星が奏でる永遠の樹
朝から私はソワソワしていた。今日は星夜祭だ。いや、世に言う祭はやらない。先生の言葉では星夜、である。
『世界樹が歌う』とは、どういうことなのだろうか。世界樹を見ることすら初めてだというのに、樹が歌うとは。まさか本当に口があって声を発するのではないだろう。音楽に聞こえる音が出たり?
(「いつか」と言ったから、もっと遠い未来かそれとも実現しないかと思っていたのに)
世界樹について色々と想像を膨らませる一方で、本当に世界樹を見に連れて行ってもらえる事実が信じられないくらいに胸をいっぱいにさせた。
流星群は夜だ。世界樹はいつ、どこにあるのだろう。
ぺこり。先生は空になったお昼ご飯のプレートを前に両手を合わせた。私はその様子を注意深く見守った。気にかかることがあった。
(いつ出発なんでしょうか)
もう昼を回った。大丈夫なのか。夜に間に合うのだろうか。勝手が分からないこちらとしては、今日の行程を事前に教えておいて欲しい。街に買い物に行くのではないのだから、突然「あと五分で出る」とか言われても困る。
「先生、今日はいつ出発でしょうか」
痺れを切らした私は、優雅に食後の紅茶を嗜んでいる先生に恐る恐る尋ねた。先生はゆっくりと顔を上げると寸時思案した。
「16時発とする」
(そんなにゆっくりでいいの)
「必要なものはありますか」
「不動の精神」
「……」
大まじめに持っていくべきものを聞いてこの答え。精神論で片付けるのは得意だが、まさかの答えに私は思わず言葉を失った。先生を見れば、あちらも大真面目な顔だったので益々何と答えて良いのか分からなくなる。
「ええと」と困り声を漏らせば、先生は「何かあれば私が守る」と不穏な発言。
(危険なところなの?)
固まる私を余所に、先生は再び紅茶のカップに口をつけた。
「よいしょ」
16時にもなると、外は美しい夕方になる。私はコートを羽織り、マフラーを巻いて出かける支度をした。時計を見れば5分前。私は戸締りを確認して、玄関へと向かった。
「行けるか」
「はい」
私は先生の後に続いて家を出た。
先生は庭に出ると、私を傍に立たせる。
(どうやって行くのかな!やっぱり他の皆みたいに飛ぶのかな!)
私はこれから起こることに胸を弾ませた。一度空を飛んでみたかったという非・魔法人間の夢が叶うかもしれない。
先生と向かい合って立つ。ドキドキした。これはもう仕方がない。
(どうしましょうちょっと近いような気が…)
「失礼」
「!!!!!!!!!!」
私の思考は物理的な要因によってぶった切られた。体が熱い。先生はどうしてか私を腕に閉じ込めた。いや、実際にギリギリ手は触れていない。わずかな隙間を残し、先生は空気ごと包む様に私に腕を回している。
とはいえ距離が殆ど無いには変わりない。
(な、なに!?何ですか!?)
不動の精神を求められていたことは頭からすっぽりと抜け落ちていた。覚えていても無理だっただろう。
ふわり、と温かい靄のようなものに包まれる感覚がした。思わず顔をあげれば、すぐそこに先生の顔があって危うく「ぎゃ!」と叫ぶところだった。
「…非常に魔力の密度の高いところに行く。君が耐えられるよう、呪いをした」
「はい」
正直、体験したことも聞いたことも無いので、先生が何を言っているのかよく分からない。そういうものか、と受け入れるしかない。というか近い。
「世界の裏側へは魔力を以って入り口を開く」
「はい」
「では、気を強くもつように」
「ッ!」
私が返事をするかしないかのタイミングで、経験したことのない浮遊感。
「わああああ!」
体が浮かび上がった驚きで、妙な声を上げてしまった。
(浮いた!浮いた!足に地面が無い!!!!)
私は恥ずかしさも忘れ、先生に手を伸ばした。空を飛ぶことに期待していたメルヘンさは無かった。足が地面についていないことがこんなに不安になるとは。
「きゃあああ先生!先生!怖いです!!大変怖いです!!!」
真っ白になった頭で、我ながら丁寧に訴えたと思う。
先生はやっぱりかという顔で、私を抱き寄せた。猫でも抱えるような気安さだった。私は安心と安全を求めて先生にしがみつく。
「直ぐ着く」
先生は至って落ち着いて、私を抱えたままぐんぐん上昇してゆく。大変な速さで周りの森の木々を超えた。もう怖くて下を見ることができない。
(わあああああああ)
私は目を瞑って更に強く先生に抱き着いた。背中に回った先生の手が、私の背中を優しく叩いた。
「もう着く。ああ、世界樹だ」
(もう着く!?)
私は目を開いて後悔した。くらり、と眩暈が起こる。
(お―落ちてる!!!!!)
確かにさっきまで上昇していたはずなのに、いつの間にか私たちは落下していた。
「きゃああああ!!」
「あれが世界樹だ」
私が恐怖に叫んでいる一方で先生が淡々と喋る。どういう状況だ。困惑しながら顔を横に向けると、そこには見たことない、とてつもなく大きな樹が立っていた。
大樹の周りは白い靄が包んでいて、既に天辺は見えなくなっている。その代わり、森のような枝葉や、想像のつかない太さの幹に目を奪われた。
「…」
ポカン、とさっきまで叫んでいたことも忘れて視線を奪われる。それはあまりに雄大で、神秘的で、どこか懐かしい感じがした。
周りには他に木は無く、しっかりした土の地面が広がっていた。地面の先は霞んでしまって見えない。不思議な場所だった。
先生は樹から幾分か離れたところに着地した。おかげで樹の様子が遠くから分かったけれど、靄のせいで天辺はやはり見えなかった。
「あれが、世界樹ですか」
私が漏らした呆然とした呟きに、先生は無言で頷いた。
「直に星が降る。流星の波動で樹が歌う」
ポツリと、空に一筋。雨の様に星が流れた。私は「あ」と声を上げる。次第に、雨脚が強まるように、空に流星が降り注いだ。
「!」
何だろう。何かが私の中を打った。不快ではなかったが、内側が震えるような妙な感じがした。驚いて先生を振り仰ぐと、先生は真っ直ぐと世界樹を見つめている。見れば、世界樹にキラキラと細かな光が集まっていた。形の定まらない光は、世界樹の靄の中に消えていく。
「!!」
まただ。そしてもう一度。もしも心に形があるのならば、その輪郭を震わせるように何かが心を打つ。その間隔は徐々に狭くなり、とめどない流れを生んだ。
「…」
気が付けば、私は泣いていた。悲しいのではない、嬉しいのでもない。音もせず、形のない調べが私の内側に触れ、応えるように或いは引き出されるように、私の内から溢れ出す何か。
「歌が聞こえるか。音ではない。しかし私は『これ』を歌と呼ぶ。他に呼びようがない。鎮魂、あるいは弥栄に通ず。世界樹は遍くものに根を張り、枝を伸ばす」
先生はふいに口を開いた。先生にも響いているのだろう。世界樹から発せられるこの調べが。
「…君は呼ばれやすいな…」
先生は屈んで私の目元や頬を手で拭った。それでも世界樹が奏でる響きに抗うことができず、私の目からは涙が止まらない。
「大丈夫か」
「…」
何も答えない私を先生が心配するように「ルシル?」と呼ぶ。
(ああ……気持ちが引き出されてしまう…)
打たれて響く心が流れ出て行く。先生の優しい声を捕まえる様に、私の気持ちが手を伸ばした。
「お慕いしております」
何に遮られることもなく、私の口から想いが流れ出た。
(言ってしまった)
頭ではそう思うのに、心は愛しさで溢れ、どこか晴れ晴れとしていた。
先生の目が、大きく見開く。
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