死守すべし
真夜中の戦いを見ていれば納得なのだが、イーダさんも恐らく優秀な魔法使いの一人なわけで。
「えい」
「あっ!」
「それ」
「ああっ!」
イーダさんの「お手伝い」は洗濯物の取り込みに終わらず、私の後をついてきてはすべきことを把握するとホイホイと魔法で片付けてしまった。
まだ日の高い内から掃除もお風呂の用意も夕ご飯の下ごしらえも終わってしまい、私は呆然としていた。こんなこと、初めてである。
イーダさんは私の了解も取る前から「えーい」と魔法の指を振ってしまう。私はいつかのディディちゃんのように、その度「ああ!」と悲鳴を上げた。イーダさんの魔法を、初めこそ凄いと思ったものの。
(仕事を取られる!)
このままでは私の存在意義、すなわち雇用に関わる。そうなれば私は先生の傍にいることもできかねることに。緊急事態。これは看過できない。
私は他にやることはないかと私の周りをウロウロするイーダさんにビシッと指をさして言った。
「今日はもう結構ですから、休んでいてください!!」
背後から聞こえた「えー」という駄々っ子のような声をスルーし、私は長靴とスコップを手に、裏の畑へと逃げた。
「フィリス師、僕も今日はお手伝いしたんですよ」
「…」
夕食の時、イーダさんはニコニコ顔で先生に話しかける。先生は相変わらず聞いているのだか、いないのだか。あまりの二人の温度差に、私は些かハラハラする。この変な空気は未だ慣れることが無い。
「彼女は最近夜中に起こしてしまっていて寝不足でしょうから」
先生はそこで初めてイーダさんに視線を向けた。まるでイーダさんがその事実に気が付いていたことが意外だったかのように。
イーダさんは先生からの反応にあからさまに喜んだ。そして更にニコニコと、「僕がやれば早いし楽ですしね!!」と得意げに言う。
「……」
先生はその言葉を聞き、今度は私に視線を移した。鋭い視線にドキリとする。イーダさんの口ぶりから、彼のお手伝いが魔法によるものということを察しない先生ではないだろう。その上で、先生は何を思ったのか。
(わ、分からない!!!今日は翻訳ができない!)
出した料理が「有り」や、「今日はコーヒーの気分」くらいなら容易に察することができるようにはなったものの、第三者を絡めての先生の反応を読み取るなど、まだ私には難度が高い。
(どうしよう、「貴様、楽をしていたな?」とか「働いていなかっただと?」とかいう意味だったらあまり軽率に返事もできない…!)
ここで下手なことをすれば、一気に先生からの信用を失うかも。
「……ッぐう…」
緊張で喉の奥から変な音を出しながら。私は慎重に、神妙に先生に目線を送った。
(決してイーダさんにお願いし、頼ったのではないです)
思いが通じたのか通じていないのか、確認する術はない。先生は目を伏せてしまった。
(イーダさんのお手伝いはもう遠慮しよう)
私は先生の視線と解雇の恐怖に怯え、強く決意する。
「お皿洗うんだよね?」
ひょこりと現れたイーダさんの前に私はすかさず立ちはだかる。
「大丈夫です!どうぞごゆっくり!」
持ちうる凛々しさを総動員して固辞する。イーダさんは目をぱちくりとさせた。
「一瞬だよ?僕だって大丈夫だよ?」
そんなことは重々承知だ。けれど、私が自分でやることに意義があるのだ。
「私の仕事なので!」
私が更に強く主張すると、イーダさんは肩を竦めてリビングの方へと撤退した。小さく「そんなに毛を逆立てて…本当に猫のよう」と零したのは、嫌がらせか、皮肉か。
(分からない人)
善意で手伝ってくれているのかと思えば、時折すげない態度を示す。ともあれ、陣地を死守することには成功した。
安堵して片付けを始めた私を、イーダさんがどんな顔で見ていたのか、私には知る由もない。
「力がある者に任せればいいのに…」
ぽつりと零された言葉は、決して私には届かない。
すっきりとした目覚めだった。昨夜は久しぶりに夜の襲撃が無かった。よく眠れた。爽快な気分だ。
カーテンを開け、いい天気だと確認する。洗濯物と畑仕事には持ってこい。そういえば、そろそろサツマイモの収穫をしてもいい頃だ。
(サツマイモ!)
一気に私のテンションが上がる。大事に育てたサツマイモだ。焼き芋にしたり、スイートポテトにしたり。シナモンなどをかけたら先生のウケがいいかもしれない。夢が膨らみ、お腹が減る。
私は今日も頑張るぞという明るい気持ちで部屋を出た。
(まだ寝てる)
夜中のドンパチが無くても、イーダさんはまだ寝ていた。リビングのソファでごろりと横になり、盛り上がったブランケットが規則正しく上下に動いている。
「どうぞごゆっくり……」
(え)
キッチンを抜けて裏口から庭に出ようとしたとき。私は固まった。
コンロにはすでにスープのようなものが入った鍋。そしてあとは火を入れるだけになった食材たち。よそわれるのを待っている食器。
胃の中が一気に冷めたような感覚を覚える。そして、眠るイーダさんを衝動的に睨みつけた。
(や、やったな…!!!!!)
やられた。まさかここまで手を出してくるとは思わなかった。すでに朝食の準備をされた。素知らぬ顔をして寝ているけれど、私が起きる前に魔法の指を一振りしたに違いない。何てことだ。
(何でそんなことを)
問えば、また「僕の方が早いし楽」だとでも言うのだろうか。私は顔が赤くなるのが分かった。羞恥ではない。腹が立ったのだ。家事は私の領域だ。仕事を取られていい気はしない。まして、私はこの仕事を好きでやっているというのに。
私はハッとした。唐突に嫌な予感が走った。意識は裏庭の畑に移る。
(ま―まさか!!!)
イーダさんを起こして抗議をする前に、私は慌てて裏口のドアから出た。「お願いだからやめて」と念じながら、畑へと駆ける。
「………」
そして、広がる光景を前に、こめかみの辺りから「ブチ」という嫌な音が聞こえた気がした。
「ぐ、ぐうううううう!!!」
耐え切れぬ憤怒を呻き声に乗せる。
かつて。いや昨日までそこに所狭しと生えていたサツマイモの葉、絡み合っていた蔓は今やすっかりさっぱり、畑から消えていた。その代わりに一カ所に集められて乾かされているサツマイモの群。
そう。サツマイモだ。私が丹精込めて育てたサツマイモ。作物を育てる一番の喜びは食することを除けば、収穫の瞬間に訪れる。これまでの苦労が文字通り実を結んだと実感できるあの瞬間。
まして、サツマイモ堀は収穫作業の内でもトップを争う楽しさがある。なのに。それなのに。眼前の畑にはひとつたりとも残っていない。
これには流石に我慢がならない。
私は身を返し、怒りに任せて家の中に駆け戻った。
「起きてください!!!!!」
スヤスヤと呑気に寝ているイーダさんからブランケットを引きはがし、語気強めに起こしにかかった。
「ええ…なあに…?おはよう…?」
「なあに、じゃありません!来てください!」
寝ぼけた様子でぼんやりとしたイーダさんを引っ張り、私は再度畑へと戻った。現場確認である。あなたがやったのか、と問い質したかった。
「これ!どういうことですか!」
イーダさんは私の指の先を見て、「なあんだ」と気の抜けた顔をした。
「これは大変そうだからね、やっておいたよ」
全く悪びれることなく、イーダさんはケロリと言い切った。却って私の中の憤怒が激しくなる。
「お願いしていません!」
「でも、僕がやった方が」
「早いし楽、ですか!?」
イーダさんの言葉尻を奪い、私が眉を吊り上げると、彼は何のこともなく「そう」と答える。むしろ、どうして怒っているのか不思議、という面持ちだ。
私は思わず、本当に思わず。完全に無意識に。
「いい加減にしなさいよ」
と低い声が出てしまった。
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