本編外:新しい服を
エピローグ後のお話です。
「うわあ」
作業中、嫌な予感がした。立ち上がってみると、案の定スカートのお尻の部分が真っ黒になっていた。靴やカバンの手入れの最中、夢中になっていたら靴墨がどこかにいっていた。知らぬ間にスカートの裾が攫っていたらしい。そして擦れてスカートがえらいことになっていた。
「洗って落ちるかしら……」
靴墨は油染みだ。どうやって落とすか考えるよりも、今の服を完全に作業着として、新しい普段着を拵えた方が現実的かもしれない。
「ここのところ、新調もしていなかったし……」
べったり黒くなったスカートを見て、ひとり呟く。
「よっこらせ」
手入れしていたものを片付け、替えの服に着替えると、新しい服を作るべく布地を出してきた。幸い、お買い得のときに仕入れておいたものがある。
(たまには気分を変えて、ドットもいいよね。あ、こっちの花柄も可愛かったんだった)
ベッドに布を広げ、構想を練る。
「うーん」
腕を組んで悩むこと十分。悩んだ末、緑の地に白い小花柄の布を手にした。最近店で袖口が折り返しで別の生地になっているデザインを見て可愛いと思ったから取り入れてみたい。
結局、袖を捲ってしまうことが多いけれどそれはそれ。これはこれだ。
「次は型に起こしたいけど……私サイズ変わってないかな……そもそもサイズのメモどこにやったっけ……」
ごそごそとめぼしいところを漁ったが、メモは見つからなかった。重なる引っ越しの最中に消失したのだろう。今まで着ていた服を測ってもいいけれど、どうせ作るならきちんと今の自分に合ったものを作りたい。私はメジャーを取り出し、自分の身にあてて身体測定を開始した。
「くっ……! やはりひとりでは無理がある……!」
私は悔しさを胸に、自室の天井を見つめた。
先生に「助けてください」とお願いをしたのは、お昼ご飯を食べ終えたとき。新しい服が必要になった経緯を説明し、自力で採寸するのが難しいことを伝えた。先生は「いいよ」と言うように簡単に頷いた。
「ありがとうございます! あの、もしよろしければ先生のお洋服も……」
いつ見ても、どこから見ても、先生の服はいつも同じだ。これは私の勝手な想像だが、お洒落に拘り追求した結果、ああいうことになっているのではないと思う。
(先生が「これでよし」と思って着ている以上、口を出すつもりはないけれど)
もしかしたら、「作りますよ」と言えば何かご希望があるかもしれないと思い、せっかくの機会なので、一応何かないかとお声をかけてみた。
「足りている」
「——はい」
あっさりと返ってきた答えに、私はにっこりと笑った。お言葉から察するに、先生の黒いシャツや黒いズボンの在庫は十分に確保できているということだろう。それ以外の選択肢はないらしい。
(いや、押し付けちゃいけない。黒以外も見たいとか、私の下心から生まれた親切を、押し付けちゃいけない……!)
心の中でひとり葛藤する。
「片付けたら始めよう」
先生は私の質問に答えたら問答は終了としたのか、昼食の食器をさっさと片付けようとしている。遅れをとるわけにはいかない。私も席から立ちあがり、空のプレートに手を伸ばした。
「では」
「はい」
私の採寸はリビングで行われることになった。メジャーを手にした先生がゆらりと立つ。私は先生に「首回りと肩幅と裄と丈をお願いします」と伝えた。胸囲と腹囲は機密事項なので自力で測る。
先生は「真っ直ぐ立って」と言ってメジャーをピンと伸ばした。私は気を付けをしてビシッと立つ。背後に回って先生が後ろからメジャーを回した。目の前で先生の掌が見えた。一瞬首回りを抱きしめられる錯覚に陥ってどきりとした。間近で背中を取られると緊張する。
「31センチ」
「ありがとうございます。首回りはさんじゅ……」
早速メモしようとして動いたら先生にガシリと肩を掴まれた。何事かと首だけ振り返れば、鋭い紫の目に見降ろされる。「動くな」と言われている気がした。
「真っ直ぐ、立つ」
「は、はい……」
このまま採寸続行らしい。何ということだ。書き留められない。忘れないように頭の中で「首、31、首、31」と繰り返す。このまま首回りに加え、肩幅と裄と丈を覚えていかないといけないのか。淡々とメジャーをあてる先生を背に、私はこっそり青くなった。
「……」
「…………」
(首、31)
「次」
「あ、はい……」
「……」
(肩幅は何センチだったのだろう)
「次」
「…………」
首回りのサイズが告げられたのは気まぐれだったのだろうか。早々に「何センチ」と言われなくなった。きっといちいち言わなくてもいいと判断されたのだ。
(私も、覚えていなくていいのかも)
先生が覚えておいてくれるのなら、私は大人しく立っていればいいのだろう。メモも取らせてもらえず、教えてももらえないのならそういうことに違いない。
「次」
あっという間に最後——丈を測る段階になった。早い。仕事が早い。最後だと思うと一層気が引き締まる。気合を入れて真っ直ぐになると、頭上で息の漏れる音がした。
「……固くならずともいい」
(む……)
思わず頬を膨らませる。お互い見えていないはずなのに、先生が表情を和らげたのが分かった。
「終わった」
サラサラサラと先生がメモにペンを走らせる。期待通り、まとめて先生が書いてくれた。
「ありがとうございました!」
私はメモを握りしめて元気にお礼を言った。先生は「いや」と首を横に振る。
「大したことはしていない」
「自分では難しいので。肩幅なんてお手上げです。でもこれで新しい服が作れます!」
「……ふむ」
(わーい)
メモを掲げて喜ぶ私を見ながら先生は首を傾げた。
このときの私は制作に取り掛かれると相当はしゃいでいたので、先生の視線の意味に気づくことができなかった。
事件が起きたのは、少ししてから。
「な――何ですかこちらは!」
「君がかかりきりの間、久々に針を持ってみた」
出来立ての新しい服のお披露目をしようとルンルンと袖を通してリビングに出ていったら見慣れぬガウンが椅子に掛けてあった。先生は何食わぬ顔で、仰天している私の質問に答えた。その答えに私が一層目を剥いたのは言うまでもない。
「久々に⁉ 針を⁉」
「知り得た情報ではこれが限界」
「……! ……⁉」
「肩幅と丈は先日測った通りだが、身幅は適当」
(な、何故??? 久々に? 針を持った? どうして私は先生にお手製のガウンをいただいているの?)
先生が寄ってきてガウンを手にし、普通に手渡してくるので、私は混乱しながらガウンを着てみた。ぴったりである。先生は満足そうに頷いた。
(えええええ。そんな。こ、こんな……! こんなことなら……!)
抑えきれぬ思いが噴水の如く噴き出す。ガウンの着心地がいいとか、何やってるんですか、とかはとりあえずさておき。
「せ……先生にも何かお作りします! 測らせてください!」
とても貰うばかりではいられない。私はガシリと先生のシャツを掴んだ。
「私はいい」
「そこを何とか!」
「いい」
信じられないほど普通に断られ、あまつさえシャツから手も引かされた。私は完全に言葉を失う。
「よくできている」
おそらく私の新調したワンピースのことを言ってくれているのだろうけれど、ガウンの登場で完全にかすんだ。
(……この冬は手袋とかマフラーとか編んじゃいますからね!!!)
新しい服に身を包み、私は今冬絶対に先生にプレゼント攻撃をお見舞いすることを誓った。
私の心の内など露も知らず、先生は私を眺め、「よくできている」と繰り返した。
お読みいただき、ありがとうございました!




