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前夜

 次の日。先生は私の書いたものを読んで、しばし黙った。何か言いたげだったものの、結局先生は一言「承った」と言っただけだった。


 求められていたことと違ったかもしれないと不安に思ったが、受理されたわけであるから良しとした。


 ともあれ。「分かった」と先生が言ったからには、靴下を編んでもいいということだ。私は早速街に毛糸を調達に出かけた。それはもうもっこもこのものを編もうと思う。先生の裸足は見ているだけで自分の足に霜焼けが出来そうなのだ。


(嫌がられなかったことが奇跡)


 雑貨屋で何色にしようかな、と迷っていると「あれルシルさん」と声をかけられる。振り向けば、そこにはコルテスさんがいた。しばらくぶりだ。彼が出してくれた猫ごはんを思い出し、何とも言えない気持ちになる。


「何だか久しぶりですね」

「そうですね。コルテスさんもお買い物ですか?」


 コルテスさんの手には可愛らしいおもちゃ。木で出来た汽車のようだ。可愛い。


「…それ」

「断っておきますが、俺のではありませんよ」


 コルテスさんは私の言おうとしたことを察し、苦笑いを浮かべた。


「甥っ子へのプレゼントです。星夜祭がありますからね」

「星夜祭」


 私は目を瞬いた。


(そうか、そういうものもあった)


 星夜祭とは、冬のある晩に発生する流星群にちなんだお祭りだ。流れ星になぞらえて、お願い事をし、プレゼントを贈り合う。


 そんなイベントとは縁遠い生活をしてきたので、さっぱり忘れていた。実家では流れ星を眺めるだけに留まり、使用人生活には関係のない話だった。


 密かに驚いていると、コルテスさんは私が持っている毛糸を見て、にやにやし始めた。


「ルシルさんは、先生に何か編んで差し上げるんですか?」


 この顔と文脈から言って、プレゼントだと思われているに違いない。


(そういう訳じゃないけど…時期的にそんな感じになってしまうかも…?)


 私が無言でいるのを肯定と受け取ったコルテスさんは、朗らかに笑った。どうしてか、彼は嬉しそうである。


「ルシルさんは何が貰えますかね」


 私は一瞬考えた後、「ああ」と思い付き、グッと拳を握った。


「このままいくと、新しい木べらです」

「……」


 コルテスさんは変なものでも食べたような、微妙な顔をしていた。私はその反応を見て、「しかも自分で求めに行くんですけどね」と口にするのは控えた。





 星夜祭。コルテスさんと別れた後、私はその単語を頭の中で反芻しながら街を歩いた。


(まっったくそういうつもりではなかったのだけど…)


 じわじわと顔に熱が集まる。星夜祭に大人が贈り物をするとなったら、恋人か夫婦か。


(変に思われたらどうしよう)


 ギュッと毛糸を抱える腕に力が入る。張り切って選んでしまった上質の毛糸。何色が似合うかと長時間悩んだ。


(いや)


 脳内にひゅるりと冷たい風が吹き抜ける。私は足を止め、その辺を腕を組んで歩いている恋人たちを眺めた。


 あの先生が、星夜祭なんて浮かれたイベントに乗っかってくるだろうか。自然の現象にかこつけて、人が娯楽化したこんなイベントに。恩恵に授かったことが無いので、気後れせずに貶す。


 「星夜祭だ」と言う先生を想像して、軽い混乱を覚える。


(つまり。大丈夫。何ら勘ぐられることは無い)


 あくまで先生観察からはじき出した、根拠の薄いアンサーに妙な自信を持った私は、意気揚々ともこもこ靴下を編み始めた。





 編み物をするのは決まって夜。大体静かな家だけれど、夜は格別音が無くなる。時折編み棒がぶつかる音だけが小さく鳴る。私は黙々と編み続けていた手を止め、まだ作成途中のそれを掲げて眺めてみる。


(うん。編み目は均等だね)


 私は思わずニヤリとした。先生はどんな顔をするだろうか、喜ぶだろうか、それとも面倒くさそうな顔をするだろうか。そんなことを考えるのが楽しくて仕方がない。


 夜は深々と更けていく。いつまで経っても眠くならない。全く、困ったものだ。





「先生、できました」


 数日後。私は出来上がった靴下を先生に差し出した。星夜祭を明日に控えたギリギリの完成だった。当日渡すのは流石に危険だ。


 先生は靴下を手に取ると、「ほう」と言いながらモフモフと感触を確かめた。ポリシーに反する、とか言われるかと思ったけれど、了承しただけあって特段嫌そうな様子は無い。


(履いてみてください、とかはきっと言わない方がいい)


 咄嗟の判断で、私は靴下の感想すら求めることを止めた。あげたのだから、後は好きにすればいい。気が向けば履いてくれるだろう。


「睡眠時に使う」

「…」


 普段。普段の生活中に履いて欲しかった。もどかしさを覚えつつ、私は「どうぞご自由に」と諦めた。使ってもらえるだけ良かったと思うべきだ。


「私も」


 先生が徐に口を開く。私は「はい?」と聞き返した。


 何を、とは言わずに先生はくるりと踵を返し、部屋に上がって行った。そしてすぐにまた階段を降りてくる。私は先生の手にあるものに気が付いて、凝視した。


「…」


 無言で私に手渡されたそれは。


(木べら)


 つるりとした質感に、木目が美しい。滑らかな手触りでありながら、丈夫そうな素材。


「…」


 絶句した。まさか本当に靴下と木べらを交換することになろうとは夢にも思わなかった。私が目を点にして見事なクオリティの木べらを撫で続けていると、先生に「家にあるのは私が作ったものだ」と解説される。成程。


 普通に上手で普通に感心した。凄い。普通に凄い。驚きで語彙が欠落した。


(石鹸といい、何でも作れちゃうんですね)


「ありがとうございます…」


 お礼を言えば、頷きがひとつ返された。


 私が素敵な木べらを手に、何となく敗北感を味わっていると、先生は窓の外を眺めた。


「明日は星夜だ」

「……」


 悉く予想を外した私は、打ちのめされたような気持ちになる。


「世界樹が歌う」

「え」

「君も行くか」


 これ以上、想像外のことが起きようとは。先生のことは、やっぱりまだまだ分からない。





 彼女の事が分からない。


 フィリスは星夜を明日に控えた夜空を眺めた。零れそうな星明りが満天を埋めていた。


 こちらが観察をすれば、恥ずかしいからと言って顔を赤らめ、何かを隠す。明らかに胸の内には何かある。


 変わらず彼女のことは信頼している。そんな彼女に不都合なことがあるのならば解消するのが雇い主としての務め。まして憂うことがあるならば、早急に解決すべきだ。何故なら、彼女には辞められると困るから。


 吐息が冷たい空気に白く現れる。フィリスは自問した。


 その憂いの内容が「靴下を差し上げたい」、「新しい木べらが欲しい」であったとしても?それらは彼女の継続勤務に関わるほどの問題だろうか。そんなわけがない。


 では何故即座に却下しなかったのか。消耗してきたのであれば、備品は良しとする。しかし、靴下はどうだ。欲しがるならまだしも、差し出すことを望むとは。


 彼女が心の内に隠しているものがそれではないと確信しているにも拘わらず、フィリスは靴下を受け取った。ルシルの腕に感心する出来栄えだった。彼女の手は、変わらずそれこそ魔法の様に日々を彩っていく。


 フィリスは思いを馳せた。何故自分は履くことを好まない靴下を好ましく受け取ったのか。また彼女はその美しい手仕事に何を隠したのか。


 分からないのは彼女か、それとも自分自身か。彼女の「何でもない」理由が分かれば、答えも出るのだろうか。


お読みいただきありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
[一言] 先生の心情回はレア物で嬉しいです。 そして「静謐な朴念仁」という単語が脳裏を過りました。
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