本編外:誕生日
エピローグ後のお話
寒さが和らいできた頃。私はふと、気が付いた。
(もうすぐ誕生日だ)
カレンダーを見て、時の流れを確かめる。25歳の誕生日が近づいていた。そして、同時にあることを思う。至極、当然なことだった。
「先生のお誕生日はいつでしょう」
「…」
午後、柔らかな日差しが照らすリビングでほこほこと紅茶を蒸らしながら、私はタイミングを見計らって先生に尋ねた。先生は小首を傾げる。
「…幼い頃、暦が変わった」
「こよみが」
「あまり気にせず生きてきた」
ははーん。つまり。
(分からない、と)
そもそも興味が無いような口ぶりだった。どのくらい生きているのか見当もつかないけれど、先生位になるといちいち数えていられないのかもしれない。
本人が自分の歳を知らないのならば、もうお手上げだ。先生が実は何歳なのか、私は永遠に知ることは無いだろう。私はどう答えるべきかと瞬時にいい考えが浮かばず、食器棚のティーカップへと手を伸ばした。
「君はいつだ」
ポットで蒸らしている最中の茶葉を監視していた先生が私へと視線を外した。私はゆっくりとカレンダーを見た。
「来月の23日、です」
「春生まれか」
「はい」
「私も春だった」
私は目をパチパチと瞬いた。先生は春生まれ。それだけは分かるらしい。かなりザっとしているけれど、先生とお揃いの季節。思わず頬が緩んだ。
「ならば、君と同じでいい」
「え」
何が「ならば」、「同じでいい」のか。私が固まると、先生は「誕生日は君と同じ、ということでいい」と淡々と言う。
(そんな、料理屋で注文するような気安さで)
先生はまるで気にしていないようだった。澄んだ瞳が語っている。「これでよし」と。いや。いやいやいや。
先生は時々唐突にこうやって振り切ったことを言ったりやったりする。応対するこちらの身にもなって欲しい。普段がきっちりしっかりしている人なものだから、ギャップに戸惑い、また悶える羽目になるのだ。
私の気も知らず、先生は事も無げにまた尋ねてきた。
「次はいくつになる」
「25になります」と色んな感情を殺して答えれば、先生は私をしげしげと見て、何かに頷いた。
(何て思われたのだろう)
あのイーダさんの容姿で109歳ということは。25歳なんて、魔法使いで考えると。
「あ、赤ちゃんでしょうか」
私が苦い顔で笑うと、先生は眉を寄せた。
「どう見たら君が赤子に見える」
「……」
先生は茶葉の蒸れ具合を確認し、ポットとカップを持ってテーブルへと行ってしまう。
くだらないことを訊いてしまった、と私は恥ずかしさで顔を伏せた。魔法使いだったら、なんて、意味のないことを。
時折、頭を掠める。先生と私の歩みの速度の違いを。ゆっくり歩く先生を、私は猛ダッシュで追い抜き、先にゴールしてしまう。先生は、儚い命だからと憐れんで私に付き合ってくれているのでは決してないと分かるからこそ、罪悪感に駆られるのだ。
だからこそ。生きている限り、私は先生を幸せにしたい。
大それたことをしようとか、そんなことではなく。紡ぐ日々を、穏やかに、心地よく。生活する素朴な楽しみを捧げたい。だって、私が居なくなっても先生の日々は続いて行くのだから。私が最後の息を吐き終えても、穏やかな空気がそのまま残り続ければいい、と思う。
「何を考えている」
顔を上げると、キッチンに戻って来た先生が怪訝な様子で私を見つめていた。既にテーブルには紅茶がカップに注がれ、温かな湯気を立てている。
(先生は、今幸せでしょうか)
そんなことを訊く程、私だって情けなくはない。それこそ余計なことだと、私は笑って首を横に振った。
「毎年、お祝いしましょうね。できるだけたくさん」
「…」
今度は先生が顔に影を落とす。また変な事を言ってしまっただろうかと私の胸中がざわつく。
「…自分だけ目に見えて年を取ることが辛くはないか」
「へ」
私と先生は見つめ合った。目を点にした私と、気まずそうに顔をしかめた先生。たっぷり数十秒、沈黙が流れる。
「……いえ」
それはそれは普通に、私は返事をした。
(何を聞かれるかと思えば)
「そのくらいしか、先生に追いつけるところがありません」
見た目。圧倒的に知識も経験も人間力も劣る私が、やっと先生とトントンになれることと言えば。もう見た目くらいしか残っていない。自分だけ老いることを悲しいだなんて、微塵も考えたことはない。
私の返事があまりにも簡単だったからか、先生は拍子抜けした様に、短く息を吐いた。
「どうされたのですか」
不安になって私が前のめりになると、先生は視線を外す。
「君の貴重な時間を、代わり映えしない私のために費やしていいものか、と…」
(な、何をおっしゃいますやら!!)
私が思わず先生の腕に触れたからか、先生は珍しく言葉を切った。
「~~~」
言葉がまとまらない。「先生が気に病むことは少しもありません」、「やっぱり時間の流れの違いは気にされますか」、「私が進んで好きで先生の傍にいるんです」。色んな感情がそれぞれ強く主張してくる。
「…悪かった」
先生は手を伸ばし、私の頬に触れた。
「そんな顔をして」
「……」
自分がどんな顔をしているのか、分からない。代わりに、先生の顔は良く見える。酷く優しく笑っていた。
「……お慕いしています」
私がやっと口にできた言葉を、先生は「ああ」と言って受け取った。
私は先生を幸せに、先生は私を幸せに。決して一方通行ではないこの切ないまでの喜びが。交わった私たちの道を綾なしてゆく。道は永劫、分かれることは無い。
お読みいただき、ありがとうございます。




