本編外:僕の友達
ご注意:エピローグ後のずっとずっと後の話です
久し振りに来た。これまで何回も遊びに来ていたけれど、ここのところ協会の仕事が立て込んで中々来ることができなかった。以前はフィリス師に会うことだけが楽しかったけれど、ここにはもう一人、僕の友達がいる。
「こんにちは~」
僕を出迎えに出て来たのはフィリス師だった。てっきりルシルちゃんが出て来るかと思ったからびっくりした。
「ご無沙汰しております」
「ああ」
フィリス師は相変わらず素っ気ない。僕も大人になったので、畏まって挨拶なんかしてみた。
「お元気でしたか?ルシルちゃんは?」
僕は玄関からリビングの方を覗きこんだ。先生は無言で僕に家に上がるように促した。あれ?ルシルちゃんはキッチンかな?
そんな呑気なことを思いながら部屋に入り、僕は言葉を失った。
「あ、イーダさん。お久しぶりですね」
「えと…ルシルちゃん?」
彼女はおかしそうにクスクスと笑った。その顔には皺が目立ち、髪はフィリス師とお揃いの様に真っ白。細くなった腕や首。どこからどう見ても、お婆ちゃんだ。それこそ、はるかに年上のフィリス師よりも。
僕はショックを隠せなかった。しばらく言葉を失って、ソファに座るルシルちゃんを凝視してしまう。けれど彼女は少しも機嫌を損ねることはなく、ニコニコと笑っている。
「うふふ、本当にお懐かしい。もう何十年振りでしょうか?」
何十年。そうだ、僕が最後にここに来たのは、たった数十年前。僕は目の当たりにした。僕たちの時の流れは同じじゃない。
「…」
何か言おうと思って彼女の足元にしゃがんだものの、やっぱり言葉が出なかった。どうしてか、寂しくて胸が詰まってしまった。
「びっくりされているようですけど、私もイーダさんがあんまりに変わらなくてびっくりしています」
「だ、だってそれは…」
ルシルちゃんは僕の方へ手を差し出した。僕はその手に恐々触れる。薄くて、折れてしまいそう。
「今は先生が私のお世話をしてくださるんですよ」
「ね、先生」とルシルちゃんがフィリス師を見上げる。フィリス師は静かに頷き、彼女の頭を撫でた。その光景は何度か見たことがある。いつまでもルシルちゃんに同じように接しているんだ。
「次はいつ来て下さるかと思っていましたよ」
「…遅くなってごめんね」
頑張っていないと泣いてしまいそうだった。ルシルちゃんは屈託なく笑った。僕はこの顔を一生忘れない。
君は僕の大事な友達。
紅茶のカップを受け取りながらルシルちゃんはしみじみと言う。
「ご立派になられて」
「親戚のお婆ちゃんみたいなこと言わないで…」
本当に冗談じゃない。ルシルちゃんはケラケラ笑っているけれど、僕にとってはそれさえも心にくるものがある。
「フィリス師~」
堪らなくなってフィリス師に助けを求めてみるものの、やっぱりフィリス師の反応は薄い。顎を使ってルシルちゃんがまだ喋っている途中だ、と示される。酷い。
「偉くなったお話聞かせてくださいよ。協会の在り方にもの申したんでしょう?」
「…そう」
どこで耳にしたのだか。ルシルちゃんは僕の苦労も知らず、嬉しそうに聞いてきた。自分で蒔いた種とは言え、本当に大変だったのに。それこそ、色んな人から怒られて、反対されて、あれもこれも押し付けられて。だからこんなに時間がかかってしまった。
「煩かった上下関係と、頭の固い人たちの変な教育を撤廃しただけだよ…」
「凄い。悪態吐いてましたもんね!」
ああ、そんなに素直に手放しで褒めてくれる人なんかいなかったな。
「ルシルちゃんには分からないよ…」
「え。つめたい」
気持ちと反対に、憎まれ口が出る。気恥ずかしいのだから仕方ない。だからさ!考えてることなんてお見通しだよ、みたいにそんなにニコニコしないでよ!
三人でお茶をして。晩ごはんをご馳走になって。月が高くなった頃、僕はようやく腰を上げた。玄関まで来てくれるのはやっぱりフィリス師。ルシルちゃんは三日前に転んでから、フィリス師に安静を命じられているんだって。本人は大したことはないと笑っていたけれど。
「また来ますね」
「ああ」
フィリス師に一礼して、ドアへと手を伸ばした僕の背中に「イーダ」と声がかけられた。
「はい」
フィリス師はいつもの何ともない表情だったけれど、少しだけ雰囲気に柔らかさが滲んでいた。
「先日、ルシルが丁度君のことを話していた。また会いたい、話したい、と」
「…」
「できれば沢山来て欲しい」
本当に。必要なことだけ言うんだから。フィリス師は。
思えば、僕がフィリス師と話そうとしても素っ気なく躱し、ルシルちゃんが「ね、先生」と話しかけても彼女が僕と話すようにそっと身を引いていた。
「……ッ」
「またな」
庭に出て、夜空を見上げた。星が輝いている。きっと彼女が僕らを見るのは、こういう気持ち。いつまでも変わらぬ姿に見えているのだろう。ふと、彼らの家を振り返る。家の中の光が、あのリビングのガラス戸に影を映した。
ソファに座るルシルちゃんの傍に、もうひとつの影が現れる。そして影は重なってひとつになった。
「……」
どうか、いつまでも変わらずにいて欲しい。彼らの影が重なり続ける日が、可能な限り長く続きますように。
僕は濡れた頬を拭い、夜空に飛び立った。今夜の三日月は一段と美しい。
お読みいただき、ありがとうございます。