先人に学ぶ
「はーい、あれ先生!お珍しいですね!こんにちは」
唐突に商工会に現れたフィリスをコルテスは笑顔で出迎えた。
「ジュノは息災か」
祖父を気にかけてもらったことにコルテスは感謝し「元気すぎる位です」と伝えた。フィリスはその言葉に、ひとつ頷きを返す。
「今日はお一人ですか?」
コルテスはフィリスの後ろを覗き込みながら言った。しかしそこには誰も居なかった。
「ルシルさんがたまにみえますよ」
「知っている」
知っているのか、とコルテスは驚いた。ルシルから「言わずに来ている」と聞いていたからだ。
「何も話していないか」
「ええっと、すみません、何を?」
相変わらず言葉が少ない『先生』に、コルテスは困った様に笑った。
「先日、外部の人間が街に来ただろう」
「え、そうなんですか」
「……」
コルテスの反応に嘘はない。確実に何も知らない人間の反応だった。フィリスは小さく息を吐くと、窓辺を見た。窓の外で猫が丸くなっている。
猫は尻尾を緩慢に動かすと、伸びをしてぴょんとどこかに行ってしまった。
「先生?どういうことですか?」
「…アレに何かあった」
「ルシルさんですか?」
こくり。フィリスは頷いた。
「彼女、何も言わないんです?」
こくり。再び魔法使いは頷く。
コルテスは「それは心配ですね」と深刻な顔になる。
「別に」
「え?」
「心配ということではない」
コルテスは困惑した。これが心配でなくてなんなのか。だがコルテスにはそこを指摘する勇気はない。
「強いて言えば、有能な家人に辞められると困る」
「あ、ああー。成程?」
合わせるしかない。コルテスはそう判断した。
「ルシルさん、有能なんですね?ごはんが美味しいとか?」
「…余計なことをしない」
「……」
何と答えようか、とコルテスの脳内が渦を巻き始める。自分の感性との乖離をひしひしと感じた。
「…辞められると、困る」
フィリスはもう一度そう言うと、帰る素振りを見せた。元より欲しい情報が得られないと分かった時点で用事は無かった。
「何か分かったらお知らせします!」
背後に聞こえるコルテスの声に、フィリスは少しだけ振り返って頷いた。
バサバサ、と鳥の羽音が街の上から聞こえる。
「なんか、最近鳥多くないか?」
「あー、言われてみれば?」
コートデューの街の上をカラスや鳩、その他の鳥たちが行き交った。
「ルシルはどうした!!」
屋敷に戻った執事を主人は強い口調で攻め立てた。レイヴンは内心で悪態をつきながら事情を説明する。
「別でもう雇われているだと…?」
ニゼア氏の目が血走った。レイヴンは心の中で「うわあ」と呟いた。
「ド田舎屋敷に、ルシルは勿体ない!!馬鹿なことを!可哀想に!」
ニゼア氏は激昂しながら部屋の中を行ったり来たりした。そしてそこにレイヴンがまだいることに気が付き、「出ていけ!能無し!」と罵った。
言われた通り部屋を出たレイヴンは大き目の舌打ちをかます。どうせ、中の人間には聞こえてはいない。
「こうなったら私が直接迎えに行ってやらなくては。執事ごときでは駄目だったんだ…しかし離婚の調停が…ああ、待ってなさいルシル…」
ニゼア氏の独り言は部屋の中で続いた。今まで気分が優れないとき、決まってルシルが気付けの酒か、温かい飲み物を用意してくれた。そんなルシルの当たり前の気遣いが恋しく、苛立った。
「お、ルシル!元気にしているか?」
「テオさん」
街の本屋で本棚を物色していると、久しぶりな人に出会った。宿の主人をしているテオさんは今日もチェック柄のシャツ。いい感じのカントリー感だ。
「おかげさまで。大変よい職場です。手放したくありません」
「な、何か必死だな」
私が力を込めて言うと、テオさんは却って心配になったらしく「何かあったのか?」と聞いてくれた。
「いい本が無いか探しているのですが、見つからなくて。私の今後に関わるのに…」
必死さが伝わったのか、テオさんは本棚を覗きどんな本かと尋ねてきた。
「しつこいストーカーを撃退する方法が載っている本です」
「ッ!?」
「シッ!」
何か言おうとしたテオさんに向かって「静かに!」という合図をする。あまり大声で話したくない。
「どいつだ!自警団に言いなさい!」
声を低くしてテオさんが追及してくる。私たちはコソコソと奥の棚の方へと移動した。
「遠くにいる人なんです。でもまた来るかも」
「元彼か?」
深刻そうに聞いてきたテオさんに、「そんな仮想生物はいません」と真顔で返す。テオさんは固い顔のまま「そうか。悪かった」と謝ってきた。
「何とか自力でも撃退できる方法はないかと思って、本屋に来てみたんですが…」
「先生には言ったか?」
「言えるわけないじゃないですか!そんな面倒ごと持ち帰ったら即解雇ですよ!」
「悪かった」
テオさんも私の考えには賛同のようで、「どうするかな…」と呟きながら一緒に考えてくれる。相変わらずいい人で泣けてくる。
私が諦め悪く本棚を眺めていると、テオさんは突然「あ!」と大きい声を上げた。
「いい奴がいる」
テオさんは目を輝かせて私に頷いた。
得意顔のテオさんに連れられてやって来たのは、時間的にまだ開店前のバーだった。テオさんは遠慮なく「閉店」の看板がかかっている店のドアを開けた。
「ちょっと、まだ開店前…なんだ、テオじゃない」
「よかった、リリア。ちょっと相談に乗ってくれないか」
テオさんがリリアと呼んだのは、たっぷりとした黒髪の妖艶な女性だった。白い肌に泣き黒子がセクシー過ぎる。
リリアさんは私を見つけると、きょとんとした。
「だあれこの子?見ない顔だね」
「最近引っ越してきたんだ。先生のとこで家政婦してる」
テオさんの紹介にリリアさんは目をかっぴらいた。宝石のような青い目が私を凝視した。
「ルシル・オニバスと言います。よろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げると、リリアさんは「ええー」とため息をもらす。
「大丈夫なの?務まるの?こんな優しそうな子に…!」
「あの、はい。今のところ」
私は手をグッと握って無事を伝える。リリアさんの反応を見て、何かあったのだろうかと気になった。
「確かにすごい先生だけどね。それとは別だからね。辛かったら辞めちゃってもいいのよ?」
真剣なリリアさんに、苦笑いを返す。聞いて知ったような口ぶりだ。
「善意で食べ物の趣味に口出ししたり、夜更かしを心配しても無駄だからね!!」
「あー(成程)…はーい…」
「リリア。相談があるのは別の話なんだ」
横で聞いていたテオさんが、話の脱線に見かねて本来の用事を切り出した。
「ああ、そうなの?初対面のアタシに聞きたいことって?」
「お前、よく客に付きまとわれているだろう?どうやって対処してるか教えてもらえないか?」
リリアさんの目が再び大きく開かれる。すいーっと私に焦点が定められ、さっきよりも哀れんだ目が向けられた。
「誰?ヘルマン?メッソ?ゼルネア?」
「いやそれはお前につきまとってた…」
「いいわ。嫌がる女に付きまとうクズ野郎にはね、諦めさせるしかないのよ」
「どんな手を使っても」とリリアさんは付け加えた。瞬きひとつしなかった。彼女自身、大変な目に遭っているんだな、と思った。
そういう訳で、私はリリアさんの辛い体験談を聞きながら、いざと言う時の撃退方法を聴取することに成功したのだった。隣で聞いていたテオさんが「なるほどなあ」といたく感心していたのが気になって仕方なかった。
忘れないように重要なポイントはメモをとった。店の備品のメモ用紙をもらったので、『Lillie』という店名が印字されていた。
「またお店にも来てね!」
ちゅ、と投げキスをして手を振るリリアさん。率直な感想を述べると、可愛すぎてうっかり惚れそうだった。
「ああいうことをするから皆夢中になってしまうのでは」
「…」
テオさんは何も言わなかった。
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