本編外:○○と言えば
エピローグ後のお話です。
イーダさんが遊びに来た。毎度のことながら突然来た。幸い、昼食を作り始める前だったので彼の分の用意が間に合った。イーダさんは我が城が如くキッチンに乗り込んできた。慣れた様子で自分のエプロンを戸棚から引っ張り出し、装着する。
「さて、何を作るの?」
あまりにも普通な様子だが、彼が家に来たのは三月振りである。まるで毎日居ます、というテンションに「すごいな」と思い、つい返事をするのに一拍遅れてしまった。
「……あー、ええと。スープと、チキンのハーブ焼きにしようかと。あと胡麻を練り込んだパンがあります」
本日の昼食のメニューを聞き、イーダさんは「わーい」と喜んだ。どうやら気に入ってもらえる内容だったらしい。
「スープは何のスープにする?」
「んー……」
そこはどうしようかな、と思っていたところだった。特に希望がなければ野菜のスープに落ち着くことになる。困ったときの野菜の優しい味のスープ。私が「どうしようかな」と思ったときに最も多く登場するのがそれだ。
私が考え中だと察し、イーダさんが体を捩じって私の顔を覗き込んできた。目をぱちくりさせてじっと見てくる。
「ご希望がありましたか?」
「ある!」
目を輝かせてそう言われれば、「じゃあそれで」という気持ちになる。
「何のスープにしましょう」
「スープと言えば、卵と玉ねぎのスープだよ!」
得意気に言い切られ、私は「そうなの?」と顎を引いた。卵と玉ねぎのスープを作るのに異論はないが、「スープと言えば」と言われて出てくるものがそれ、というのはちょっと面白い。私と感覚が違う。これはきっと人によって違うのだろう。
「ふふっ」
思わず笑い声を漏らすと、イーダさんが「何?」と訝しむ。私はイーダさんを笑ったのではないと弁明し、人には「定番」がある、ということを考えたら面白くなったということを説明した。するとイーダさんは首を傾げて視線を上にやる。
「ふうん。確かに、面白いね。ちなみにルシルちゃんはスープと言えば何なの?」
「野菜スープです」
「野菜って?」
イーダさんは視線を私に戻した。私は「そのときにあるもの?」と答えた。イーダさんはその答えに「じゃあ毎回変わっちゃうじゃないか」と口を尖らせた。
「そ、そうかもしれませんが」
「ずるいよ!」
何がずるいんだ。私は玉ねぎを切るべく皮をむき始めた。横からイーダさんが「ちょっとシャキシャキするくらいにして」と注文をつけてくるので、少し厚めに切ることにする。
「味付けは概ね同じ、具材は野菜、というのが私の定番です」
「季節によって野菜も変わりますからね」と言うと、そこで納得したのかイーダさんが「ああそうか」と謎のご不満顔を解いた。
「そうすると、フィリス師の定番って何だろうね」
先生の定番。私は玉ねぎを切る手を止めて考えた。先生の定番は何だろう。私がここに来てからメニューは私の一存でほぼ決まる。だから先生の「〇〇と言えばこれ」というご希望は聞いたことがない。出したものが「アリ」かどうか、その把握にとどまる。
「それはお伺いしてみたいですね」
私の言葉に、イーダさんが「ね」と頷いた。
先生が階段を降りてくると、急に居るイーダさんに対して特に言及はなく、普通に自分の席に着いた。イーダさんが元気よく「お邪魔してます!」と挨拶をしたが、「知ってる」という風に目を向けただけだった。
食事の準備は整っているので、あとは皆で食べるだけ。私とイーダさんはグラスとレモン水の入った水差しを持ってキッチンからバタバタ出ると、それぞれの椅子に座った。揃って「いただきます」と手を合わせ、昼食を始める。
先生がスープに手を出したのを見て、イーダさんが早速話題を振った。
「フィリス師、フィリス師はスープと言えば、と聞かれたら何スープと答えます?」
「……」
先生は少々眉を寄せ、ひとまずスープに口を付けた。美味しいらしい。よかった。そしてその間に答えを出したのか、スプーンを置いてパンをちぎりながら「ごった煮」と言った。私とイーダさんは自分が聞き取ったことが正確であるか自信がなく、先生に「もう一度いいですか」とお願いした。
先生からはやはり「ごった煮」と一言あるのみ。
「ご、ごった煮ですか……?」
どういうことだろう。めったやたら、何でも煮ておけばいい、という意味だとは思わないが、真意も分からない。
「フィリス師、何でも煮てあればいいってことです?」
戸惑う私たちに、先生は少々呆れた雰囲気を醸した。どうやら我々が思ったのとは違うらしい。
「違う」
声色から少しだけ「心外」という気配を察し、私は失言を悟って「すみませんでした」と謝ったが、イーダさんは「どういう意味ですか?」と質問を続けた。どうやらめげていない。流石、ハートの強さが違う。
先生はパンを咀嚼した後、「別に、好んでいるという訳ではない」と注釈をつけた。どういうことだろう、お好きという意味ではなかったのだろうか。私が首を傾げてみせると先生は紫の視線をこちらへ寄越した。
「好みを訊かれたのであれば君の作るもの、と答える」
(どきーん!)
「が、スープと言えばとのことだったので、自分が最も多く口にしたものを答えたというだけ」
ときめく私を他所に、イーダさんが「ごった煮のスープが一番?」と尋ねる。先生は「左様」と言って、チキンにナイフをあてた。
「自然の中での暮らしにおいて、いつも求める食材が手に入るとは限らない」
「……? はい」
(自然の中?)
「食材の都合、煮るしかないときもある」
「……? そうですね……?」
(食材の都合?)
「そういうことだ」
「???」
イーダさんがほぼ真横に首を倒している。私も情報量としては多いとは言い難いと思ったが、先生は説明しきったらしく、チキンを口に運んだ。美味しいらしい。とてもよかった。
(自然の中か……。先生、意外とアウトドア味の強い人だものね……)
キノコの種類はとてもよくご存じだし、ヘラやレードルなどの木製のキッチン用品は手作りしてしまう。おまけに山で見かける食べられる草が庭に植えられていたりもする。自然の中で調達した食材次第では確かに「煮るしかない」ときもあるかもしれないが、それが「最も多く口にしたもの」になるのはどうだ。先生がそういう状況に居たことを想像すると、何だか心配になる。
「あ、先生。では」
私は思い付いたことを口にした。先生がもぐもぐしながら「何だ」と目で応えた。
「ソテーと言ったら何でしょうか」
「ソテー」
イーダさんが復唱する。私的には気持ちを切り替え、お肉か魚か、お肉なら何のお肉か、魚なら何の魚かを聞いたつもりだった。もしもお好みがあれば今後それを念頭に置いてメニューを考えたい。しかし先生は少々難しい顔で「好みの話だろうか」と聞き返した。
私が「そうです」と返事をすると先生はもう少し難しい顔になった。どうして。
「……ウナギ」
「「ウ、ウナ……!」」
私とイーダさんはのけ反った。肉か魚かということについては、確かに魚という回答であり、私の質問の意図にも沿ってはいるのだが、どうも予想した回答が返ってこない。私たちは自分たちの世界が力技で広げられているような感覚に浸った。
「僕、ウナギってちょっと苦手……」
「私は平気ですが……」
地元では兄弟が川で取ってきたときに食べることはあったけれど、コートデューではウナギは出回らない。せっかく先生にお好きなものを出そうと思ったのに、食材が手に入らないのではどうしようもない。
「くっ……!」
悔しさが声になって漏れると、先生は静かに首を横に振った。
「いい」
心が読まれているのか、先生は「別にいい」と繰り返す。そして私たちに向かって僅かに目元を和らげる。
「そちらは」
「「え?」」
比較的柔らかい顔に、私よりもイーダさんが衝撃を受けている。その上「そちらは」とは、もしかして。
「君たちの好みは」
まさか聞き返してくれるとは思わなかった。私とイーダさんは目を瞬かせながら互いを見合う。
「——チキンです!」
「——鹿です!」
バッと先生の方へ向き直りながら一斉に口を開く。私は「チキン」、イーダさんは「鹿」と。先生は両方聞き取ったらしく「そうか」と一言。
「覚えておこう」
先生はそう言うと、食事を再開する。私とイーダさんは「覚えておいてくれるって」と目で会話をする。先生が興味をもってくれたことがまず驚きだし、覚えておいてくれる、という言葉に激震が走る。先生は社交辞令を口にする人ではない。だから、本心でそう言ってくれているはずだ。
黙々と昼食を平らげていく姿が愛しい。
「えへへ」
「ふふふ」
私とイーダさんが一緒に頬を緩ませる。嬉しくて舞い上がり、私たちはつい調子に乗った。
「先生、ではパンは?」
「フィリス師、ジャムは?」
「……」
「紅茶は?」
「サラダは?」
「…………」
先生の眉間がグッと寄った瞬間、私たちは「あ。まずい」と悟った。食事の邪魔の域に踏み入ってしまった。私は危険地帯からの撤退を図るべくイーダさんに「もう黙ろう」と目配せをした。
「……」
聞こえたため息の音。私たちはいよいよびくりと固まった。しかし、続いて届いたのは呆れながらも、温かい声。
「冷める。話は食後に」
「「……はい!」」
途端に元気になった私たちは、目の前の食事に楽しく向き合った。チキンのハーブの具合がいい。上手にできた。胡麻のパンも、いい香り。
食事を終えたら、お茶を淹れてゆっくり話そう。
お読みいただき、ありがとうございます!




