お世話になります
マカロンさんは、悠々と裏路地を歩いた。私はその姿を見失わないように必死に追いかける。先を行く彼女が時折振り返り、私がちゃんとついてきているか確認した。
『あ、あの!』
私は思い切って彼女に話しかけた。足を速めて隣に並ぶ。
『私は…』
『アンタ、ルシルちゃんだろ?』
私は彼女の言葉に目を丸くした。どうして分かるのだろう。
『あの子の匂いがする』
マカロンさんは私に鼻を近づけ、スンと息を吸った。
『まずは腹ごしらえだよ』
『お腹減ってるんでしょ?』と私に流し目を送る彼女に思わず涙腺が緩み、「姉御!」と叫びそうになった。
私たちがやってきたのは見覚えのある店の前だった。
(Lillie…って、前にテオさんに連れて来てもらったリリアさんのお店?)
『こっちこっち』
私が店構えにポカンとしていると、マカロンさんに呼び掛けられる。彼女に続いて、店の裏手に回り、裏口に辿り着いた。
『いいこと?思いっきり可愛く甘えるのよ』
マカロンさんは言うや否や、「みゃあーみゃあー」と甘え声を出し始めた。
私がそれを唖然として眺めていると、裏口の内側から物音が聞こえてきた。
「んもう!また猫の声!」と気の立った声を上げながらドアが開く。開業前のリリアさんが出て来た。料理中だったのか、フリルのあしらわれたエプロンを着ている。可愛い。
「あ、お前また来たの…って、増えてる!?」
リリアさんは私を見つけてギョッと後ずさった。
『今よ!アンタもほら!』
隣の先輩から檄が入り、私はハッとして居ずまいを正した。
「みゃーん(リリアさーん)」
「な、なによアンタまで…!」
「みゃうーー(たすけてー)」
「……」
二匹揃って甘えた声でにゃーにゃーと鳴いていると、段々リリアさんの顔がわなわなと震えだす。
『あと一歩よ!』
マカロンさんの一声に、私は「にゃう」と鳴き、ゴロリとお腹を見せた。
「ハウッ…!か、可愛い…!」
リリアさんは私の前にしゃがみこむと、堪えきれないと言った様子で私を撫で回した。仰向けになって見上げたマカロンさんと目が合う。
『上出来よ』
彼女の目がそう告げてきた。
むしゃむしゃ。
(おいしい)
私とマカロンさんは、リリアさんが持って来たご飯にがっついていた。ひとしきり私を撫でた後、リリアさんは「今回だけだから」とか「また負けた」とか独り言を言いながら、私たちに茹でた鶏肉や、バナナ、ヨーグルトといったご馳走を持ってきてくれた。
(満腹)
私は満足して、傍で食事風景を見守っていたリリアさんのところにすり寄った。
(ありがとうございます)
感謝を込めてすりすりと身を寄せれば、リリアさんは私の頭を撫でる。ふくれっ面なのに嬉しそうだった。
『行くよ』
マカロンさんはあっさりしたもので、食べ終えると早々にどこかに行こうとする素振りを見せる。
(スーパードライ!)
おいて行かれるわけにもいかない。私はリリアさんに一声「にゃーん(ご馳走様でした)」と鳴き、頭をぺこりと下げるとマカロンさんの元へと向かった。
トコトコと再び路地裏を行く。やがて私たちはある家の床下へと潜り込んだ。
『ここ、アタシん家』
『え!マカロンさん、飼い猫さんじゃなかったんですか』
私が純粋に驚きの声を上げると、彼女はフンと鼻を鳴らした。
『アタシが誰かの物になるもんですか』
世渡り上手が過ぎる。食べ物だけ人間から上手に引出し、リリアさんにひと撫でもさせなかった彼女の逞しさに感心した。
『で、どうしてアンタは猫になっちゃってるの』
色んなことが起こり過ぎて、私は一番大事なところが頭からスポーンと抜けていたことに衝撃を覚えた。
『それがですね…』
私が自分の身に起きたことをそのままマカロンさんに伝えると、彼女は特別驚くでもなく、フンフンと真剣に聞いてくれた。
『そう。嫌なのが来ちゃったのね』
『まさか…こんなことになるなんて…先生さえいれば…』
『もとに戻れるのに』と項垂れると、マカロンさんは私を慰める様に尻尾をさわさわと寄せる。
『先生がいないんじゃ、アタシたちもお知らせしようが無いわね』
『お知らせ?』
マカロンさんはあくびをひとつすると、ゴロリと横になり、寛ぎ始めた。
『街の猫は先生の情報屋よ。屋って言っても、一方的にご奉仕してるだけだけど。ああ、鳥共もなんか同じことしてるわね。アタシ達だけでいいのに』
私が目を丸くしていると、マカロンさんは得意げに笑った。
『アンタが街に来たのを知らせたのも、アンタに変なのが会いに来たって知らせたのもアタシ達』
私は元雇い主のニゼア氏がやって来たとき、大変な勢いで猫の群れが森の方へ駆けて行ったのを思い出した。あれは、ニゼア氏の襲来を先生に教えに行くところだったのだ。まさか猫さんの口から事情を明かされるとは思わなかった。
『その節は、ありがとうございました。助かりました』
私は深々と頭を下げた。
『アンタのためじゃないわ。先生のためよ』
ゴロゴロと機嫌がよさそうにマカロンさんの喉が鳴る。
『戻ってくるまで一週間でしょ?礼儀を知らない奴もいるから、アタシとここに居なさい』
その言葉に甘え、他に頼るところもない私はマカロンさんの家に居候することになったのだった。
『コルテスは駄目。アイツの出すご飯はルシルちゃんにはハードルが高すぎる』
『ここはいいお魚をくれるの』
『生ごみを漁るなんてみっともないことはしないわ』
あれから五日。私はマカロンさんのお世話の元、何とか猫の体での生活を送ることができていた。色んな家を渡り歩き、所々で違う名前で呼ばれるマカロンさんの隣で「妹分です」的な顔し、愛想を売った。
貰った食べ物を口にして嘔吐することは無かったし、夜も安心して眠ることができた。マカロンさんはちょっとお高いが、とても面倒見がよく、優しかった。
(人間に戻ったら、何かを献上しなくては)
私は並々ならぬ恩を胸に、その夜もマカロンさんの隣で身を丸くした。
困ったことが起こったのは、六日目の昼。
昼食を終えた私とマカロンさんが、日当たりの良いお昼寝スポットへと向かっている最中の事。一匹の体の大きな雄猫がオラオラという雰囲気を醸しながら近づいてきた。
『よお。いい子連れてるじゃねえか』
『出たわねケダモノ』
開口一番、マカロンさんの言葉が悪い。それを聞いた先方も『なんだと年増』とこれまた口が悪かった。私はただならぬ気配を感じ取り、ビビって姉御の背中に回った。
『誰だ、その子。見ねえ顔だ』
『先生のとこの子よ。手出しは許さないよ』
『お前たちと俺は違う。先生が何だってんだ』
聞くからにこの雄猫はこの街の猫体制からすると、アウトローな立場にいるのだろう。やんちゃらしく、体に傷の跡も見えた。
(おっかない…)
雄猫は、マカロンさんと言い合いながらもフラフラと左右に歩き、彼女の後ろにいる私をジロジロと値踏みするように見てくる。まとわりつくような視線に、非常に嫌な気持ちにさせられる。
『可愛い子じゃねえか』
『どっか行きな万年発情期』
万年発情期。何だか非常に危機感のある言葉が発せられた。これはアレだ、人間同士の比喩ではなく。
私は何となく嫌な予感がして、雄猫を盗み見る。
(ひえ)
ぎらついた目と視線がぶつかった。体中がゾワリと粟立ち、身の危険を本能が知らせる。
『ッ逃げな!ルシルちゃん!』
フェイントをかけ、一瞬の隙を突いた雄猫はマカロンさんというガードを突破し、こちらに向かって走ってきた。
(うわああああああ)
私は真っ白になった頭で走り出す。追いかけられる恐怖が私を駆り立てた。背後からは二匹の足音が私を追う。近いのは雄猫。遠いのはマカロンさんだ。
『とにかく逃げて!番われるよ!!!!!』
番われる。
ここ一番のパワーワードが飛び出した。
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