醜い争い
「どうしたの」とイーダさんは少しばかり、あやすような声。
(何ですか、その小さい子に話かけるみたいな)
私ははっきりと「どうしたの、ではありません」と口を開いた。
「言ったはずです。これは、私の仕事ですと。イーダさんにまるごとお任せするつもりは毛頭ございません。私がやらなくては、いいえ、やりたいのです」
「ええ…?ごめん。なんか、何を言っているのかよく分からない…」
本気で戸惑うイーダさん。私は怒りを通り越して呆れた。
「だって、全然合理的じゃないんだもの。君の言うこと。僕に一瞬で終わらせられる力があるのに」
「それは分かっています」
「ん???」
これは。根っからの問題だ。確かに魔法でやれば早い。だからと言って魔法で全部解決だったら、とっくの昔に先生に解雇されている。というか、そもそも私は雇われていない。
(イーダさんと、先生の間には大きな認識の違いがある)
イーダさんの言葉の端々に感じていたモヤモヤ。その正体が、私はやっと分かった。
「…先生は、私のことを決して力が無い者とは扱いません。あの方は、私のことを有能と言ってくださいました」
イーダさんの目が大きく開かれる。
「『力がある者は、無い人のために使わないといけない』でしたっけ」
「…そうだよ。だって君には」
「魔法は確かにありません、ですが…」
私は一度言葉を切り、イーダさんの目を見据える。
「見下すのもいい加減になさい」
「み、見下してなんか!」
「ないよ…」とイーダさんの言葉が小さくなる。彼の目が、私の視線を避ける様に逸らされた。
「魔法が使えなくても、ちゃんとやれます。少なくとも、私がこの家で、手の届く限りは。自分の手でやることに意義がある。それが私達、普通の人が働くということです。生活する、ということです」
「……」
「先生が、あなた方を嫌うというのなら、それはきっとそういう風にごくごく自然に魔法を使えない人を見下しているからじゃないんですか。確かに、先生は組織が苦手そうですけれど、もっと根本的な考え方の違いがあるんじゃないですか」
「…君…」
イーダさんの目を見て、私は流石にちょっと言い過ぎたかもしれないと思った。つい熱が入り、想像の範疇を出ない先生のことまで引き合いに出してしまった。
彼のギラリと燃えるような目は、明らかに怒っている。
(でも。言った言葉を引っ込めるつもりはない)
先生は、人を下に扱わない。素っ気ないけれど、それとこれとは別の話だ。どんなに魔法が凄くても、人のやることがまどろっこしくても。余計なことを厭う人であるのに、人の仕事にちゃんと敬意を持ってくれている。だからこそ魔法で全てを済ませずに、自らの、あるいは私の手を煩わせるのだ。
「君がフィリス師を語るなんて、二百年早いよ」
(そんなに生きられない)
怒りを堪えるかのような、静かな声だった。イーダさんに「先生」は地雷だったらしく、普段のニコニコ顔が消え去っている。
「一丁前にフィリス師を慕っているようだけど……君があの方の何を知っていると言える?研究は?どれほど功績を積んだかは?何の第一人者かくらいは分かる?」
つらつらと嘲るように並べられる言葉。私はそれを聞いて、口を噤んだ。
(ずるい!!!キャリアはずるい!!!)
私は先生を調べ上げた挙句にここにいるわけでは無い。それにその話は、先生の人柄とはちょっと別ではなかろうか。どれだけ先生の人生を知っているか合戦だったら、圧倒的に私が不利に決まっている。
イーダさんは、私の顔を見て「知らないんだ」と勝ち誇った。私は悔しさで奥歯を噛みしめる。
「私だって!徐々に知っていくつもりなんですよ!無理矢理調べたり、お聞きしたりするのは先生がお嫌でしょう!」
「はっ。自分の無知を先生のせいにするんだ」
「どんな言いがかりですか!」
私たちの醜い言い争いは泥沼化し、聞くに堪えないものへと変わって行った。いつの間にか、どれだけ自分が先生を慕っているかの主張コンクールと化して。
「僕はもうずっと、君が生まれるずっと前からフィリス師を追いかけて!」
「追いかけるから余計に邪険にされるんですよ!先生は遠くからそっと見守っていないと!」
「分かったような口を聞かないでよ!非・魔法人間の癖に!」
「あ!何ですかその蔑称は!蔑称ですよね!?」
ついに罵りにまで発展した口論に終止符を打ったのは。
「…何をしている」
呆れ果てた、先生の声だった。
「「………」」
私とイーダさんは、思わず絶句して固まる。互いに我を失っていたことに気が付き、急にいたたまれなくなった。
いつのまに現れたのか。先生は果てしなく鬱陶しそうな顔。そしてその肩には、一羽の鳥が胸を張って止まっている。気が付けば、頭上から複数の羽音が聞こえた。
『街の猫は先生の情報屋よ。屋って言っても、一方的にご奉仕してるだけだけど。ああ、鳥共もなんか同じことしてるわね』
脳裏に蘇る、マカロンさんの声。私はその瞬間、事態を把握して青くなった。
(ほ、報告された!!!!)
ここは、先生を味方につけた方が勝ち。
同じことを思ったのか、私とイーダさんの目が一瞬交じり合う。そして、先に行動したのはイーダさんの方だった。
(しまった!)
イーダさんはワッと泣きながら先生に駆け寄った。どこの乙女だ。
(109歳が…!恥ずかしげもなく!)
「フィリス師…彼女は魔法が使えないから分からないんです…!彼女の助けになろうと思って僕が使った魔法に対して、自分達にとっては手でやる方が価値があると言うのです」
「ぐう…!」
私は「しまった」と思った。結局、私の主張は彼の言う「魔法の方が凄い」と変わらないことに気が付いたからだ。魔法の使えない私は、手作業の方が優位だという自分に都合のいい意見をぶつけてしまった。
(う……恥ずかしい…)
私の苦い顔を「負けを認めた」と捉えたイーダさんは「勝った」という顔をした。
「ち、違うんです!私は自分の仕事を人に丸投げしたくなかったのです!」
これもまた真実。私は必死になって訴えた。
「……はあ…」
必死なのはどうやら私とイーダさんだけらしいと気が付いたのは、先生が深いため息を吐いた時。
我々は揃って青くなった。
「「………」」
口を噤んで、先生の言葉を待つしかない。これ以上やりあえば、醜態を晒すだけだと、ようやく頭が追いついた。
先生は私たちを睥睨した。
「どちらが偉い、などあるわけがない」
(ですよね)
私は吐き出したい言い訳をグッと飲み込んだ。
「だが」と続けて先生はイーダさんに向き合った。
「我々から、魔法を取り上げたら。何が残る」
「え…」
先生は遠くを見た。
「魔法が使えるものは、魔法に依拠し過ぎる。魔法があるから生きて行けるのか?そうではない。己が価値を魔法の強さのみに見出すことは、むしろ自らの価値を狭めていることに気付くべき」
「………」
イーダさんは呆然としていた。私も、何も言えなかった。
魔法使いとか、非・魔法使い(引用)とか。魔法か、手作業かとか。そういう次元ではなかった。やいやいと言い争っていた自分達が何だかちっぽけに見えて、私とイーダさんは目を見合わせて、顔を赤くした。
「あと」
今日の先生は饒舌だった。先生の視線が再び私たちに向けられる。私たちは背筋をピンと伸ばした。
「私は修練されていない魔法は嫌いだし、権威的に魔法を振りかざすしか能の無い協会とかいうのはもっと嫌いだし、人の領分をずかずかと侵す輩は大嫌いだ」
「………」
先生はそれだけ言うと、くるりと背を向けて家に入って行く。私は戦慄しながらイーダさんを横目で見た。
「………」
案の定、イーダさんは涙目だった。
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