敬虔が功を奏す?
お久しぶりです。
新生活って大変ですね。
その男は人切りだった。
人切りと一口言ってもそれはただの仕事一部、趣味の人切りとは程遠いものであった。
程遠いは言い過ぎだろうか。違いはたった一つなのだから——————————————————
人を救うか殺すかどうか。
たったこれだけの違いで、他に何も違いはない。
日が出ている時間では間違いなく人を救っている。専門的な学校でとことん学び、手技を身に着け、人を救うための術を身に着けた。
医師として人を救うために身に着けたこの技術。化学だけじゃなく、生物学、薬理学、薬物動態学、そして解剖学まで学んだ。
その中でも力を入れて学んだのは解剖学。
生物学と解剖学との違いは、生物学はホルモンやサイトカインの動きをどのような状況でどんな働きをするかというのをより詳細に学ぶ学問を言う。
解剖学は生物学とは若干の違いがあり、組織ではなく臓器レベルで学ぶのが主だった学問となる。
この違いは医学において大きく違い、マクロかミクロかの違いで人の生き死にが決まる業界においてどちらに力を入れるかで診療科目も現代においてはかなり異なるだろうことが予想できる。
現代では診療所、所謂クリニックがコンビニと同等程度に乱立している。
ならばよりわかるだろう。ニキビが出来たら皮膚科に行く若者、糖尿病内科に行く高齢者、はたまた運命や遺伝に弄ばれた腫瘍内科に行く人々。
これらはすべて診療科目と呼ばれ、それぞれに精通した専門家がいる。
その専門家たちは大いに学び、経験し、失敗した。しかし挫けずに学びを深め、知識や経験を蓄積していくことで「先生」と呼ばれるまでに至ったのだろう。
しかし、これまでに言ったものは診療科目のごく一部に過ぎない。腎臓内科という透析患者が通うものもあれば眼科もある。
ただ、今述べたものはほとんどが内科であることに気づいただろうか。
手技が本当に必要になるのは外科である。
内科だから必要ないのではなく、主に必要になるのは外科である。
よくドラマで手術シーンがあると思う。
あれらはほとんどが外科のはずだ。
内科医は生活習慣の改善や薬物での治療が主だった治療法となる。これらはマクロとミクロの違いと一緒で、生物学に力を入れたか、解剖学に力を入れたかの違いとなる。
外科の主だった仕事はオペである。手術という技術を用いて、体に穴を開け病巣を取り除き、患者の体を健康体に戻すよう最善を尽くす。
この仕事をするためには知識だけでなく、また技術だけでなく経験が必要となっていく。
だからこそ医師というものは努力は言わずもがな、度胸も必要となってくる。
そしてその険しい道のりを誰しもが生きてくれば分かるため、憧れるということすらしない人も多いと思う。
しかし彼は目指した。
自分の欲望を満たすためだけに————————————————————————————————————
その男が自分の異常性に気づいたのは三歳のとき。
家を這いずり回るねずみを母親が新聞で叩き殺したその瞬間、幼いながらに快感と興奮を感じた。
いや、快感と興奮というのは大人になった今だからそう思うのだろう。
その時には電流のようなものが体の中を走り抜け、体温が上がっていくのを感じただけだった。
そのねずみは特に流血するなどはなかったが、新聞紙ではたかれた後ピクリとも動かなかった。
ただ恐らく大きな衝撃をその身に受け気絶していたのだろう。
しかし母はそのことを知っていた。
だから追撃で丸めた新聞紙をさらに叩き付け、脳漿が、眼球が、そして鮮血が飛び散るまで手を止めなかった。
その光景は幼い少年にはすべてが新鮮だった。
見るものすべてが新しかった。
両親が愛飲しているワインよりも赤黒く、普段食べている食肉よりも濃厚な匂いで、家の近くを流れる清流が照り返す日光よりもきれいな艶があるそれら。
母がよく身に着けているどんな宝石よりも、父がよく愛煙している葉巻のどんな紫煙よりも輝きを放ち、部屋中を充満する匂いが鼻腔どころでなく前頭葉の嗅覚野を超え、脳幹を駆け巡り脊髄を飛び超え、未発達の陰茎を熱く硬くそそり立たせた。
その時の出来事は全て大人になった今でも鮮明に思い出せる。
匂いも、光景も、音も、その全てが。
それは言い換えれば忘れられないということ。
男にやり捨てされた女の如く、忠犬と呼ばれ永遠と飼い主を待ち続ける薄汚れた犬の如く、深く厚い執着をその男に植え付けた。
その男はのちにジャック・ザ・リッパ―と言われ、ロンドンを恐怖のどん底に叩き付ける、極悪非道な殺人鬼。
現代と比較すると未熟で杜撰な捜査とはいえ、警察に生涯捕まることなく天寿を全うした運のいい外道。
その男が今————————————————————————————————————
異世界に降り立った。
ご読了頂きありがとうございます。
駄文でごめんなさい。