本編外:コートデューの花祭(2)
花祭当日。私は出店の準備のために朝早くからキッチンで作業をしていた。張り切ってたくさん用意したは良いものの、一抹の不安が過ぎる。
「売れ残ったらどうしよう」
そうなったらもうどうしようもない。「もらってください」と配るしかない。でもそれはちょっと悲しいなと一人視線を落としていると、二階から先生が降りて来た。
普段通りの格好の先生に、私はつい「あら」と声を上げた。声を聞いた先生が首を傾げる。
(審査員なんだよね? もうちょっとこう、カッチリした格好でなくてよいのかしら?)
「いつもの格好でよろしいのですか」と柔らかく質問してみたが、先生からは「気楽な会だ」とまるで身内の食事会にでも行くかのような回答。勝手の分からない私は「先生がそう言うならまあいいか」と納得し、本日の商品を朝食として提供した。
先生の反応からして、及第点。
「品評会は9時からでしたっけ」
当然ながら審査員をしている先生を見たい。出店は10時からなので、少しだけなら覗けるかもしれない。
「関係者以外立ち入り禁止ですか」
「いや」
「見に行きますね」と言うと、先生は静かに頷いた。よかった、駄目と言われなくて。
「終わったら広場に行く」
「はい」
何だか待ち合わせをしているようである。口元を抑えて喜びに耐えた。
◇◇◇
「おはよう! ルシルちゃん!」
「おはようございます」
広場の指定の位置にシートを敷き、持って来たものを設置しているとリリアさんがやって来た。
「リリアさんはどちらにお店を?」
「アタシはあっち」
リリアさんの指差した方を見れば、五六のスペースを挟んだ左だった。その場で炭火焼をするためのワゴンが設置されている。
「ルシルちゃんは何を出すことにしたの?」
リリアさんの視線の先には私が持って来た箱。箱にはしっかりシートをかけて、中身が見えないようにしてある。
「まだ内緒です」と笑えば、彼女は「えー!」と頬を膨らませた。
「そうだ、あの、図々しいとは思うのですが」
「……なあに」
不貞腐れ気味なリリアさんにちょっとだけこの場を見ていてもらえないかとお願いした。
「アタシも自分のとこ見てるし、ここにいるからいいけど……どうしたの? 忘れ物?」
「品評会、覗いてきたくて」
「……あんまり楽しいもんじゃないわよ」
眉を下げて言うリリアさんに私は「え」と目を点にした。
『コートデュー香油石鹸品評会会場』と看板の立つ会場にやって来た。大勢の人が見学に来ていて「うわあ凄い人だかり」と思ったところで、違和感に気が付く。
今日は間違いなく花祭であるからして、街をあげての楽しいイベントである。そこで並行して開催する品評会も恐らく素敵なものなのだろうと思っていた。
――が。会場は人がたくさんいるにしては静かだったし、非常に重々しい空気が漂っていた。
(どこが「気楽な会」なんでしょうか)
頑張って人の隙間を縫い、背伸びをする。見たことのある石鹸工場の人たちや、商工会の人が席に着いていた。そして、「審査員席」と書かれたテーブルにはコルテスさん、熟練職人の皆様、先生。
「……お願いします」
「…………」
固い声と共に石鹸が提出される。審査員はそれぞれ手に取り、吟味する。その間誰も何も言葉を発することなく、審査員や提出者だけでなく、周りで見守っている人皆が緊張感に包まれていた。勿論、私も。
「ではご講評を」
進行者が審査員席に発言を促すと、コルテスさんから順に評価が述べられた。概ね良好な評価に、提出者のおじさんはホッとした表情になる。しかし、最後に構える先生の番になったときにはカチコチになってしまった。
「……」
先生はただ、ひとつ頷いた。
(え。何も言わない)
私が不思議に思った瞬間、周りから安堵のため息が漏れる。
(……あ、いいんだ)
小さい声で聞こえてくる「良かった」「助かった」の声に、私は妙な気持ちになった。品評会の会場がピリピリしているのは先生のせいだろう。私が見る限り特別不機嫌でも何でもないのだが、先生が無自覚に放つ威圧感に、皆過剰に気圧されているらしかった。
「……質が落ちた。もっと丁寧に濾した方がいい」
「はいい! 申し訳ございません!!!」
何人か後。駄目出しされた石鹸工場の人は土下座しそうな勢いで謝った。普段和やかで和気あいあいとしている街の印象とはかけ離れた、何だか辛そうな会だと思った。
こうしてこの街の香油石鹸は品質が保たれているのだなあと納得し、私は皆さんに「頑張ってください」と心の中でエールを送り、会場を後にした。
◇◇◇
ルシルがいなくなった。そろそろ10時か。
フィリスは遠くで難しい顔をしていたルシルが人込みに消えて行ったのを確認し、現在時刻を推測した。手元の出品リストのまだ三分の一にもなっていない。ルシルのところに行くのは昼を過ぎるだろう。
「よ、よろしくお願いいたします……!」
世代変わりした、古くからある工場の新しい主が新作という石鹸を持って来た。先代であるその父親が見学者に混じって見守っている。当代と見比べ、親子だけあって若い頃の姿がよく似ていると思った。
ふわり。
フィリスは提出された石鹸の香りを確かめた。顔を上げると、緊張した面持ちで立つ当代と目が合う。
「蜜を混ぜたか」
「ッ! はい!」
フィリスは再度香りを試し、頷いた。
「よい出来だと思う。趣向が目新しい」
「!!」
当代と先代が膝から崩れた。どうしたのかと思えば、嗚咽のようなものが漏れ聞こえてくる。泣いているらしかった。周りからもどよめく声があがる。
フィリスは内心呆れた。彼らは自分の一言に一喜一憂し過ぎる。もうここまでできる実力があるのだから、自分の評価を全てだと思う必要は無い、と思った。
「次。ド・レーヌ商会。外部より今後の参入を希望しています」
「よろしくお願いします」と笑った紳士に、フィリスは「ほう」と目を向けた。外部からというのは珍しかった。とりわけ、自信に満ちているその表情が。コートデューの者であれば、皆自信があっても恐々と持ってくる。フィリスはレーヌ氏の持ってきた石鹸を新鮮な気持ちで取り上げた。
いよいよ来た、とコルテスは身構えた。あれからやはり自分の中で迷いは消えず、この日を迎えてしまった。提示された石鹸は先日自分のところにもたらされたものと同じもの。
「講評をお願いします」
コルテスは口を開き、閉じた。香りは間違いなくラベンダーの精油。純度に問題はない。手触りも良好。だが。
それをそのまま言うべきか。コルテスはふとフィリスを見た。フィリスは目を瞑っていた。
駄目だ。俺が言わなきゃ。
「――あの」
「その前に!」
見方によっては陰鬱な空気漂う会場に場違いなくらい朗らかな一声を放ったのはレーヌ氏だった。一斉に会場の人々の目が紳士に向く。発言を遮られたコルテスはジっとレーヌ氏を見据えた。そんなコルテスに構わずレーヌ氏の言葉は続く。
「新参者から少々よろしいでしょうか」
レーヌ氏はあの笑顔を浮かべ、揚々と前に進み出た。驚いて固まっている一同から「否」の声が無いことを良いことに、レーヌ氏はそのまま語り始める。
「わが社の石鹸、本日はラベンダーをお持ちしましたが、既に種類は二桁を超えております。品質はどれも徹底的に管理し、一定を保つよう整備しました。きめ細かい泡の使用感は高評価を得ております」
「どのように管理徹底を」と審査員の一人が質問をする。レーヌ氏は「よく聞いてくださいました」と歯を見せて笑った。
「最近発明された機械の導入を促進しております。人の「あ!」という不注意やムラがなくなります。おや、機械作業は規制されていませんよね?」
「ええ。おっしゃる通りです」
コルテスは固い声で応じた。会場から興味を持った石鹸工場の関係者が「その大掛かりな機械の導入経費を賄えるほどの利点があるのか」と更に質問を重ねる。
「ありますとも! 皆さん驚かれるかもしれませんが、何とこの石鹸は皆さんが作っている石鹸の半分のコストで出来ているんです!」
会場がどよめいた。石鹸工場の主たちだけでなく、コルテスも目を見開いた。聴衆の反応に気を良くしたレーヌ氏の口は止まらない。
「しかも大量生産が可能! 香油の抽出だって、石鹸を練るのだって、収穫だって全て機械がやってくれます!」
「!!!」
レーヌ氏は昂った気を整えるよう、大きく息を吐き、周りを見回した。
「…………」
案の定、ちまちまと大部分を手作業でしか行えていない彼らは固まっている。ここまで知れば、『香油石鹸』として認めざるを得ないだろう。レーヌ氏は強い期待を込めて、コルテスを見た。
「……」
コルテスは静かに立ち上がった。伏せていた目が、ゆっくりとレーヌ氏に向く。
「レーヌさん」とコルテスの発した存外どっしりした声に、レーヌ氏はわずかに鼻白む。すっかり圧倒したと思っていた若輩商工会長からピリリとした気配を感じた。
「ご教授いただき、お礼を申し上げます。基準で収穫作業について触れることを失念しておりました。この度、収穫の規定を設けさせていただきます。機械、禁止と」
「な、なんだと!?」
レーヌ氏は赤くなって憤慨した。
「そんな後付けの……! コロコロと動く規定で良い訳がないでしょう! そんなに余所者の参加を認めたくないのですか!」
「そう言われてしまっても仕方がありません。この点は、本当にこちらの手落ちでした。申し訳ありませんでした。収穫を手で行わないなんて、ここの人たちは考えもしないので」
「では新たなアイデアとして検討すべきです。古くからのやり方に拘ることを拘るのは悪習ですよ」
審査員の熟練職人たちはレーヌ氏の言葉に「む?」と眉を上げたが、レーヌ氏は気が付かずにそのまま抗議を続けた。
「機械作業による収穫で何が変わると言うのです。石鹸の質の違いなど分からなかったでしょう!」
「あなたの持って来られた石鹸のこの強い匂い。自分はどうしてか悲しい気持ちになります」
「そんなあやふやな感想で……! 責任ある者の発言としていかがなものでしょうな!」
ゴトリ。
不意の、人の声以外の音が周りの人々の注意を引いた。ずっと静かに佇んでいたフィリスが、石鹸をテーブルに置いた音だった。
「濃度の高さは不都合を隠すため」
唐突に口を開いたフィリスに、会場中の視線が集まる。レーヌ氏以外、皆待ち構えていたかのような気持ちになった。
「葉。枝……土。乱暴に収穫した原料の匂いが花弁に移っている。精油は保たれた純度かもしれないが……花そのものが雑に扱われることでわずかに残る雑臭をごまかすために濃度を高めているのだろう」
「……!」
香りに残る、傷ついた植物の悲鳴。コルテスが感じ取った違和感は、それをごまかす強い匂いと、自らの方法が最適と思うレーヌ氏の傲慢さだったのである。
「彼は勘が良い。私が言わなくとも、気が付いただろう」
フィリスは目でコルテスを示した。コルテスはたまらない気持ちを押さえ、背筋を伸ばす。背中を押して貰った。コルテスを迷わせるものはもう無い。
「大がかりで粗雑な収穫はやはり認められません。この街は自然に生かされている。いや、自然と共に生きて行きたい。この規定は、権威的に設けたものではありません。自分達の製品の優越を図り、他を排除しようというつもりは無いのです。街を守るために、規定があるのです」
レーヌ氏は相容れなさにむしゃくしゃし、頭を掻きむしった。分からずやで頭の固い人間たちはこれだから、と口の中で呟く。
「そんな誇りのために、せっかくの石鹸産業が発展のチャンスを損ない続けるのを良しとするあなた方が分からない。機械の発明だって、これから益々進んでいくのに!」
「ここは、商いのために街があるのではない。街のために商いがあるのです。機械を使う・使わないは関係ない。たとえもし、この石鹸製造が街を壊すと分かったら、さっさと止めて次の商業の方法を考えます」
「は!?」
レーヌ氏は目を剥いた。心底、何を言っているんだと思った。
コルテスは目の前の紳士に言い放つ。
「俺は『石鹸業者組合』の会長じゃない。『商工会』の会長なんで」
◇◇◇
レーヌ氏は赤い顔でコルテスと周りの人々を睨み、憤慨して去って行った。会場中の人々は、思えばあからさまだったレーヌ氏の自分達を見下した態度に腹を立て、口々に「けしからん」ともうそこに居ないレーヌ氏に向かって散々悪態を吐いた。
コルテスはホッとしたのと同時に、後ろ暗い気持ちに襲われていた。
「先生」
品評会が終わり、会場を出て行こうとするフィリスに声をかける。フィリスはコルテスの冴えない顔をジッと見つめた。
「すみませんでした。俺、石鹸の商売を誇りに思っています。街に良くないなんて、ならないし、させません。さっきは……ああ、皆にも何て言ったらいいか……」
「よく言った、と思った」とフィリスは淡々と答えた。コルテスは「え」と目を点にする。フィリスは幼い頃から良く知るコルテスの目をジッと眺めた。
「よく見えている」
フィリスは目元を和らげ、コルテスを一瞥すると背を向けた。
「せ、先生!?」
さっさと行ってしまうフィリスにコルテスは困惑して呼びかけたが、軽く手を挙げるだけの返事がなされるだけだった。相変わらず、言葉が少なくて困る。
呆然とするコルテスに近づいてきたのはさっきまで審査員を共にしていた熟練職人たちだった。そのうちの一人がバン、とコルテスの背中を強く叩く。コルテスは衝撃で「コホ」と咳をした。
「偉かったぞ!」
「こちとら好きで田舎に住んでるんじゃい!」
「一人で背負い込むんじゃねえぞ。でもじじいはこき使うな、若いのを使え!」
職人たちは機嫌良く「さあ飲みに行こう」と肩を組んで歩いて行く。コルテスは会場に居た人々に代わる代わる背中を叩かれたり、頭をぐしゃぐしゃにされたりと絡まれた。コルテスの「痛いんですけど!」という悲鳴が上がり、周りは笑い声に包まれた。
背後で聞こえる喧騒に、古い記憶が蘇ってきた。彼の子供時代に「おじいちゃん」と呼ばれたことは永劫忘れまい。
街を愛し、自分の庭の如く様々なところに顔を出していた少年は、街の支えとなることを望み、励んだ。
『この街は、自分達の力で、まとまるところが必要です』
それが皆どれ程嬉しかったことか。君は知らないのだ。
お読みいただきありがとうございます!




