見守り体制
「なな何をおっしゃいますやら!!!ちょっと!」
動揺が隠し切れず噛みまくる私に、イーダさんは意地の悪い笑みを浮かべる。
「ただ慕ってるだけじゃないよなあって思ってたんだよね」
「ただ慕ってるだけです。正解です」
「…そんなに赤くなって言われてもね」
私は慌ててエプロンを顔の前に広げる。生地に光が当たり、イーダさんのシルエットが浮かんだ。私の即席のガードを鼻で笑い、イーダさんはお皿を食器棚に仕舞いながら続けた。
「僕がこんなんじゃなかったらお手伝いしたんだけど」
「へ」
私は思わずエプロンを持ち上げていた両手を下ろした。イーダさんは思ったほど悪い顔はしておらず、どちらかと言えば残念そうにしていた。
「お、おかしいって思わないんですか…?」
「何で?」
「私が、先生をですよ…?」
「逆なら驚くけど」
「…」
一瞬洗剤を浴びせてやろうかと思ったけれど、踏みとどまる。確かに、先生を慕うイーダさんからしたら、先生が好かれるのに何ら疑問はないのかもしれない。いやそれにしたってちょっと失礼ではなかろうか。
「…冗談だよ?」
私が明らかに機嫌を損ねていると、イーダさんは気まずそうに弁明する。
「いいですよ。どうにかなりたいなんて大層な事思ってないですから」
「え、そうなの?」
「そうですよ。お傍に居られたら十分です」
「…ふうん」
意味深なイーダさんの返事に、私は「本当ですよ!」と念を押した。すると、イーダさんは「やれやれ」と肩を竦める。
「何ですか!その疑うような目は!だって…!」
「だって?」
「…」
続く言葉はない。自分でも「だって」の先に何があるのか分からなかった。黙ってしまった私に、イーダさんはため息を吐いた。
「いいや。君がそう言うなら。僕は手伝えないし」
「先生と話す資格は無いからね…」と言うイーダさんの目が遠い。長い睫毛が憂いを帯びている。
イーダさんはあれきり先生に話しかけない。いつも話す時はイーダさんの方からだったものだから、先生とイーダさんの会話は無くなった。
先生はもうイーダさんに怒っている様子は無い。もう、というか、サツマイモ事件(便宜的にそう呼んでいる)の時も、あれはイーダさんに怒っていたというよりは、魔法使いの在り方そのものに怒っていたのでは、と思う節もある。
自身のこととして重たく受け止めたイーダさんはひたすら非・魔法人間生活を勉強しているけれど、先生はどう思っているのだか。
どうも私は近くで頑張っている人がいると応援したくなる質らしく、ディディちゃんの時の様に、イーダさんに大分肩入れしている。
(あんなに目に見えて頑張っていたディディちゃんにさえいつも通りだった先生が…だめだ、期待できない)
私が脱線した思考に身を投じていると、横からイーダさんが「あ」と声を上げた。
「間を取り持つことはできないけど、知りたいことがあったら教えるよ」
やれることを見つけたイーダさんは笑顔だったけれど、私は首を横に振った。それこそイーダさんに助けてもらうのは違う気がした。イーダさんはショックを受けたようだったが、こればかりは仕方ない。
「自分で聞きます」
ちょっと照れ臭く、私が小さな声で答えれば、イーダさんはしばし黙った後「そうだよね」と笑った。
イーダさんは先生に喋りかけなくなった代わりに、私との会話が増えた。一緒に作業をしているのだから必然と言えば必然だ。
「はあ…はあ…」
息を切らすイーダさんに離れたところから声をかける。
「イーダさーん。大丈夫ですか?」
イーダさんは持っていた鍬にもたれるように立っていた。イケメンは鍬を持ってもイケメンである。
先日までサツマイモが植わっていたところを次の作物のために耕作しているのだが、イーダさんの体力が尽きたらしい。
「休憩してきてください」
まだまだ元気な私はイーダさんにそう言うと、再び鍬を振るう。イーダさんは私を見て「うん…」と呟き、のそのそと畑から出た。
イーダさんが家の中に消えると、畑には私一人。ザクザクと鍬を振るい続ける。単調な作業が意外と楽しい。集中集中。
(次は、ここに大きなカブと、大量の玉ねぎをプランテーションするんだから!)
遠大な計画を胸に抱き、土を返す私の耳に「ザク」という足音が聞こえた。イーダさんが戻って来たのかと振り向けば、そこに居たのはイーダさんではなく。
(先生)
先生がここにやってくるとは珍しい。何か用だったかと、私は鍬を地面に立てると先生に駆け寄った。
先生は私の耕している途中の畑を眺めていた。
(あれ?私にご用ではない?)
近寄ってしまったが、私に用では無かったらそう言って欲しい。私が心の中で「何用?」と首を捻りながら戸惑っていると、先生はおもむろに私を見た。
「イーダは?」
(お?)
先生がイーダさんの名前を出した。これはもっと珍しい。驚きながら「休憩中です」と答えれば、先生はもう一度畑に目を戻す。
「道理で静かだ」
私はドキリとした。
(う、煩かったかな!最近!え!?騒いではいないけど!)
苦情とも取れる唐突な発言に、私は肝が冷えた。
私のビクビクの心中を知らず、先生は事も無げに「君は大分進んだようだ」と畑を見た感想を続ける。どうやら苦情ではなかったらしい。恐らく本当に煩ければ即座に先生から冷たい感じに指摘があるはずだ。
胸を撫で下ろした私は先生の言ったことを考える。言及されたのは耕作の進捗の事だろうか。私は奥から、イーダさんは手前の列から攻めている。
「形勢は私に有利です」
圧倒的に私の進みの方が勝っているため、冗談めかしてそう言ってみたら、「勝負しているのか」と訊かれてしまった。
ちょっぴり恥ずかしくなって「いえ…」と否定すると、先生は小さく笑った。そのささやかな微笑みに、私の胸が跳ねた。
「…イーダさん、頑張ってらっしゃいます」
「そうか」
柔らかい声を残し、先生はポンと私の頭に一瞬触れた。
ひゅうう、と風が吹く。しばらく私は立ち尽くした。掠めた風に、頬の熱さを知る。
(ふらりと来て、何だったんだろう)
ただの気まぐれか。それとも本当にいつも騒がしかったのが急に静かになって気になったのだろうか。ただ様子を見にきただけであれば、できればイーダさんが耕している時に来てくれれば良かったのに。
ぼんやりしていると、ザクザクと足音が近づいてきた。今度こそイーダさんだ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
髪を結び直しながらイーダさんは歩いて来る。「おまたせ」と私の前に来ると、「どうしてこんなところに立っているの」と尋ねられる。何と答えようかと迷っていると、イーダさんは急に顔をしかめた。
「ねえ、赤くなってる」
イーダさんは私の掌を確かめる様に私の手を持った。
「大丈夫ですよ。マメにもなってないし。こんなもんですよ」
大げさな、と私は呆れた。鍬を握ればこんなものだ。多少赤くなろうとマメが出来ようと気にしていては農作業なんてやっていられない。
私の泰然とした態度に、イーダさんは眉を寄せた。
「あとは僕がやるよ!」と謎のやる気を見せられるが、そんなことをさせたら慣れていないイーダさんの手の方が悲惨なことになる。
「私もやります」
「いいっていいって」
「手加減してやりますから…」
私はさっき「煩いかも」と不安になったことも忘れて、イーダさんとワアワア言い合った。兄弟とじゃれているようで、何だか懐かしかった。
頭上で一羽の鳥が空高く鳴いていた。
かくして先生とイーダさんの無言の間に多少の居心地の悪さを覚えつつも、平和に暮らしていたある日。
「僕、もうお暇いたします」
別れの時は唐突にやって来た。
イーダさんが来てひと月。もはや殆ど「非・魔法人間生活」研修となりつつあった日常に慣れてしまっていた私は、得も言われぬ寂しさに襲われた。
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