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神童(仮)の憂鬱2~錬金術と家計簿の間で~

そんなある日、気分転換と実地調査(薬草や鉱石資源の有無確認)を兼ねて、俺は屋敷の裏手に広がる鬱蒼とした森へと足を延ばした。錬金術の素材収集は、将来的に重要な収入源になる可能性がある。森の空気は澄み渡り、木々の葉擦れの音と鳥の声だけが聞こえる。前世の都会では決して味わえなかった深い静寂と新鮮な空気に、少しだけ心が洗われる気がした。


森の奥へ進むと、小さな清流のほとりで、見慣れない少女が一人、うずくまっていた。陽光を浴びて輝く亜麻色の髪をおさげにし、そばかすの浮いた素朴で整った顔立ち。年の頃は俺と同じくらいだろうか。質素だが清潔なワンピースを着ている。こんな森の奥で一人とは、不用心なやつだ。


「……どうしたんだ? こんな所で。迷子か?」

俺が声をかけると、少女はびくりと肩を震わせ、怯えたような、しかし好奇心も混じったような複雑な瞳でこちらを見上げた。大きな、少し潤んだ翠色の瞳が印象的だ。


「あ……えっと、あなたは……? い、いえ、迷子じゃなくて……その、この子が、小鳥さんが、ケガをしてしまって……」

少女の足元を見ると、翼を傷つけたらしい小さな鳥が、地面で弱々しく羽を震わせていた。少女は、摘んだばかりのような数種類の薬草を手に、どうしたものかと途方に暮れている様子だった。


「この薬草をすり潰して当ててみたんだけど、血がなかなか止まらなくて……もっと、もっと効くお薬があれば……」

俯く彼女の周りに、ふわり、と陽光を反射してキラキラ光る、小さな光の粒のようなものがいくつか漂っているのが見えた。なんだ、あれは……? 埃にしては動きが規則的すぎる。まるで意思を持っているかのように、少女の周りをゆっくりと旋回している。不思議な雰囲気を持つ少女だった。


(なるほど……薬師か、その見習いかな。薬草の知識はあるようだが、手持ちでは力が足りない、と。出血を止めるなら……凝固作用のある触媒が有効か。練習用に父上から貰った基礎的な治癒触媒があったな。安物だが、試してみる価値はあるか)


俺は懐から、小さな革袋を取り出し、中に入っていた灰白色の鉱石粉末――ごく初歩的ながら、血液凝固と細胞活性化の効果を持つ錬金術触媒――を少量、指先にとった。


「これを使ってみろ。気休め程度かもしれんが、何もしないよりはマシだろう」

少女は驚いたように俺と指先の粉末を見比べたが、すぐにこくりと頷き、小鳥の傷口にそっと粉末を振りかけた。すると、粉末が淡い緑色の光を放ち、流れ出ていた血がじわりと固まっていくのが見えた。小鳥の苦しげな呼吸も、少しだけ穏やかになったように見える。


「わあっ……! すごい……! 血が、止まった……! 温かい光……!」

少女はぱあっと顔を輝かせ、俺に向かって深々と頭を下げた。


「ありがとうございます! あの、あなたは……もしかして、噂の……錬金術師様、なのですか?」

その純粋な驚きと感謝の眼差しに、計算ずくで生きている自分が少しだけ気恥ずかしくなる。

(いや、見習い以下だって……。というか、錬金術師がそんなに珍しいのか、この辺りでは。それとも、俺の噂がこんな所まで?)


「おかげで、この子も助かりそうです。本当にありがとうございます! あの、私、セレスティーナ・フローラと申します。あなたは……?」


丁寧な自己紹介に、俺も名乗らないわけにはいかない。

(セレスティーナ……フローラ……。花の名前か? 薬草に詳しそうな雰囲気には合っているな。フローラ家…聞いたことがないが、平民か、あるいは下級貴族か)


「リョウスケだ。リョウスケ・フォン・アルクマイヤー」

俺が家名まで告げると、セレスティーナはさらに恐縮したようにサッと顔色を変え、慌ててスカートの裾をつまんで貴族式の完璧な礼をした。


「ア、アルクマイヤー様……! この辺りを治めていらっしゃるご領主様でしたか! も、申し訳ありません、このような場所でご無礼を……! 先程の失礼な物言い、どうかお許しください!」

(ああ、やっぱり貴族だと分かったか。しかも完璧なカーテシー。平民ではなさそうだな。しかし、この反応、やはり面倒だ……。別に偉そうにするつもりはないんだが)


嬉しそうに、しかしどこか恐縮しながら小鳥をそっと抱きかかえるセレスティーナの周りで、先ほどの光の粒――やはり微精霊だろうか――が、心なしか数を増し、楽しげに飛び回っているように見えた。彼女の純粋な優しさや、あるいは彼女自身が持つ何らかの力が、彼らを引き寄せるのかもしれない。


その不思議で穏やかな光景に、ほんの一瞬だけ、日々の計算や策略、借金のことから解放されたような、穏やかな気持ちになった。だが、すぐに現実的な思考が割り込んでくる。

(この治癒触媒、原価は銅貨数枚だが、錬金術ギルドを通せば銀貨一枚は下らない。錬金術師の少ないこの辺りなら、もっと高く売れるか? いや、今はビジネスじゃない。それより、このセレスティーナという少女……精霊のようなものが見える、あるいは使役できるのか? それは錬金術とは違う力なのか? だとしたら、それはかなり希少な能力のはずだ……。利用価値は…いや、何を考えているんだ俺は)


「……礼なら、その小鳥に言ってやれ。俺はもう行く」

興味を引かれたのは事実だが、これ以上深入りするのは得策ではない。今は自分の足元を固めるのが先決だ。俺は内心の邪念を振り払うように、ぶっきらぼうに言い残し、踵を返した。


「あ、あの! お待ちください、アルクマイヤー様! せめて、お礼を…!」

背後からセレスティーナの声が聞こえたが、俺は振り返らずに森の中を進んだ。


(セレスティーナ・フローラ……か。薬草に詳しく、精霊に好かれる……。覚えておこう。将来、何かの役に立つかもしれん……いや、違うな。ただ、少し、気になっただけだ。あの翠色の瞳と、周りを舞っていた光が)

森を抜けながら、俺は内心で言い訳をする。彼女の存在は、この灰色に見え始めていた異世界の中で、ほんの少しだけ、彩りのあるもののように感じられたのだ。理由は分からないが、また会うような気がした。


家に戻ると、何やら屋敷の中が普段と違う、緊迫した空気に包まれていた。玄関ホールで、年配の使用人マーサが顔面蒼白でオロオロしている。そして、エリザが廊下の向こうから、涙目で俺の元へ駆け寄ってきた。

「リョウスケ! 大変です! あなたのお父様が……ゲオルグ様が、工房で倒れられて……! 今、お医者様を呼んでいますが……!」


その言葉は、俺にとって、少年時代の猶予期間の終わりと、否応なくアルクマイヤー家の現実、そして責任と向き合う時が来たことを告げる、冷たく重い鐘の音のように響いた。

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