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文芸短編

ロスト・エンド

作者: シクラメン

 朝、目を覚ますと色が無くなっていた。

 取り乱しなどはしなかった。ただ、来るときが来たのだと思った。

詳しい病名など長くて覚えてはいない。ただ、現代病の一つだとは覚えている。情報が多すぎる現代で、脳がその情報に耐えきれずに情報を拒むのだ。


 その代償として、まず色を失った。でも、別にそれが問題だとは思えなかった。だって、色が無くなったからって何が変わるって言うんだ。別に信号の形が変わるわけじゃないし、食べ物だって匂いで腐っているか分かる。色がなくなったからといっても白と黒の違いは分かる。それで良いじゃないか。


 だから俺は日常を続けたのだ。同じように学校に行き、バイトに行き、家に帰って眠りにつく。何もそこに変化はなく、ただ停滞だけが過ぎていった。

 一週間ほどして、左耳の聴覚が無くなった。流石にこれはまずいと思って病院に向かった。歳を取って、水分という水分を飛ばした梅干しみたいな医者の先生に診断書を渡された。


「何故、もっと早く来なかったのかね」

「特に意味はありません。大丈夫だと思ったからです」

「君のは、だいぶ重症だ。施設に移ったほうが良い」


 そういって、看護師から施設の書類を受け取るとそれに目を通した。場所は郊外。できるだけ都会という喧噪の場から離れるようにしているのだろう。これ以上五感を失うと生活に支障が出るので、俺は特に悩まずにその書類にサインした。


 まもなくして俺は施設に向かった。バイトは辞めざるを得なかったし、学校にも休学届を出した。親にはひどく心配された。その間、症状の進行が無かったのが不幸中の幸いか。

 施設には俺と同じような症状の人間が五、六人いた。自ら立って生活できるのはそのうちの半分もいなかった。皆、一人一人に介護士が付いて生活の大半をサポートしてもらっていた。


「今日から、そこが君の部屋だ。インターネット以外なら何でも使っていいよ」

「ありがとうございます」


 荷物を下ろすと一度大きな伸びをした。とりあえず、外を見て回ろうと思いたち外にでた。

 車で来るときに見た普通の自然。今まで都会で暮らしてきた俺が画像でしか見たことのなかった光景だ。……少し散歩してみるか。道は当然のごとく土で、それでも丁寧に手入れしてあるのだろう。草はそこまで伸びてはおらず足首の高さのところで綺麗にカットされていた。しかし、それも施設内でのこと。敷地の外に出ると、一転して鬱蒼とした草たちが出迎えてくれた。二、三歩歩いたところで歩くのがめんどくさくなったので、引き返して建物の中に入った。


 中では二人の女性が談笑をしていた。片方は車椅子。もう片方は松葉杖をついていた。どちらも足の感覚を失っているのだろう。


「あら、新人さん」

「どうも」


 会釈だけして自室へと向かった。彼女たちの会話を邪魔しては悪いと思ったからだ。部屋に入ると、荷ほどきもろくにせずにベッドに横になった。その日、夢は見なかった。


 次の日から、施設での共同生活が始まった。介護士もいるが、彼らは彼らで日中しか来ない。生活のほとんどは施設で過ごす人間が行う。生存に必要な活動を繰り返すことによって脳を慣らすらしい。料理をするのは好きなので、施設にいる全員分の食事を担当することになった。前の料理担当は症状が軽くなったのでまた元の生活に戻るらしい。

 人数が増えるだけで料理の手間というのはそこまで変わりはしない。食材を刻んで、炒めながら味見をする。


「こんなもんかな」


 万人受けする味付けなんてものはできやしないが、どうせ半分くらいは味覚が死んでいるのだ。構わないだろう。皿に盛りつけて、完成だ。食事をするときは施設のメンバーが全員集まって行う。個人で食べるよりも集団で食べるの方が症状に良いのだという。


 施設のメンバー全員に顔を合わせるのはこの時点が初めてだったので、散々質問攻めにあった。年齢、学業、家族構成、趣味。特に指向もなく支離滅裂に質問が飛んでくる。それに答えているだけで大体一日が終わった。

 

 話を聞くと、何もすることが無いこの施設では新人が飽きを緩和してくれる唯一の存在なのだという。飽きこそが治療に最も良いと思うのだが、それは求めてないのだろうか。

 

 次の日も、そのまた次の日も、似たような日が続くと曜日感覚が溶け、自分が施設に来て何日経ったのかを忘れてしまいそうになる。なので、日数をカウントすることにした。


 そうして一週間ほどたったある日、一人の患者が限界を迎えた。

 この症状が迎える最終ライン。全ての感覚を失って、生体反応を残したまま物言わず横たわる生きた屍。体のどこに異常があるというわけではない。ただ、脳が悲鳴を上げているだけだ。そして、こうなるともう治す手段はどこにもない。家族は回復する奇跡にかけ、衰弱死するのを眺めるか、少しでも早く楽にするために安楽死を選ぶかの選択肢が与えられる。


 体に異常があるから救急車では運ばない。死体でないから霊柩車では運ばない。

 家族が運転するミニバンに乗せられて彼女はどこかに行ってしまった。最初に来た時に挨拶をしてくれた女性だった。

 その日は誰も何も言わなかった。皆、心の奥底にはそういう恐怖が巣くっている。自分もああなってしまうのではないかという恐怖が。それは一番症状の軽い俺でさえも同じだった。自分の家族は一体どういう対処をするだろう。生きながらえさせるのだろうか。それともいっそ楽に殺してくれるのだろうか。


 もし、症状が和らがないならそれも考える必要がある。そんなことを思いながら眠りについた。翌日、彼女の欠員を埋めるようにして一人の女性が入ってきた。色素と嗅覚を失ったのだと言う。


「しばらくの間よろしくお願いします」


 そういった彼女の綺麗な礼がしばらく頭から離れなかった。

 その日のうちは自分と変わらず常に質問攻めにあっていた。その質問内容が自分とそこまで変わらなかったことから、多分この施設では来た人間にする質問が決まっているのだろう。そこまで他人に興味が持てないので、質問をするまでもなくただ話を聞いていた。


 初対面だからだろうか。どこか強い壁を作っているような気がした。

 問題が起きたのはその日の夜だった。料理担当である俺がいつものように作った晩飯をふるまったときに、彼女は開口一番こういった。


「まずいですね、これ」


 と。確かに自分の料理の腕がそこまでじゃないことは知っている。それに大半の味覚が死んでいるので適当に味付けしていることも否定はできない。しかし、まずいとは何事か。

 それならお前が料理しろ。と思ったが口に出さないで申し訳ないと謝っていると、


「明日から私が料理担当をします」


 と、こういうのである。それならやって貰おうじゃないかと、そういってその日は終わったのだが、次の日の朝飯で出された味噌汁を飲んでこう思った。

「味うっす……」


 味覚が死んでるんじゃないかってレベルで味が薄いのだ。味噌汁じゃなくて白湯だよこれ。と、そう思ったの思ったことを言ったら、変な奴を見る目でこう言われた。


「素材の味ですよ」


 と。なるほど。そう来たか。それは料理下手が言うセリフTOP3には入るぞ。しかし味付けとは素材の味を生かすうえで大事なことじゃないのか。これ以上荒波を立てるつもりはないのでその場ではそれで流した。

 後々から考えると彼女は嗅覚を失っているのだから味が薄くてもそれは彼女のせいではないということに気が付いた。

 

 食事係が変わったので掃除係になった。色が見えないので、慣れるのにしばらくかかったが、ゴミは色が無くなっても見やすかったので掃除するのに苦労はしなかった。掃除をしていると、気が付くと夜になっていた。夜になるということは夜飯を食うということだ。


 夜飯を食うということはあの薄い味を食べるということになる。嫌だな、と思いながらテーブルに向かうと出されたのはカレーだった。カレーとはどう作っても味の薄くなりようは無いのである。


 そう思って一口運んで、硬直した。


 ()()()()()()()()


 それはつまりそういうことだ。カレーがあって、匂いもちゃんとしている。こうまで味がしないということは。俺はそのカレーに半分も手を付けることが出来ずに食事を終えた。食事が終わると部屋に飛び込んでベッドに横になった。

 

 ぐるぐると底冷えする恐怖がすぐに襲い掛かってきた。足元からじわりじわりと締め付けられるようなその恐れは、すぐに身を包むと体の端から蝕んでいく。

 自らを締め付けられなくなって、たまらず外に飛び出した。周辺に民家も街灯もない施設の外に飛び出すと、満点の空が出迎えてくれた。


「あぁ……」


 思わず、声が漏れた。白と黒の世界においてもなお、夜空の星々は一つとして輝きを落とさずに煌めていたのだ。まるで、幻想かのようなその星々は眺めるとどうしようもなく数を増やして、虚ろな速度で近づいていくように思われた。そうして、鮮やかな装飾とともに夜の闇はどこまでも色を深めていくのだ。


 色を失って初めて出会った一つの世界に、たまらず涙が一つこぼれた。


「どうして、半分も食べなかったんですか」


 色味を失ったもの同士、その世界の美しさには一つとして触れることなくそう尋ねられた。


「……味覚を失った」

「匂いは、あるでしょう」

「だとしても、違和感があった」

「早く慣れたほうが良いですよ。食事をしなきゃ死にますからね」

「知ってるよ」

「これで、味覚を失ってないのは私だけですか」

「末期患者を集めてるからな。こうなるのは必然だったろ」


 施設にいるのは六人。どいつもこいつも二つ以上の感覚を失っている者たちだ。そして、全員ともに医者から末期の烙印を押された欠陥品どもだ。いつ限界を迎えてもおかしくはない。


「治るといいですね」

「……そうだな」


 一か月の停滞した時の流れの中で二人の人間が限界を迎えた。だが人の追加はなかった。風の噂では症状が軽いときなら完全に治癒する薬が出来たらしいのだ。重症患者に対する薬は開発に苦労でもしているのだろうか。早く元の生活に戻りたいものだ。


 一か月で何が一番変わったのかというとやはり右足の感覚がなくなったことだろう。おかげで松葉杖生活になってしまった。だが、それだって限界を迎えるよりはマシなのだ。生きながら死んでいく彼らに比べたら。


 泣きながら出迎える彼らの家族は一体どういう気持ちなのだろう。あり得もしない治るという可能性にかけるのだろうか。それとも遺書の通り安楽死を選ぶのだろうか。


「ここ埃残ってますよ」

「今からやりますよっと」


 その点彼女はここに来た時と何一つ変わらずにいる。狂った静寂の中でも少しづつ変わっていくが、そういう意味で彼女はどこか現実離れしているといえた。


「松葉杖で大変なのはわかりますけど、仕事ですからね」

「ああ」


 そう言って去っていく彼女を後目に、つかんだ箒は力の加減を失い右手から滑り落ちた。


「なるほど」


 右手に痺れは無い。箒が特別滑りやすいということは無い。ただ、右手に力が入らなかった。


「……潮時かな」


 そう呟いて、埃を払った。

 当に準備は終わっていた。いつかこんな日が来るとは思っていた。治らないものにグダグダ言っても仕方ないのだ。なら、最後は自分の手で。

 遺書は既に書き終えていた。園芸用だと嘘をついて手に入れたロープをドアノブに掛けると先端に作った輪に首を入れ、そして足の力を抜いた。――暗闇はすぐに訪れた。


 



「馬鹿なことをしましたね」


 目を覚ますと、開口一番そう言われた。遅れて自室のベッドの上だということに気が付いた。椅子に腰かけたままの彼女の顔はひどく呆れていた。


「馬鹿、か」

「放っておいても死ぬくせに、何を死に急ぐ必要があるんですか?」

 右腕を動かそうとして、それがピクリとも動かない現状に諦めの感情だけがわいてきた。仕方ないので左手で首を触ると、縄の痕の感触が分かった。

 

「なあ一つ聞かせてくれ。俺は、ここに来て何か残せたか?」

「……残したものを片付けるのが貴方の仕事では?」

「そういうことを言ってるんじゃないが……」

「分かってますよ。逆に聞きますが、あなたは何か残したと思っていますか」

「いや、何も」

「ええ、私もそう思います」

「ああ、だから良いじゃないか。死ぬときくらい、せめて自分の手で」


 その言葉に彼女は何も言わなかった。何か、思いあぐねた顔をしたまま黙り込んでいる。だから、続けた。


「なら、あんたは社会にいたときに何か残せたか?」

「私が、ですか? ……いえ、何も」

「俺もだ」


 そうだろう。一般的な生活を送る俺は、普遍的な人間でしかなく、特別なんて無い俺は大衆の中で埋まっていただけだ。俺だけじゃない。この施設にいる人間は、誰も彼もがそういう人間なのだ。


「俺は、この病気にかかった理由が分かったよ」

「……何ですか」


 決まっている。こんなものにかかるのは、


「自分が必要ない人間だと思っているからだ」


 そういうことなのだ。自分が世界に必要とされない人間だと、心の奥底で思っている人間が、この世界に関わり合いたくないと子供のように駄々をこね、目を閉じ耳を塞いでいくのがこの病気の正体だ。


「そう……ですか。そうかも知れませんね」

「確信を持って言えるぜ。これだけは」

「……貴方は、」


 少しだけ声を漏らして彼女は立ち上がった。首を動かすと、すでに夜も遅い。首を吊った馬鹿な男との会話もそろそろ打ち切りにしたいのだろう。


「あなたは、自分で思っているよりも必要ですよ」


 そう言って、彼女は部屋の電気を消して出ていった。その気休め程度の言葉を噛みしめながら、睡魔に身を任せた。

 目を覚ますと両足が動かなくなっていた。どこまでも使えない体だ。車椅子を押しながら、そんなことをぽつりと考えた。

 

「掃除係、どうします?」

「無理そうだな、こればっかりは」


 さらに二人が搬送されて、たった二人だけになった施設でそう言いあった。


「寂しくなりましたね」

「そうだな」


 彼女の敬語は変わらない。いや、それでいいのかもしれない。何も変わらない彼女の病気の進行が一番遅いのだから。


「今日は、どうするんですか」

「どうもこうも無いね。日がなぼんやりするだけだ」

「目はまだ、見えますか」

「まだ見える」


 片手で電動車椅子を動かしながら、テラスへと移った。暖かい日差しが体を指す。色を失って久しいが、それでも景色を眺めた。もう、色を見ることが出来ないのかとも思うと少しばかり悲しかったが、やはりどうにも諦めの方が勝ってしまった。


「そろそろ、終わりだなあ」


 ぼんやりと呟いた言葉は風に乗って、遠く遠く消えていった。疲れてもいない体をベッドに横たわらせていると、ふと部屋に誰かが入ってきた。いや、入ってくる人間など一人しかいない。


「何だよ」

「退屈かと思いまして」


 そう言った彼女の手には本。何かの短編集であることが見受けられた。


「読み聞かせでもすんのか?」

「はい、そうですよ」

「結構だ」


 そう言ったが、彼女は無視して席に着くと本をひろげた。


「暇なんだな、あんた」

 することなんて、無いですからね」


 何も言わず黙っていると、彼女はページをめくってあるところで止めると、その話を読み聞かせ始めた。昔、昔、あるところに……。


「よくある話だな」

「あれ、真面目に聞いてたんですか」

「そりゃ、話されてたら聞くだろうよ」

「もう一個読みましょうか」

「いや、良いよ」


 そう言って、目を閉じた。こんなものはもう不要だ。


「死ぬのは、怖いですか?」

「怖けりゃ自殺なんてしないさ」


 左手の力が抜けていく。どこまでも、どこまでも、落ちていく。


「怖いものは、ありますか?」

「孤独だ」

「じゃあ、今は怖くないですね」

「……ああ」


 思考が鈍っていく。服を着たまま水に投げ込まれたかのように制御が効かず、鈍重になっていく。匂いがあいまいになって、どこに何があるのかもすでに分からなくなっていく。


「生まれ変わったら何かしたいことはありますか?」

「勉強」

「案外、真面目なんですね」

「冗談だ」


 首から下の感覚が、消えた。彼女がベッドに腰を掛けるのが残った右耳だけで分かった。


「眠れそうですか?」

「……ああ」

「次は、いつ起きますか?」

「…………さあな」


 目を開けようとしても自らが開けているのかどうかも分からない。体に力を入れようと思っても力の入れ方が分からない。腕が無いのだ。足が無いのだ。……どうやって立っていたっけ?いや、立つ必要はないのか。そうだ、車いすがあるのだから、すわったままでいいんだ。でもくるまいすはてでおさないとうごかないし……。ああ、あれはでんどうだった。てでればーをおせばいいだけか。でも、それでどこにいくんだっけ?


 体から切り離された思考だけが否応にも四散する。そして、五感を失った体にどこまでも静寂ばかりが訪れる。


どこまでも、何もない空間と何もない意識だけが支配する無の中で、


「ねえ、まだ」



 微かなそれは、



「声は聞こえますか?」



 幻聴だったのだろうか。

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