本編外:花を編む
エピローグ後のお話です。
先生の家はたくさんの植物に囲まれている。季節が巡り、自分の番だと咲き誇る花々。どこかから種が飛んできて、自然と根付いた植物もある。特に家の前の庭はちょっとした原っぱになっているので、野花がたくさん咲く。
花壇だけではなく、そこら中に花が開く季節は庭のどこに居ても楽しい。家の中に飾る花は尽きず、どれをどう飾ろうかと悩ましい。
「わあ、すごい。満開だ」
温かくて穏やかなある日、連日ぽかぽかだったからか、次の季節に控えていた蕾が一斉に開花していた。玄関を出たら芳しい香りに包まれる。大輪の花や、小さな花。大小様々、色とりどり。楽園とはこのこと、というくらい鮮やかで美しい光景が広がっていた。
私は嬉しくなって、家の周りをじっくり歩いた。虫たちも喜んで飛び回っている。
「少し前はミモザがとっても素敵だったけど、今度はバラやシャクヤクが綺麗だな」
花の匂いを嗅ぎながら庭を一周し、前庭に帰ってきた。そこにはぶわっとわさっと咲くシロツメクサ。白の一群が眩しい。私はこの季節の庭がとても好きだ。
「よいしょ」
庭の真ん中に座り、景色を楽しむ。家のバルコニーが見える。先生はその向こうの研究室に居るだろう。バルコニーに出れば、上からこの光景が一望できる。たまに先生はそうして庭の景色を眺めている。
(きれいだな、きれいだな)
心が洗われるような気持ちで日向ぼっこしていると、「そういえば」とふと思い付く。
「お花の冠ってどうやって作るのだっけ……」
子供のころに姉から教わり、妹にせがまれて何度か作ったことがある。今でもまだ作れるだろうか。
私はシロツメクサをプツリと摘み、試してみることにした。
「まず二本をこうして」
くるりと茎を回す。始まりは大丈夫、と思った途端、記憶がパッと戻ってきた。
(あ、これの繰り返しだ)
記憶と感覚を頼りに、三本目、四本目とシロツメクサを編んでいく。どのくらいの大きさにするか決めていなかった。あまり短くては円にしづらいので、適当な長さまで編み続ける。
どのくらい時間が経ったかは分からないが、しばらく夢中で編み、やがて花輪が完成した。久しぶりだったので少し不格好だが、ちゃんと輪になった。
「おおー」
掲げて陽に照らす。白と緑の輪の輪郭がきらりと光った。
「……」
幼いころの妹を思い浮かべ、そっと頭に載せてみる。一人遊びなのに、少し気恥ずかしさに襲われた。
(リース、そうだリースとして玄関のドアに飾ろう)
「ルシル」
「ぎゃ!」
突然背後から呼ばれ、思わず叫ぶ。振り返ればいつの間にか先生が後ろに立っていた。体を動かした衝撃で、頭からぽろりと花輪が落ちた。
(み、見られた……!)
見られたら困る、ということもないのだが、幼い妹の真似をしてみた手前、子供っぽいところを目撃されたような気がして恥ずかしい。
私は慌てて誤魔化すように「御用ですか」と無表情で佇む先生に尋ねた。しかし先生は私の質問には答えず、さっき頭から落ちたシロツメクサの花冠に視線を移した。
「……君が作ったのか」
「はい、あの、その玄関のドアに飾ります」
先生は「そうか」と言って庭を見渡した。眩しさからか、紫色の目が細められる。どうしたのだろう、と先生を眺めていると、不意に先生は身を返し、家の方へ歩いていく。
(!?)
一体何だったのだろう。ただ様子を見に来ただけだったのだろうか。特に用がある訳ではなかったのか。
「あら……? どちらに……?」
目的は達成され、家に戻るのかと思いきや、先生は玄関には入らずそのままテクテクと家の裏の方へと行ってしまった。建物の陰に姿を消し、どこに何をしに行ったのかは分からない。
ついてこいとも言われていないので、追いかけるのも躊躇われる。
「ま、いいか……?」
首を捻り、先生が歩いて行った方から視線を外す。きっと用があればまた戻ってくるだろう。
「もう一つ作っちゃおうかな」
私は遊びを続行することにし、自分の部屋に飾る用としてまたシロツメクサを編むことにした。
「あとは、ここを通して。茎をこうして仕舞って」
さっきよりも早く作れるようになった。もう完成、というところで私は自分に近づく気配を察知した。
(先生)
思ったより離れていたが、先生がこちらに向かってくるところだった。が、その手に何か大きなものを持っている。
「ん……んん? あれは一体」
目を凝らすと、何やら大きな花輪に見える。私のシロツメクサ製とはどうも様子が違う。
「あの、先生? それは」
近くまで来た先生に当然質問してみる。先生は私の方へ花輪を差し出した。ゆさっと花弁や葉が揺れる。
「シャクヤク、カーネーション、カンパニュラ」
どれも庭で咲いている花だ。私は数種の花で作られた輪を手にし、ほれぼれとして見つめた。隣に先生が腰を下ろし、言葉を続ける。
「好きなところに飾るといい」
「あ、ありがとうございます」
先生は無言で頷いた。何故か自信あり気な面持ちをしている。
(ひ、ひょっとして……)
「手伝ってくださったのですか……」
「……」
頷き、ではなく瞬きと僅かな首の動きが返事だった。どうやらそういうことらしい。私が家に飾るものを作っていると理解し、先生も助力してくれたようだ。「花瓶が総出だからな」と言っている。間違いない。
そうと分かればもう一度「ありがとうございます」とお礼を言えば、先生の目が私の頭のてっぺんに向く。
「自身でもいいが」
(…………?)
一瞬、何を言われたのか分からずキョトンとしてしまった。「何が?」と思った矢先、先生は、今しがた完成したばかりの私の編んだ白い輪に手を伸ばした。そして、ごくごく自然に、それを私の頭へ置く。その間、私はただ目を瞬いているだけだった。
「…………」
どんどん顔が熱くなっていく。頭に載っているものが異様に重く感じた。恥ずかしい。照れくさい。あまりの照れくささにどうしたらいいのか分からず、私は少しやけになって手にしていた先生作の花輪を頭に載せた。ダブル花冠だ。
「~~そ、そうですか! ど、どうですか!」
目を合わせられない。「そうですかどうですか」とは。私は何をやっているんだ、と頭の中で自分につっこんだ。
(ああもう)
心の中で泣きながら先生の次の反応に構えたとき、強い風が庭を吹き抜けた。森の木々や草花が音を立てて揺れる。花冠ごと頭を押さえて風に耐えると、花弁が数枚ひらひらと落ちてきた。
「つ——強かったですね」
頭から手を離して先生を見ると、先生の頭や肩に花びらが付いている。今の風で運ばれてきたのだろう。何せ、辺りは花だらけだ。
(…………うわあ)
白い髪に淡いピンク、黒い服に白の花弁がよく映える。うっかり見とれてしまい、目が離せない。降り注ぐ日差しが神々しささえ演出する。
まるで絵の中にいるかのような、そんな錯覚に陥った。
「…………」
ゆっくりと先生の手が私の方へ伸びる。
「……っ」
顔の前に骨ばった手がきたとき、反射的にぎゅっと目を瞑った。微かな感触が鼻先を掠めた。
「取れた」
目を開けば、先生の手には黄色の花弁。私の顔に付いていたのだろうか。意識が先生にいっていたせいで、何も気が付かなかった。
「どうした」
反応のない私を不思議に思ったのか、先生が尋ねた。あなたが素敵で見惚れていました、なんてとても言えない。その代わりに。
「……先生にも、付いています」
私は先生と視線を合わせないようにしながら、「失礼いたします」と手を伸ばした。先生の髪を飾っている花びらに触れる。先生は大人しくジッとしていた。
「取れました」
「……」
先生は「おや」という顔をした。先生も、自身のことには気が付いていなかったらしい。それが少しおかしくて「お似合いでしたけれど」と小さく付け加えてみた。
「…………」
途端に先生の眉が数ミリ寄った。しかし空気で分かる。これは、機嫌を損ねたのではない。
「君とは競えぬ」
「え」
先生はそう言って、私の頭の上にある花冠をきちんと載せ直した。私はまた「え」と戸惑ったが、先生はスッと立ち上がる。
(あ! これは! ず、ずるいやつ……!)
赤くなった私を残し、先生はすたすたと今度こそ家へと戻っていく。家の中へ入る手前で、一瞬振り返ったその目は、優しく細められていた。まるで、陽の光に目を眩ませるように。
「君も彩りの一部であることを知るといい」
柔らかな日差しが辺りを照らし続ける。先生が去り、心を乱されて見た庭は、一段と美しく見えた。
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