発露
しばらく振りに街に出て来た。路地の間をキョロキョロと見渡す。道行く人が「どうしたのだろう」と私を見た。親切な人が「何かお探しですか」と訊いてくれたが、「大丈夫です」と言って断った。なにせ、私が探していたのは。
「あ!居た!」
目の端に長い尻尾がくねった。
「マカロンさん!!!」
嬉しさのあまり、名を声高に呼ぶ。少し離れたところに居た一匹の猫が「え、アタシ?」という顔でこちらを見た。
「こちら遅くなりましたが…」
私は膝をついて持って来た献上物を並べた。お礼に来なければと思いつつ、時間が経ってしまったが、本日やっと罷り越すことができた。マカロンさんは澄ましてちょこんと座り、尻尾をゆらゆらとさせている。
猫の前に一人の人間が畏まり、敬語で喋りかけながら食べ物を並べる。幸い、人通りは無かった。何故ならここはマカロンさんの自宅の手前。
大通りや商工会に姿が無かったため、遂に私は記憶を頼りにマカロンさんの家の近くまでやって来た。道中猫だった時なら楽々だった細道を通過するのに困難を極め、非常に焦るという事態が勃発したものの、何とか目的地までたどり着くことが出来た。
「にゃーにゃー」
マカロンさんは嬉しそうに鳴き、私の膝に頭を摺り寄せた。あんなに頼もしかったマカロンさんも、今やかわいい猫ちゃんだ。撫でさせて貰えるのかと思い、手を伸ばしたら案の定避けられた。お高いところは変わらないようだった。
私は行き場を失った手をグーパーしながら「お元気ですか」と尋ねてみた。
「にゃん」
マカロンさんは言葉が分かった様に返事をした。まるで「元気よ」と言っているようで、私は感動を覚えた。
「え!分かります?」
『猫だったときを思い出しなさいよ』
何となく、呆れた雰囲気のする「にゃー」が発せられた。これは確実に通じているに違いない。猫語を解せない私は一方的に話しかけた。
「あれから魔法使いの人が家に来たり…続きがあって大変でした」
『お気の毒様ね』
「先生は変わらず過ごされています」
『知ってるわ』
凄い。絶妙なタイミングで相槌が返される。私は調子に乗った。
「せ、先生は本を読むときは眼鏡をかけるみたいで…雰囲気が変わって素敵っていうか…」
『あらやだこの子』
気が付けば、マカロンさんに色々と喋り、ついには最近の先生のときめきポイントまで披露していた。
「そんな感じで、近頃の私はどうしようもない愚か者なんです…」
『自分で分かってるんだ』
「傍に居るだけで満足しないといけないのに、いちいち色んな事に舞い上がってしまったり、衝動的になってしまったり…」
ぽふ、と私の足に温かい感触。見れば、マカロンさんの前足が置かれていた。これは、落ち着け、ということだろうか。
(私ったら…恥ずかしげもなくペラペラと…)
私は己の醜態を恥じた。いくら相手が猫だからと言って、語り過ぎた。
「すみませんでした。聞いていただけたのが嬉しくて…つい暴走してしまいました」
私はマカロンさんに向かってぺこりと頭を下げた。すると、今度はぺたりと額に肉球が押し付けられる。
「!?」
「なあー(頑張りなさい)」
マカロンさんは一声力強く鳴くと、私の額から前足を離した。
この時の私は、実は周りに結構たくさん猫さんがいたとは全く知らず。後から自分の迂闊さに気が付いて悶え死ぬことになろうとは夢にも思っていないのだった。
シナモンの香りが立って来た。そろそろかと思ってオーブンを覗くと、色づいた黄金色のスイートポテトたち。
サツマイモ堀りの楽しみは消えたが、加工する楽しみ、味わう楽しみは残っている。イーダさんが収穫してしまったサツマイモたちの消費にせっせと励み、着々とイモの数を減らしていた。昨日はポタージュ。今日はおやつに、といった具合だ。
焼きあがったスイートポテトから香ばしい匂いが部屋中に広がった。
「うわあいい匂い…!」
これは出来たてを提供したい。急いで先生の部屋まで持って行こう。黄金色のお菓子を二つお皿に乗せてキッチンを出ようとしたところで、階段を下る音。先生だ。
「…」
先生は興味深そうにこちらを窺いながら近づいてきた。そのお顔には眼鏡。
(え!かけたまま来た!外し忘れたのかな!)
ギュンと私のテンションが上がる。
先生は私の手にあるスイートポテトを見つけると、「これか」と納得顔。
(「これか?」)
先生は私の前までやってくると、腰を折って前屈みになった。顔が近づいてドキリとする。
「匂いにつられてやって来た」
「!!!」
(は?!か、可愛い!!!)
どういうことなの。誰か詳しく説明してほしい。先生の衝撃発言に、私の動悸が激しくなる。
「お、お持ちしようかと…」
若干裏返った声で何とか応じると、先生は「では」と言って私の手からお皿を奪った。「では」じゃない。
先生は目的の物をゲットすると、くるりと踵を返して歩いて行く。そのあっさり加減が憎らしい。
(あ!一個食べた!)
階段を上がりながら一個手に取って口に運んだのが見えた。最近先生が前に増して自由に見えて仕方がない。その一つ一つが私を喜ばせるものだということを知らない先生は本当に罪深い人だ。
昨日のポタージュは絶品だった。サツマイモがこれ以上美味くなることはあるまいと思ったが、フィリスは今その考えが浅はかだったと気が付いた。
フィリスは空になった小皿を前に思案していた。その顔はいかにも難題に立ち向かっているような顔つきだったが、その内容はあまりにも平和的であった。
もっと貰いに行こうかどうか。
シナモンの効いたスイートポテト。滑らかな舌触り。サツマイモの本来の甘さを生かした味わい。よい焼き加減。
ルシルが自分の好みを把握したと気が付いたのは大分前。スパイス料理の研究に励んでいたのは知っていたが、それにしても彼女の適応は早かった。「これだ」というものを出してくる確率が格段に上がったのである。
このスイートポテトも然り。恐らく自分に合わせて多めのシナモンが投入されているのだろう。ルシルの観察力は一目置くに値する。
そう。彼女はよく自分を見ている。
彼女から発せられる言葉の端々、彼女自身の行動がその成果を表す。フィリスは当初よりルシルからの観察に付き合った。それが必要と判断したからである。時に彼女からの視線が刺さり過ぎるときもあったが、看過した。
結果、ルシルはこの家に―フィリスに見事適合してみせたのだった。それがフィリスのためではなく、雇用継続を望んだルシル自身のためだったからこその成果である。
ルシルのすることを余計と思わないのは、フィリス自身がそんなルシルに一人の仕事人として敬意を払っているから、というのが自己分析の結果だった。
さて。菓子から四方へ思念が散った。
フィリスは考えた。これ以上思案するのは不要。
小皿を片手に立ち上がる。
リビングに再び顔を出せば、大きな口を開けて件のスイートポテトを食べようとしているルシルと目が合った。ルシルはギョッとした様子で口を閉じた。
「ど、どうされましたか!?」と慌てる彼女の顔が赤い。ルシルの態度から、タイミングが悪かったことを察したフィリスは敢えて目をキッチンへ向け、「まだあるか」と尋ねた。
その一言に、ルシルは声を弾ませる。
「あります!」
ルシルはフィリスの小皿を受け取ると、キッチンへと戻る。
「いくつ召し上がりますか?」
「…ふたつ」
「はい!」
戻って来たルシルはニコニコと笑っていた。フィリスは不思議に思った。なぜ彼女は嬉しそうなのか。
「先生がおかわりなんて珍しいですね」
そう言われればそうかもしれない、とフィリスは黙したまま考える。
いつも料理は適量だ。多過ぎず、少な過ぎず。それ以上を求めたことは確かに、初めてかもしれない。
「君の分はあるか」
ルシルは一層嬉しそうに頷いた。思い返せば彼女は今に限らず、ここ最近いつも嬉しそうである。何があったのかは分からないが、この家に馴染んでくれたということであればフィリスの願うところだ。
「たくさん作りました。明日もあります」
「そうか」
そうか。明日もある。
フィリスは明日も興が続くことに、鮮やかな彩を覚えた。その眩しさに、いつものリビングに目を走らせる。
壁。天井。カーテン。ソファ。椅子。テーブル。
それらは元よりこんな色であったかと疑い、フィリスは数度瞬きをした。そして、目の前のルシルへと視線を戻す。
彩るのは君か。
フィリスは自分がどのような表情をしているのか気に留めないまま、ルシルを眺めた。しっかり者の彼女は、目を瞬かせて赤くなった。
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