名前も知らない二人
「ふぅ……」
私は10冊ほど積み重ねた本をカウンターの上に置いた。
離れた書架から持ってきたので腕が痛い。これらは修理をするために持ってきたものだ。
私は図書委員に所属している。主に生徒への貸出が仕事だが、棚の整理をしたり、掲示物の貼り替えをしたりと意外とやる事が多い。
修理は本来委員会の仕事では無いのだが、私が司書の先生に頼んでやり方を教えてもらっていた。
「少しずつでいいんじゃないの?」
室内の隅、窓際の方から聞き慣れた声がする。ほぼ毎日図書室に来ているので、誰なのかすぐにわかった。その場所に向かうと机の上に本を広げてこちらを見ている彼と目が合った。
「量が多いので……」
「そう。でもたまには手を抜いてもいいと思うよ。
ここのところ毎日やってるよね?」
「………………」
小さく頷く事しか出来なかった。確かに本の修理に期日は無い。ただ善意でやっているだけだ。
「やるなって言ってる訳じゃないよ。君以外に図書委員いないの?」
「います。だけどサボっている人が多くて」
私を除いても10人はいたと思う。彼等はカウンター業務をやるぐらいだ。ひどい人は図書室に来ない。
「フーン」
「……そもそも何であなたがいるんですか?」
今は放課後だ。ほとんどの人が学校から出ていっているというのに彼はまだ残っている。いつの間にか図書室に来ているのだ。
「家に帰っても誰も居ないし、やる事がないもの。
それなら学校で本を読んでいる方がいい」
そう言いながら彼はイスの側に置いてあるカバンを漁ると
私に何かを差し出す。ペットボトルだということはわかった。
「サイダー?」
「いつも一人で頑張ってるからね。差し入れ」
「あ、ありがとうございます……」
戸惑いながらもペットボトルを受け取る。
とても温かい気持ちになった。
翌日、朝からずっと雨が降っていた。勢いも強くしばらく止む気配がない。
私は図書室の窓を見ながらため息をついた。棚に向き直ると背表紙が剥がれかけている本を数冊抜き取って手に持つ。
そしてカウンターに行く前に窓際の隅の方に足を向けた。
私は気づかなかったがたぶん居るはずだ。近づくと案の定
見慣れた黒髪が見えた。彼は私に気づいて顔を上げる。
「何か用?」
「一件だけ。……毎回思うんですけど
いつ入って来てるんですか?」
「普通に入り口から来てる。あまり足音立てないから
気づかれにくいみたいだね」
彼が少し呆れたように答えた。確かにわざわざ聞くような事ではないが、気づいたら居るので聞いておきたかったのだ。
「また修理?」
「はい」
「頑張るねぇ、放課後なのに。……でも君が図書室で作業
してくれてるから僕も居れるんだけどね」
彼は昼休みと放課後に必ずと言っていいほど図書室に来ていた。以前、家に帰っても誰もいないと言っていた気がするが
その事と関係があるのだろうか。
「…………両親が医者なんだよ」
「え?」
心情が顔に出ていたのか。いや、出ていたとしても何が原因でその表情になっているかなんて普通なら読めない。
固まっていると彼が困ったように口を開く。
「用もないのに放課後まで残ってるのは誰だって不思議に思うからね。僕は家に居るより学校に居る方が好きなんだよ」
「……だからって……」
「ちなみに両親の仕事は誰にも話した事がなかった」
畳み掛けるように言葉を被せてきた。そんな事をされたら
言おうと思っていた事も言えなくなってしまう。
両親とも医者なんて言いにくい事なのに
どうしてそこまで仲良くもない私に話したのか。
「私に言っても良かったんですか?
みんなに言いふらすかもしれないんですよ?」
「言いたいなら言っていいよ。
だけど僕は言わない方に賭ける」
そう言う彼の表情は自信ありげだ。裏付ける理由でもあるのだろうか。少し挑発してみることにした。
「ずいぶん自信があるんですね」
「なら、どうして先生達は君に図書室の鍵を預けているんだい?それに放課後なのに誰も先生はついてないし。普通なら
一人はつくと思うよ。なのにしないという事は君を信用して
いるからじゃないのかい?」
彼が言う事は最もで、どの先生からも、真面目だから信頼
しやすいと言われていた。もちろん狙ってやった訳ではない。
真面目なのは元からだ。
「そう、ですね……」
「……だから僕も信じてみる」
「分かりました」
私の言葉を聞くと彼は安心したように息をついた。
そして本を閉じるとカバンを持って立ち上がる。
「今日はもう帰るよ。毎日ギリギリまで居座られるのも
迷惑だろうし」
「迷惑なんて思ってないですよ」
「じゃあ、また明日ね?」
彼は私の言葉をスルーすると本を戻して図書室から
出ていった。
後ろ姿を呆然と見つめる。お互いの名前も知らないのにスムーズに話ができるのは相性と言うやつだろうか。
でも、そんな彼から信頼してもらえた事が嬉しかった。