本編外:横恋慕
エピローグ後のお話です。
「あ、ごめんね。ごはんあげなきゃね」
「どうですかね居心地は」
「お水足しておこうね~」
私の一方的な声掛けに対して、返ってきたのは「ぴちち」という美しい鳴き声だった。清らかで、繊細なその声に思わず口角が上がる。
「ちょっとずつ元気になってきたね」
素晴らしい喉の持ち主の居る籠の前で腰を折る。きゅっと首をかしげる姿がかわいらしい。しかし、籠の中のヒバリの足には痛ましく包帯が巻かれている。
そう、この子は現在家で療養中なのである。出会いは数日前。私が我が家の庭の草を景気よく刈っていたときだった。地面にひょこひょこと変な動きをしている影を見つけた。それは明らかに足を痛めている小鳥で、とてもそのままにしておけるはずもなく、先生を大声で呼びつけ、緊急かつ丁寧にそっと家の中に運び込んだ。
小鳥は何をされるのだろうと警戒していたが、先生が一言二言何かを言うと、「よかった!」とばかりに大人しくなった。
ヒバリのケガは足の切り傷で、どうやら喧嘩でもしたらしかった。先生と一緒に彼を手当てし、水と食べ物をそばに置いてやった。残念ながら鳥かごはなかったので、深さのある籠をひっくり返してお家とした。「飛んではだめだよ」と先生を介して伝えると、ヒバリは「分かった」と言うように「ぴちち」と鳴いた。
聞き分けのよい、いい子のヒバリは以降、我が家で治療を受けている。先生の見立てではそう時間はかからずによくなるだろうとのことだったので、悪化しないように注意しながら経過を観察している。
「ふふ。かわいいね」
眺めていたら不意に頭頂部の羽毛をふわっと立ち上がらせたのが愛らしく、ついへらりとして呟いた。
「……どうだ」
二階から現れた先生が、ヒバリにでれでれしている私のところへやってきた。私ほどではないが、先生もよく様子を見ている。「感染症が起きれば厄介だ」ということだったので、案じているのだと思う。
私は腰を上げ、先生に「段々よさそうです」と場所を譲った。先生は「よかった」と、よかった感を認めづらいトーンで返事しながら私と交代した。
「ぴちっちち」
「……」
ヒバリがまた鳴く。きっと先生が来て喜んでいるのだろう。なぜなら主に治療にあたったのは先生だからだ。私は専ら、彼の足を綺麗にしたり包帯を巻いたりする先生の手伝いに徹していた。それしかできなかったともいう。
「包帯を替える」
「ぴちちちちちちち」
なんだか仲良しそうである。この辺の子ではなかったようだけれど、打ち解けられたらしい。言葉が通じるというのは、強い。私は一方的に話しかけるしかできないので、一応懐いてくれているかも、くらいは分かるけれど、本当のところはどうか分からない。相手は野生だ、そう簡単に私に心を許すとも思えない。
(じゃ、私はお洗濯をしましょうかね)
私はまだ済んでいない家事を片づけるべく、先生とヒバリを残し、その場を離れた。
『ルシル! 俺はお前に居てほしい!』
「大人しくする」
『くっ! 痛い? 痛い?』
「動かない」
『わあー! ルシルー!』
フィリスはしきりに鳴くヒバリに容赦なく、包帯交換を実行した。ルシルには当然伝わっていないが、目の前のヒバリはフィリスよりもむしろルシルのことが好きであり、ルシルが近くに居るといつも『愛している』とか『俺の女神』とさえずっている。
「終わった」
『ぴー、生き延びた』
「傷は塞がっている。じき完治する」
『そしたら俺は高い空から彼女に歌ってあげるんだ。新作の……ラブソングを!』
「……」
フィリスはどうしたものかと眉間を押さえた。
『ルシルが俺を見つけてくれたんだ! あのときはもうだめかと思った! どうしたって痛かったんだ!』
ヒバリは訴えるように鳴き続ける。フィリスは「何度も聞いた」と低く返した。こんなにお喋りな相手に向き合うのは久しぶりだった。何かが削られていくような心地がした。
『新しい歌詞を考えないと。フィリス、聞いてくれるか』
この上新しいポエム制作に付き合うなど御免なフィリスは「手当は済んだ」と言って立ち上がる。ヒバリは『あ! どこ行くんだよ!』と咎めたがフィリスはスッとした視線でヒバリを見下ろし「二階」と告げた。
『そういうことを聞いたんじゃない!』
行こうとするフィリスに、引き留めようとするヒバリの長い声が巻き付く。フィリスはため息をついて、身を屈めた。
「ぴちち……」
その圧に、思わずヒバリも黙る。フィリスはそのままの姿勢でヒバリに声を落とした。
「……」
「ぴ……?」
洗濯物を干し終えて家の中へ戻ると、先生はリビングのソファで転がっていた。本日の診療は終わったらしい。籠の中のヒバリも落ち着いている。
「いかがでしたか、包帯の下は」
「……ほとんど治っている。もうすぐ外に出してやれるだろう」
「そうですか!」
嬉しい知らせに、私はヒバリに向かって「よかったね!」と声をかける。しかしヒバリは「ぴぃ……」と突然元気がない。
「え!? 具合が悪いの!」
傷はほぼ完治しているはずだし、さっき見に来たときはもっと元気だったはず。心配になるような、か弱い鳴き声は一体どうしたことだろう。
「先生! ヒバリが!」
大変だ、と思って叫んだものの、ソファの方からは「そっとしておくといい」と主治医の声。「本当に?」と先生の方を覗いたが、先生は転がったままだった。
(そう言うなら、大丈夫なのかな。そっとしておいた方がいいのかな)
不安になって余計なことをしてもいけない。私はヒバリに「じゃあそっとしておくね」と言い残し、そっとしておくべく、籠から離れた。遠くから見るヒバリはますます小さく、守ってあげたい心が疼く。
(あとでまた見に行くからね)
私がリビングを出ると、背後からぴちちと声が聞こえてきた。先生に何かお話しているようだ。
(それならよいです)
彼らの会話がどんなものなのか、私は全く分からないが、きっとデリケートな話だ。治療の経過を不安がっているのかもしれない。それなら先生の方が適任だ。
「うんうん」
よき主治医にあたってよかったね、と心の中で呟く。先生はなんでもできるのだなと改めて感心してしまう。
(あと少しで完治か。ちょっと寂しいけど、あの子は外で暮らした方がいいもんね)
未来のことなのにすでに名残おしくなっている。
(いや、元気に送り出してあげなくちゃ)
頭を振って悲しい気持ちを追い払う。
「さーて、今日のご飯は~」
やることはまだあるのだ。気を取り直して、今度は食糧庫に向かった。
それから数日後。先生の見立て通り、ヒバリは「完治」を宣言された。
「おめでと~」
私は籠と、下に敷いていた板をそのまま抱えて外に出た。放つ前にヒバリに顔を寄せて微笑む。
「もうケガしないでね。元気で暮らすんだよ」
「ぴちちちち」
私が籠を取り去ると、ヒバリは羽ばたき、そのまま空高く飛び上がった。
「おお! 先生、大丈夫そうです」
「ああ」
先生と並んで空を見上げる。ヒバリは黒い点となって高い空で停止した。そして。
「ぴちちちちぴちゅぴちゅ」
ひときわ美しい声で歌い始めた。
「わあ、綺麗な声。もしかして、お別れを言っているのでしょうか」
「…………」
『聞いてくれ! ルシル! お前に捧げる失恋ソングを! お前の幸せを祈って歌うぜ!』
「…………そうだな」
どうしてか、先生が返事をするまで長くかかったが、私の予想は当たっていたらしい。私はそのまま、ヒバリのさえずりに耳を澄ませた。いつまでも聞いていたい、素敵な歌だった。
『惚れた女はぁ~♪ 笑顔が似合うぅ~♪ そばにゃいられねえ横恋慕~~♪』
「いい声ですねえ」
「…………」
高い空に、歌声が響く。
お読みいただき、ありがとうございました!




