力のある者
私が激しい心の波を押し殺し、丁寧にキッシュを取り分けたり、スープをよそったりしているのを、普段の様子の先生と、大人しくさせられたイーダさんはテーブルに座って待っていた。
先生はこちらを見ているんだか見ていないのだか、あまりよく分からなかったけれど、対するイーダさんの視線はずっとこちらに向いている。首を傾げて物言いたげな表情をしているので、どうしたのか聞いた方がいいのかと、私はさっきから自問させられている。
でも今は私は仕事中なので。昼食の用意という非常に重大な任務を遂行しているところだから…。
「ねえねえ」
(痺れを切らした)
私の思考を中断するように、イーダさんがお構いなしに話しかけてきた。私は手を止めることなく「はい」と簡単に返事をした。せっせとサラダにガーリックチップスを散らす。
「ルシルちゃんも一緒に食べればいいのに」
「ええ…」
至極自然な様子で「どうして?」と尋ねてくるイーダさん。その目は純粋な疑問にパチパチと瞬いていた。完全にイノセントな目だ。
(お爺ちゃんめ…!)
私は野菜をよそい終わり、空になったボウルをイーダ氏に被せてやりたくなった。
(私は使用人だから、主人と一緒にテーブルにつくなんてしないの!乞われれば別だし、先生は気にしないだろうけど、そういうもんなの!自分から一緒にテーブルを囲むなんて、そんな厚かましいことをする家政婦はいません!)
長めの心の声をググっと堪え、私は涼しい顔を作った。
「いえ。私は後でいただくので」
「えー?でもそうしたら支度をまたして、片付けもまたするんでしょ?」
「お気になさらず」
私はさっさと二人の前にプレートを並べ、紅茶をカップに注いだ。イーダさんはまだ不服そうな顔だった。確かに手間は増えるのだが、それを苦に思ったことはないのだ。
「合理的じゃない気がするけれど…」
ポツリと小さい声でイーダさんの呟きが漏れる。私がもう一度「お気になさらず」と言おうと振り返ると、「イーダ」と先生の声が静かに響く。
「彼女には彼女の仕事の仕方があります。口出しは無用」
「…ッ!」
(せ、先生!!!)
先生は言うだけ言うと、さっさと両手を合わせて食事を始めてしまった。相変わらず必要なことだけ言っておしまい。時には冷たく感じるその潔さが、今は頼もしくもあり、格好いい。
以前一緒に肉を食した料理屋では、公然と私を使用人扱いすることをしなかったのに、家ではこうして私のやり方を尊重してくれる。私は嬉しさで顔がにやけそうになるのを必死で堪えた。
イーダさんは先生にピシリと言われてわざとらしく「がーん」とショックを受けていた。この人の打たれ強さは初日に確認済みなので、すぐ復活するだろう。もしかしたら今もポーズかもしれない。
「じゃあ僕も食べちゃうね…」
私は食事をする二人から離れ、キッチンへと戻った。
昼食が終われば、先生は上階へ。私は自分の昼食を摂るために適当にキッシュを取り分け、スープの残りをさらった。イーダさんはついに家の中探検にも飽きたらしく、暇が極まったのか、私の向かいに座った。
「でね、僕は落ち込ぼれだったんだけど、フィリス師に会ってから変わったの」
「もぐもぐ」
「学園の植物園に来ていただけだったんだけどさ」
「ぱく」
「それから追いつきたくて猛勉強した。首席も取ったし、協会にも入れた」
イーダさんの人生や、先生との奇跡の邂逅について知ることができた。熱心に話しかけてくれるが、私は食べながらなので聞く一方となる。
「あーあ、僕、ずっとフィリス師を慕っているのにあの様子だよ。酷いよね」
どうやら先生の冷たさは昔からのよう。敬愛する人からのそんな扱いにも拘わらず、めげない彼に感心する。酷いと言いながらも少し嬉しそうなのは、どうしてだろうか。
「なんだかんだ、優しいからね」
イーダさんはにっこりと笑った。
(ああ、それは)
「分かります」
私はスプーンを置き、彼に同意して頷いた。先生の優しさが分かったら、多少冷たくされても耐えられてしまう。それは私も覚えがあることだった。思わず顔が緩む。
「…」
「…何ですか」
顔を上げると、イーダさんがこちらをジーっと凝視していた。何となく、嫌な気分になって咎めるように問えば、「んー…何でもない」と含みのある言い方で返される。何でもよくなさそうだった。
「じゃ、私は仕事に戻ります」
掘り下げるべきか悩んだが、私には仕事がある。雇われ人としての義務を優先し、私は席を立った。するとイーダさんも席を立つ。
「どうぞ、イーダさんはごゆっくり」
「ん??んーん、いいのいいの」
ケロリと伸びをするイーダさん。もしかして。
(私が食事中に一人にならないように相手してくれたのかな)
そう思いつくと、何だか適当にあしらってしまったのが悪い気がしてきた。私の仕事の手間を気にしてくれたり、この人も優しい人なのだろう。
「ありがとうございます」とお礼を言えば、イーダさんは「何のこと?」と首を傾げた。とぼけたのか、本当に分かっていないのか、判別がつかない。こういうところは、やっぱり読めない人である。
私は一礼し、キッチンへ向かった。食器を洗い、拭いて食器棚に仕舞う。目を上げればイーダさんはリビングのガラス戸の前に立ち、庭を眺めていた。昼間の襲撃は今のところ私が猫にされた一件のみ。今日も異常は無いようだった。
さて、庭が平和なうちに洗濯物を取り込みたい。
私がリビングを出て、玄関に向かうと後ろから足音が付いてくる。
「…どうしました?」
振り向けば、案の定イーダさん。彼は愛想よくニコニコしていた。
「お手伝いしようと思って」
その言葉に、私は目を点にした。
暇なんだな。物凄く。私は胸の内で納得する。昨日まで昼は家屋探索か、森の散歩、お庭で日向ぼっこだったのに、今日になって私についてくる理由は他に浮かばなかった。
ともあれ。人手があればそれはそれでありがたい。一人よりはできる仕事の量が増える。さすればいつも手が回っていないところにも手が出せるようになる。
私はトコトコと後をついてくるイーダさんを連れて洗濯物を干してある庭の一角へと向かった。
朝干したシーツはすっかり乾いている。このごろの気候では、あまり外に置いておくと冷たく湿気たようになってしまうので、さっさと取り込みたい。
「じゃあ、イーダさんはあちらの端から…」
私がイーダさんに指示を出さんと振り返ると、彼は「えい」と指を一振り。
バサバサバサ。シーツや枕カバーやタオルやソックスが物干し竿から離れ、しかも空中に浮遊したかと思えば、そのまま畳まれていく。
「…!!!!!」
ものの数十秒で終了。私の持つ籠には、あとは仕舞うだけの状態になった洗濯物たちが収まっている。呆気にとられる私に、イーダさんはウインクをした。
「力がある者は、無い人のために使わないといけないんだよ」
「…」
「それが、協会の教え」
何となく、心の中がもやっとした。顔に出てしまったのだろうか、イーダさんは私を見ると、軽く笑う。
「ちょっと大げさだったかな」
自分で言ったのに、イーダさんは照れ臭そうにする。
私は心のもやもやを胸に押し込む。手伝ってもらったことに変わりはない。「ありがとうございました」と言えば、イーダさんは満足そうに頷いた。
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