野生動物の観察
フォークを置いた先生は、両手を合わせて空になったお皿にぺこりと頭を下げた。私はその様子をキッチンの奥から観察する。気分的にはレンジャーになって野生動物を見ているソレだ。
昼過ぎに先生は階段を下りてきた。昼食をリビングで食べるか、部屋で食べるか分かりかねていた私は、現れた先生を見て「来た!」とテンションを上げた。
先生がテーブルに着くと、サササササとスープとグリルした野菜のプレートを用意した。この辺りは慣れたものである。
食べる傍に居ては嫌だろうと、私はキッチンに引っ込んだ。片付け物をするフリをして、先生の一挙一動を見守った。
食前にも先生は手を合わせてぺこりと頭を下げた。儀式めいた何かを感じ、私もつられるように両手を合わせてみた。慣れない動作に、何だか不思議な気分になった。
両手を離した先生は、まずスプーンを手に取りスープを掬った。
(よしよしよしまずはスープの方ね…!)
私は前のめりになって先生の様子を凝視した。私の得意な野菜の優しい味のスープである。初回から決め球を投げた私は、その反応を待った。自然と心拍数が高くなる。
(どうだ…!)
「……」
(食べたーー!!)
脳内実況が高らかに叫んだ。先生は静かにスープを口に運んでいるだけなのだが、やたらと嬉しい。元より「うわあ美味しい」なんて反応は期待していない。
先生から見えないところでガッツポーズをしていると、先生は次にフォークに手を伸ばした。ガッツポーズをしていた手に更に力がこもる。言わずもがな、アレも私の自信作である。
(そのグリルにかかっているソースは元高級ホテル料理長直伝のソース…!)
「……」
一口。そしてもう一口。
(よしよしよしよし)
黙々と食べ続ける先生を見ながら小刻みに頷く。あまりに自分がアヤシイ気がしたので、流石に俯いた。何より顔のにやけが収まらない。
そうして、淡々と昼食を平らげた先生は先の儀式めいた動作をして食事を締めくくった。
「先生!」
速やかに部屋に戻ろうとする先生を引き留める。
「…何だ」
先生は声をかけられていいタイミングではなかったらしく、疎ましそうに返事をした。そしてちらりとテーブルの上に残る皿を見て、目を細めた。
私は先生が席を立つ際に合わせられなかったことを反省しつつ、先生を呼び止めた理由を持ってキッチンから慌てて出た。
「どうぞ」
食後のお茶とは別に用意したポット入りの紅茶の乗ったトレイを先生に差し出せば、先生はさっきから発していた圧を引っ込めた。
「ちょっと重たいです」と言いながらトレイを手渡す。先生は大人しくそれを受け取り、私を見下ろした。
「……」
結局、先生は何も言わずにひとつ頷き、トレイを持って階段を上がって行った。
(「ありがとう」ってこと?????)
言葉がもらえない以上、勝手に都合よく解釈するしかない。何にせよ、気分を害したわけではなさそうで良かった。
「ごはんも、全部食べて貰えたし…」
テーブルの上に佇むスープ皿とプレート。中身は綺麗に何も残っていない。
「好みに合ったかは分からないけど…」
私はさっきの先生の疎ましそうな目を思い出した。
「料理の感想を求めるのは、きっと『余計なこと』なんだろうな…」
皿を片付けながら、しばらく野生動物の観察は続くことを覚悟した。
「よいしょ!」
昼食後、小手調べに玄関マットを掃除して軒先に干してみた。というか、家の中をくまなくパトロールしてみたものの、どこも綺麗で今日手を付けるべきものが他に見つからなかった。
外に出たついでに庭に出てみる。柔らかな草の前面にぽかぽかと日が照っている。
「広い…どこまでがお庭…?」
サクサクと草の上を歩き、ぐるりと家の周りを一周してみる。外から家の中の構造を想像して、どこの扉から出るとどうなるかを確認した。
リビングの大きなガラス戸から見た庭がおそらく正面の野原。リビングと、先生の部屋が一番日当たりが良さそうだった。せり出したバルコニーから先生が出てこないかと少し待ってみたけれど気配も何もない。
(研究って何をしているんだろう)
至極当然な疑問が浮かんだが、わざわざ尋ねるのはご法度だろう。知る時がくれば自然と知れるのかもしれない。
私は頭を振り、思考を払った。色々不思議に思うけれど、私は自分の仕事をこなすだけでいい。
家の裏には家庭菜園が作られていた。成程、キッチンから家庭菜園に直行できる作りになっている。
「これも手出ししていいのかな」
土いじりは好きだ。やっていいのであれば喜んでやる。もはや仕事というよりも趣味に近い。
「ははーん。よく手入れされてる」
面倒で全部放り投げたいと言いつつ、ここまで家のことが完璧にやれる先生に感心した。却って完璧にやってしまうからこそ面倒に感じるのでは、とも考えられる。
家主のレベルがこうも高いということは、同じレベルが求められていると言って過言ではないだろう。
「頑張らねば」
私はしゃがみこみ、明日にでも収穫できそうな大きなトマトに向かって決意を口にした。
そうして私がこの家に来てから一週間が経った。
朝はきっちり7時に朝食。その後は研究室か書斎に引きこもる。昼食は正午過ぎ。食事が済めばまた二階から降りてこない。夕食は18時半。私が明日の仕込みと片づけをしている間にお風呂に入り、二階に上がってそのまま朝まで顔を合わせることはない。いつ寝ているのかは知らない。
先生の一日のタイムテーブルはこんな感じだった。ここに来てからまだイレギュラーは無い。
あまり二階から離れたくないという意図を汲み、二階に消えるときは飲み物を渡す。できるだけ先生が階段を上がろうとするタイミングを図っていたけれど、間に合わないときもある。
昨日あたりから先生が飲み物の用意の進捗具合を見て、間に合っていないと察するとリビングのソファにちょこんと座って待つようになった。それを見た私は感動で震えた。
コーヒーよりは紅茶派ということも把握した。勿論先生が言ったわけではない。
「どっちがいいですか」という意図を込めて私が紅茶の茶葉の入った缶と、コーヒー豆の入った缶を掲げると、先生は紅茶の方を指さすことが多いため、統計的に紅茶の方が好きなのだろうと推測しているだけだ。
そんな感じで何とか必要最低限のコミュニケーションをとれるようになってきた。世間話なんて贅沢なものは存在しない。
(楽と言えば、ものすごく楽)
前の雇い主が過剰に絡んできたため、大変な落差を感じているが、奥方の機嫌を窺って神経を削ったり、おべっかを使ったり、主人から権威を振るわれて嫌な思いをしなくてもいいという点、先生は間違いなく良い雇い主である。
野生動物(仮)との意思疎通を図るのも醍醐味だと思えば、何となく先生が可愛く見えてこない気もしないでもなかった。
「やっばい」
先のようなことをかいつまんでコルテスさんに報告すると、彼は驚いたような、楽しそうな顔をした。
しばらくして、用があって街に降りてきた私は商工会を訪ねた。良い職場を紹介してくれたお礼が言いたかった。
「よかった。いや本当ですよ。先生の方もきっとルシルさんが気に入ったんじゃないですかね」
「そうでしょうか」
「駄目な方は二日で駄目ですから」
「二日…」
一体音を上げるのはどちらだろうか。家政婦が『余計な事』をして先生が嫌になってしまうことも十分考えられるけれど、家政婦側が先生の心の遠さにめげるかもしれない。
「確かに、睨みがきつい時もありますが…そういえば、先生っておいくつなんでしょう。健康そうですが髪は真っ白ですよね」
「え、先生ですか?さあ…俺が子供のころからずっと変わらないからな…」
「え」
コルテスさんは私の反応にケラケラと笑う。
「魔法使いって、俺たちよりも長く生きられるんですって」
「そうなんですか!?」
「先生、何歳なんでしょうねえ」
私は唐突にもたらされた新情報に固まった。稲妻が落ちたような衝撃を覚える。
(そんな…私が思っている以上にお爺ちゃんかもしれないってこと…?)
「え…どうしよう…じゃあもっと足腰に負担の無いように気を付けて…そもそも二階になんて住んでいていいんですか!?」
「あははははは!」
コルテスさんはいよいよ大笑いを始めた。こちらは真剣だというのに、一体何だっていうんだ。先生が階段で転んで大腿骨でも骨折したら大変なのに。
咎めるように睨むと、ひいひい言いながら謝られる。イマイチ謝られた気がしない謝罪だった。
「すみません、いや、先生をそんな風に言う人初めてで…」
「はあ…」
「俺たちの感覚で接しなくていいと思いますよ」
どうにも真偽が確かめづらく、釈然としない。彼の言うことが本当ならば、もう20年くらいあの容姿で、なのに私が思う程老いているわけでは無いという。
「よく分からない」
大体、魔法使いが如何なるものかも分かっていないのだから。
「ともかく、お年寄り扱いされると先生ご機嫌を損ねると思います」
「ああ…」
それは確かにそんな気がした。
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