を装い、尋ねた。

「は、はい! 薬草を……。村の皆の薬を作るために、時折こうして森に来ているんです」

「そうか。……腕は上がったか?」

「えっ? あ、はい……その、少しだけ……。でも、まだまだ勉強中で……。それに、良い薬を作るには、どうしても珍しい薬草や、綺麗な水が必要で……なかなか……」

セレスティーナは俯き、籠の中の質素な薬草を見つめた。その横顔には、才能がありながらも機会に恵まれない者の、切実な悩みが滲んでいた。


(……やはり、苦労しているのか。薬師としての才能はありそうなのに、環境や資金に恵まれていない、と。これは……俺にとっても、彼女にとっても、チャンスかもしれん)

俺は意を決して立ち上がり、彼女に向き直った。

「セレスティーナ。君の話を聞いて、思ったんだが……もし君が良ければ、俺の工房で働かないか?」


「えっ……?」

セレスティーナは、信じられないというように顔を上げた。

「アルクマイヤー様の、工房で……ですか? 私のような者が……?」


「ああ。見ての通り、うちは人手不足でな。特に薬草やポーションに詳しい者がいない。君の知識と技術を貸してほしい。それに、君があの時見せた不思議な力…精霊との繋がりにも興味がある」

俺は続けた。ここが勝負どころだ。

「もちろん、ただ働きさせるつもりはない。相応の給金と、住む場所も提供しよう。君の研究に必要な薬草栽培の環境も、できる限り整えるつもりだ」


(……無茶な約束だ、とは分かっている。今の工房にそんな余裕はない。だが、ここで逃したら後はない。この子の才能は本物だ。それに、あの純粋さは、今の俺には眩しすぎるが…必要だ。必ず、この約束を守れるだけの成果を出してみせる…! そのためには、彼女の力が必要なんだ!)

内心で固く覚悟を決め、俺はセレスティーナの返事を待った。


セレスティーナは、大きな翠色の瞳を潤ませ、信じられないというように俺の顔を何度も見上げた。しばらく逡巡した後、彼女は震える声で、しかしはっきりと答えた。

「……ほ、本当ですか……? 私……私、ずっと、もっとたくさんの人を助けられる薬師になりたかったんです! でも、お金も、場所もなくて……」

彼女の声には、諦めかけていた夢への、切実な響きがあった。

「アルクマイヤー様の工房で働けるなら……私の夢が、叶うかもしれません……! ぜひ、お願いします! 一生懸命、働きます!」

セレスティーナは、再び深々と頭を下げた。その周りで、微精霊たちが祝福するように、キラキラと舞い踊っていた。


(……よかった。これで、第一歩だ)

安堵と同時に、新たな責任の重さを感じる。彼女の人生を預かるのだ。失敗は許されない。

工房に戻る道すがら、俺の隣を歩くセレスティーナは、不安と期待が入り混じった表情で、これからのことについて尋ねてきた。

(本当に私で、お役に立てるでしょうか……? アルクマイヤー様は、少し怖そうな方だと思っていましたが……でも、優しい目をしてらっしゃるのですね……。頑張らなくちゃ……!)

彼女の内心が少しだけ透けて見えた気がして、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。


こうして、俺はアルクマイヤー工房、最初の従業員(弟子)を得た。

彼女の加入は、工房にとって大きな戦力となるだろう。だが同時に、俺は彼女の生活を支え、夢を応援するという、新たな責任を背負うことにもなった。もちろん、彼女に関わるコスト(精霊への供物や特殊な栽培環境など)も、だ。


(まずは薬草部門か…だが、金属加工や、父上の研究を引き継ぐには、やはり専門家が…ギルドに頼るしかないのか? いや、あの連中は信用できん…。地道に探すしかないか…そのためにも、まずは工房を軌道に乗せないと)

思考は既に次のステップへと向かっている。


アルクマイヤー工房再建計画は、ようやく、本当の意味でスタートラインに立ったのだ。道のりは、依然として長く、険しいだろうが、もう一人ではない。それだけが、今の俺にとっての確かな希望だった。

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