本編外:バレンタインデー
※ご注意※
現代パロです。
ここは日本。私はルシル。今私は、フィリスという学者の助手のようなことをしている。先生が研究のために日本にしばらく滞在するので、私も同行することになった。
日本に来てもう三ヶ月。先生はフィールドワークやこちらでの学会、他の研究者との意見交換などでとても忙しい。
私は助手といっても、四六時中先生について回っているのではない。先生が自分でするには手が足りない身の回りのことや、山積みになった資料の整理などが専らの仕事である。
そのため、滞在先は隣同士で部屋を借りたが、一日の大半は先生の部屋で過ごしている。都合、鍵も私が持っている。
外出するのは買い出しや、空いた時間に散歩するとき。ぶらぶら歩いていると、流石違う国。色々珍しいものに出会う。
今日は以前出歩いたときと街の様子が違うことに気が付いた。
(あれ……? こないだまで新年の飾り付けがしてあったのに)
草で編まれた複雑な飾りや、雪だるまのようにしたお餅やみかんなどに神秘的な美しさを見出していたのだが、それらがごっそりなくなっている。その代わり、赤やピンクのハートが大量に飾られ、何やら可愛い箱がたくさん置いてある。
(盛大だ。何かのイベントがあるのかな)
そして視線をうろつかせると、私でも読めるフレーズを見つけた。
——Happy Valentine’s Day
「HAHA―N!」
私は小さく叫んだ。そうか、これはバレンタインの贈り物コーナーなのか。成程。私たちが暮らしていた国ではあまりメジャーではないけれど、よその国ではバレンタインデーに大事な相手へ贈り物をする習慣がある、と聞いたことがある。
日本は礼儀正しいと聞くし、情に厚いとも聞く。ここまでたくさんの店がこぞって盛り上げているのも、やたらハートが飛んでいるのも、きっとそういう文化の表れなのだろう。
(私も、先生に普段お世話になっているし……)
じわ、と頬が熱くなる。何を隠そう、実は私は先生のことが好きなのである。ちなみに恋愛的な意味で。
けれど先生とは結構な年が離れていて、先生はまさか私がそんな気を抱いているとは思いもしないだろう。
想いを伝えて玉砕、解雇、別れの流れが容易に想像できるため、私は恋心を胸に秘めたまま何とか毎日自分の気持ちに知らぬ顔をして助手をしている。
(はあ~~~~)
目の前のHappy Valentine’s Dayから目が離せない。確か、大事な人、というのには家族親族だけでなくお世話になっている人も含まれていたはずだ。
(乗っかってみたい、このイベントに)
「お世話になっております」と渡したところで「世話などしていない」と言われそうと予想がつくけれど、滞在先が自分の国と違う文化を持っていたのでそれに興味があって~という言い訳で渡すのだったら不自然でもなかろう。
(よし)
私は店に並ぶ可愛い箱に近付き、どれにしようかなと選定を始めた。丁寧に、例として箱の中身が見えているものが置いてある。日本語があまり分からないのでありがたい。
(これは……チョコレートか。こっちは? チョコレートだ。これも? チョコレート?)
手に取る物が軒並みチョコレートであることに気が付いた。私は「おや」と首を捻る。
(日本ではバレンタインデーの贈り物といったらチョコレートなのかな)
これは面白い。先生は知っているだろうか。
(どれにしよう)
チョコレートと一口に言っても、とてもたくさんの種類が揃えられている。どのチョコレートにしようかと悩まされる。ミルクっぽいものからダークと思しきものまで。中にソースが入っているものやボンボンもあって、うっかり自分も欲しくなった。
これではせっかく年の瀬に打ち払われた煩悩とやらがまた蓄積されてしまう。
(先生は、シンプルなやつがいいかな……)
目移りしながら何とかひとつに絞り、会計に持っていく。ブラウンの包みに赤いリボンがかけられ、とても可愛い。しかもそれを同じデザインの紙袋に入れてくれた。しっかりと贈り物仕様にしてくれたのだろうか。
(わーい。嬉しい)
贈る側としてはとても気分が上がる。もらう方も、少しは喜んでくれるだろうか。異文化経験です、と言えば先生も面白がってくれるかもしれない。
そうだといいな、と思いながら私はチョコレートを大切に持ち帰った。
・・・・・・
そしてついにValentine’s Dayがやってきた。先生は朝早くから学会。その後、本当は研究者たちとのお食事会があるらしいけれど、行きたくないので行かないとのこと。
「ではお食事は戻られてからですね」
「……」
コートを着ながら先生が頷く。
「……夕方には帰る」
「承知いたしました」
私は「お気をつけて」と言いながら先生に鞄を渡す。先生は鞄を受け取ると、さくさくと歩いて出かけていった。バタン、とドアが閉まる。
「さてと」
今日は特に資料の整理はなし。部屋の中を片付けて、食事の用意だ。そして。
私はひとりほくそ笑んだ。あの日からしまってあるチョコレート。渡すチャンスは夜。帰りがけがいいだろう。
「えへへ……」
勝手に頬が緩む。先生はどんな顔をするだろうか。
夕方になった。そろそろかなと時計を見ると、家のベルが鳴らされた。先生だ。自分の部屋なのに、と毎度思うが仕方ない。「鍵は君が」と初日に早々、先生が私に鍵を任せたのだから。
「おかえりなさい」
「……ああ」
外は寒かったのだろう、先生の鼻先が少し赤い。早く温まってもらわなければ、と部屋の中に先生を通す。コートを脱ぎながら先生がキッチンへ顔を向けた。既に夕食の準備はできている。
食事は基本的に一緒に摂ることになっている。部屋が別だからといって別々で食べるのは、作るにしても片付けるにしても私が面倒だからだ。
「実は今日はお鍋というものにしてみたのですが……」
日本の食事に影響を受けまくり、私はついに憧れの『鍋』に手を出した。
「すみません。でも『お出汁』というのと味付けに自信がなく、ブイヤベースに近いものになりました」
「……」
先生が鍋の中を覗き、「ほう」といった様子で数度頷いた。
「ラヴィオリも用意があります。先に火を通しましたのでサッとお鍋で温めて食べようかと」
「……」
どうやら先生的にもアリらしい。よかった。
「お夕飯、いつもの通り十八時半でよろしいですか?」
「……君の都合のいいように」
「あら……」
他に用事がなければいつも決まった時間に食事をする先生だが、今日は特にいいらしい。お腹が空いているのかもしれない。
「では着替えられて、先生が落ち着かれましたら」
「承知した」
先生は上着を持って寝室に入っていった。
「お茶を淹れよう」
キッチンに赴き、ケトルを手にする。食事のことを考えると、茶葉の香りは軽めのものがいいだろう。
ほぼブイヤベースのお鍋は上手にできていた。体も温まってぽかぽかである。魚介の旨味がドバドバ出たスープに浸したラヴィオリも絶品だったと自負している。先生もたくさん食べていたのでお気に召したのだと思う。
夕食を済ませ、片付けをし、飲み物を作ったら本日の私の仕事は終了。隣の部屋に帰るだけなのだが、先生は毎度見送ってくれる。
「それでは失礼いたします」
「……」
先生が深めに頷く。これは私の中で「ありがとう」と翻訳されているアクションだ。いつもはこれでお別れなのだが、今日は違う。私は鞄の中に手を突っ込んだ。
「——先生、どうぞ」
「……?」
先生が不思議そうに私の取り出した紙袋を見つめている。
「あの、ど、どうぞ……」
少ししてもそのままなので、私は先生に受け取ってもらうよう促した。先生は首を傾げて手を伸ばした。
「何だ」
突然のプレゼントが解せないらしい。私は用意していた言い訳を吐いた。
「ご存じかもしれませんが、日本ではバレンタインデーに贈り物をする習慣があるみたいで……! 私もやってみました! おやすみなさい!」
「……」
先生からの返事も待たず、私は部屋を飛び出した。脳内では『バレンタインデー大成功』の文字が花火のように打ち上がる。
(チョコレート美味しく食べてもらえますように!)
達成感に満ち溢れた私はその日、大変気分よく就寝した。
「……彼女はここでの意味を知っているのだろうか」
隣の部屋で先生が紙袋を前に険しい顔をしているとは、夢にも思わず——。
お読みいただき、ありがとうございました!
つづく。