本編外:コートデューの花祭(1)
本編完結後のお話
「はあ……」
『コートデュー商工会』と看板が掛けられた建物の中で重々しいため息が漏れた。窓辺に佇む猫が不審そうにため息の主を眺めている。当の本人は猫の視線には気づかず、手元の商品に集中していた。
試供品と書かれたソレは、高級感溢れる上質な紙に包まれ、金色の字で『ラベンダー』と書かれている。裏返すと「ド・レーヌ」という製造者名の印字。
「はあーあ」
コルテスは項垂れ、声と共に再度大きく息を吐く。近くに居た商工会の職員が時計を見て商工会長に声をかけた。
「コルテスさん、もう先生のところに行く時間じゃないですか」
「……ああ、そうか。行って来ます」
コルテスは張りの無い声で返事をしながらのそりと立ち上がると、足取り重く商工会を出て行った。後に残された職員たちは顔を見合わせる。
「いつもだったら『わ! 本当だ!』って慌てるのに」
「悩んでるなあ……」
職員たちの目は自然とコルテスの机の上に向いた。そこには上質な紙に包まれた石鹸が澄ました顔で佇んでいた。
◇◇◇
我が家に花咲く季節がやって来た。季節毎に表情を変える庭は、例えるなら今はニコニコ顔。そこらじゅうで花が爆発的に開花している。先日までちょっと寒かったのだが、暖かくなった途端に一斉に蕾が開いたのである。
「先生、こんなに綺麗に咲いていました」
「ああ」
家の中で飾る様に数本見繕って来た。先生に小さな花束を掲げて見せれば、先生はわずかに目元を緩ませた。私たちの間に柔らかな空気が流れた時。
「ごめんください」と玄関の方から声がした。声の主は簡単に分かったものの、どうも様子がいつもと違う。私と先生は視線を交わした。どうしたのだろう。
(おかしい)
先生とコルテスさんがいつものようにリビングのテーブルで話している。けれど、コルテスさんの様子が明らかにおかしい。彼は普段ご機嫌な人だ。賑やかとかそういう意味ではなく、穏やかに朗らかに話してくれる良いお兄さんという意味である。
その彼の背中が心なしか丸い。そして何といっても表情が死んでいる。これはいくら何でもおかしい。私は不審に思いながら用意したお茶を持ってキッチンから出た。
「――で、今回も先生に審査員をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか」
「……ああ」
二人の傍にお茶のカップを置きながら会話を聞く。「審査員」というワードが気になった。彼の用事は大抵、この街コートデューの名産である香油石鹸の報告や相談だ。それが「今回も」? 「審査員を」?
私は勝手知ったる風に頷いていた先生に問いかける様に視線を投げた。
「ああ、ルシルさんは初めてですもんね」
答えたのはコルテスさんだった。コルテスさんは多少表情を和らげながら私に説明してくれた。
「この街、この時期にお祭りがあるんです。『花祭』って言うんですけど」
「そうなんですか!」
お祭り。なにやら楽しそうな響きに興味が湧いた。
「あら、でも審査員とは?」
「祭の一環で、石鹸の品評会もしているんです。その審査員を毎回先生にお願いしていて」
私は更に素敵なイベントに胸を弾ませた。
(先生が! 審査員!)
私が内心で「絶対辛口だろうな」と思いながら興味津々で先生を見ると、先生はポツリと「毎月やっている気がする」と呟いた。コルテスさんは「いやいや」と苦笑いを浮かべた。
「そうだ、広場で出店もありますよ」
「出店! どんな?」
「スイーツとか、軽食とか。ああ、お酒も売っています」
私が「楽しそうですね!」と身を乗り出すとコルテスさんは「ルシルさんも出店します?」とびっくりするようなことを言う。
「え!? 私でもできるんですか?」
「ええ。リリアさんやテオさんは毎回出てくれています」
「でも私、初めてですし。それに何を出したら良いか……」
私は戸惑って首を傾げた。面白そうだけど……いやいや。新参者の私が出店したところでどれだけ売れるか分からない。それにリリアさんやテオさんは店を構えているプロだ。そんなところに一体何を引っ提げてお邪魔できるだろう。
「はは、出店申請の期限まではまだありますから。もし気が向いたら言ってください」
それから花祭に関する確認事項をいくつかして、コルテスさんは家を後にした。祭の準備で疲れているからか、それとも別の要因があるからかは分からなかったけれど、やはりいつもの彼よりは幾分か元気がなかったように思われる。
何だか心配になってしまい、先生に「大丈夫でしょうか」と尋ねてみた。先生はしばし黙り、「アレなら大丈夫だろう」と頷いてお茶請けのドライフルーツを摘まんだ。
(アレって言った。コルテスさんを)
「して、君は」
「はい?」
「何か出すのか」
私は先生の質問に目を瞬かせる。驚いた。先生に興味を持たれるとは思わなかった。しかもこれは「出さないの?」というニュアンス。さっきの場だけの話だと思っていた私は言い淀む。
「いえでも……私に売れるようなものは作れ……」
私が困ってもにょもにょと言っている途中で先生はフッと息を漏らした。
「何を言っている。元雇い主の前で」
「!」
思わずカアアと頬が熱くなった。またこの人は普通にそういうことを言う。
(そうですけど! そうですけど! お給金貰ってましたけど!)
「そ、それはだって色々拵える以外にも……」
お掃除とかお洗濯とか諸々含めてのことで。恥ずかしさで更に声が小さくなる。私が目を彷徨わせながら熱い頬を抑えていると、頭の上に影が落ちた。骨張った手が軽く私の頭を撫で、そして離れる。
先生はぺたぺたと足音を立て、そのまま二階へ消えた。
(――もう!)
私は色んな意味でたまらなくなり、「わああ」とテーブルに突っ伏した。
◇◇◇
「こんにちは」
「お? ルシル。どうした?」
「ちょっとご質問が」
テオさんの宿にやって来た。テオさんは金縁の丸眼鏡をかけて何かを書いていたが、私を見て朗らかな笑みを浮かべた。そういう顔をしてもらえると嬉しくなる。本当にいい人だ。
「あの、もうすぐ花祭だって聞いて。テオさんはお店を出すんですか?」
テオさんは「そのことか」と笑った。
出店する・しないを決めかねた私は、常連の人の話を聞こうと思い立った。先生がああ言ってくれたので前向きに検討はしているものの、やはり新参者で気が引けるということと、何を出したら良いのかアイデアが湧かないというのが踏み出そうとする足を掴んでいた。
「俺はこれを出そうと思ってる」
テオさんは「ふっふ」と得意気に笑った。そして手元にあった紙を私に差し出す。何だろうと受け取れば、そこには絶賛計画中のスイーツのイラストが描かれていた。
白いクリームにたっぷりのフルーツが盛られている。『フルーツディップ』。甘酸っぱいフルーツにたっぷりクリームを付けてどうぞ、という趣向のようだ。
(ははーん。クリームも色々選べるのね。あ、バタークリーム)
見ているだけで涎が出て来た。
「祭で出して好評だったらメニューに入れようと思って」
「間違いなく好評だと思いますけど」
真顔で返せば、テオさんも「俺もそう思う」と真顔だった。
「食べたいです。絶対食べます」
「そうだろうそうだろう。サービスするからな」
「はい!!!」
――ではなく。
(あまり参考にならなかった……)
テオさんの宿を後にし、歩きながら考える。流石プロだ。未来の商売に繋げようという計画性。今後の宿の食事のメニューまでも見越した商品。そりゃあ売れるだろう。小さい子から、大人まで。
(しかし美味しそうだった……)
ただ単に花祭への楽しみが膨らんだだけに終わった。私は複雑な気持ちを携えて、次の目的地へと向かう。
『閉店中』という看板のかかる店の裏手に周り、ドアをノックした。予想通り、中から「誰?」と女性の声。
「あら! ルシルちゃんじゃない!」
出て来たのはバーの主、リリアさん。リリアさんは可愛らしいエプロンを身に付け、片手にフライ返しを持ったままという私の胸をくすぐる恰好をしていた。
「表から来てくれていいのに」と言いながらリリアさんは私を中に入れてくれる。私はそそくさと店内にお邪魔した。
「今日はどうしたの?」
「またストーカー?」と訝しむリリアさん。私は咄嗟に否定した。「また」と言われるほど、私は誰かに頻繁に好かれたりしない。
リリアさんは「先生に追い払ってもらえるものね」と納得する。そういうことでもない。私が何と答えようかとまごついているとリリアさんはからかうように笑った。
「やだ、真剣に答えなくていいのよ」
「!」
何たるお茶目。私はここに来た理由をうっかり忘れそうになった。
「――ああ、花祭?」
本題を切り出すと、リリアさんはケロリとして言った。
「はい。実はお店を出そうか迷っているのですが、色々悩んでいまして」
「何を?」
「何出そうかな、とか」
リリアさんは「それは迷うわよねえ」と頷く。
「新参者だしな、とか」
「それは関係ないわよ」
間髪入れずに返って来た答えに、私は顔を上げた。あっけらかんとした美人と目が合う。
「むしろ、街の人と仲良くなりたかったらお店を出すべきね。アタシはそうしたわ。お店始めたばっかりでお客さん欲しかったし」
(……そっか)
どうして先生が私にお店を期待するようなことを言ったのか。すとんと、腑に落ちた。じわじわと先生の優しさが染みる。
(私も、本格的に腰を落ち着けるのだから……!)
決して強く勧めて来ない辺り、先生らしい。でも意図があるのならもっと分かりやすく伝えてくれてもいい、とも思った。そこが益々先生らしいところなのだけれど。
「そんなに構えなくていいのよ、簡単な出店なんだから。風呂敷広げてやってる人もいるし。売り物だって、刺繍したハンカチとか、小さな鉢植えとか」
「そういう趣味みたいなものでもいいのよ」とリリアさんは明るく笑った。勇気をもらった私は「はい」と大きく頷き、気持ちを固めたのだった。
◇◇◇
さて。家のキッチンに仁王立つ。出店をする心は決まった。あとは何を売るか、だ。
(刺繍はできなくもないけど、今からだと時間がない。お庭のお花は正直売るほどあるけど、心情的に売れない)
やはり食べ物が妥当だろうか。
テオさんは『クリームディップ』。リリアさんは『炭焼き腸詰』。甘いのとしょっぱいのとで完璧のタッグ。仲の良い二人の事だ、もしかしたら示し合わせているのかもしれない。
では私はどうしよう。
(クリーム、腸詰、甘い、しょっぱい……)
――そうだ。
天才的な閃きの光が脳裏に走った。アレだ。アレをああしたらいいんだ。
「お店、出すことにしました」
「……そうか」
「はい!」
試作品を持って二階に上がり、先生に報告する。先生は私の顔を見てひとつ頷いた。励まされたような気がして頬が緩む。早速明日コルテスさんの所に申請に行こう。
◇◇◇
――ああ、困った。
コルテスは商工会の机に両肘を付き、頭を抱えていた。事の発端は二週間前。
商工会に見慣れぬ紳士がやって来た。『ド・レーヌ商会』。紳士は社長のレーヌ氏であった。レーヌ氏は若い商工会長に恭しい態度で自社の製品を差し出した。
「石鹸ですか? もしかして」
「お察しの通りです。香油が練り込んであります」
都会風の、垢抜けたデザインの包み。コルテスは感心した。「包みを開けてもよろしいですか」と尋ねると、レーヌ氏は自信に満ちた様子で「是非」と頷く。
「色は天然ですか?」
「はい」
コルテスは淡いラベンダー色の石鹸を鼻に近づけた。いい香りだった。我が街の名産と比べても遜色ないだろう。多少、香りが強い気はしたが。
「こちらを持って来られた意図をお伺いできますか」
「ええ。今お渡ししたのは別の地域で作っている自社の製品なのですが、実はコートデューにも工場を構えたいと考えていまして」
「そうですか!」
「原料は勿論コートデュー産。製法はある程度自由が利くと存じていますが」
コルテスは「ええ」と顎に手を置いた。おそらくレーヌ氏が欲しいのは『香油石鹸』のブランドだ。工場を持つ前にここに来たという事は、『香油石鹸』として認められないのであれば要らないのだろう。
しかし、原料は勿論、製法も一定の基準を満たして貰わなくては現在『香油石鹸』としての販売は認めていない。
「ある程度といっても」とコルテスが口にしたところへ、レーヌ氏は被せるように言った。
「分かりますとも! 基準は大事です。特に、こういうブランドにおいては」
「……ご理解いただいているのであれば」
「調べたところによりますと、まだここには外部からの参入はないそうですが、まさか避けているということは」
「ありませんよ。職人さんに関して言えば、街の外の出の人もいます」
「そうですか! 閉鎖的で排他的な地域もありますからな! 良かった! で、どのようにすればお認めいただけるのですかな」
些か無遠慮な言い方にコルテスは思わず口を噤んだ。レーヌ氏は若い青年会長に向かってにんまりと笑った。
「……成分や製造方法をお教えいただけますか。おっしゃる通り、他所の方だからと突っぱねるつもりはありません。基準に合うかどうかが全てです。地元の人たちにも厳しく守ってもらっています」
「勿論」とレーヌ氏は歯を見せる。その笑顔に気味の悪さを覚えたコルテスは、「品評会にも出ていただきます」と表情を固くする。レーヌ氏は目を威圧的に光らせて「いいですともいいですとも」と答えた。
「この街の良きものを、広めるお手伝いをさせてください」
あの日からコルテスは頭を悩ませている。後日レーヌ氏が持って来た、製法の書かれた紙にも目を通した。精油の抽出方法や石鹸の作り方に問題があるようには見えなかった。コートデューの材料を使えば、基準はクリアできるだろう。
外の製造者がコートデューに注目し、街の名産品を世に広めることは決して悪いことではない。いつかはこちらから働きかけることもあるかもしれないと考えたこともある。
しかし、この奇妙な感じは何だろうか。レーヌ氏の笑顔に覚えた嫌な感じの正体は。
こんなにも品評会が不安なことは初めてだった。もしもレーヌ氏の石鹸が評価されたら? 漠然とした不安が理由だけで却下はできないだろう。自分は商工会の会長を背負う者として、公正な立場で「商品の質」を判断しなくてはならない。
「だめだ。何でも先生に頼っちゃ。俺が商工会長なんだから……」
机の上にある石鹸から漂うラベンダーの香り。
どうしてか、それを嗅いでいるとコルテスは悲しい気持ちになるのだった。
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