傷
あの時僕は生傷に塩を塗りこみました。
みずみずしい傷に、塩を塗って、痛みをより確かなものにしたのです。
この傷は、僕の証。
この傷は、生涯忘れてはならぬ傷。
この傷を、乾かしてしまうわけには、いかないのです。
傷を見るたび、僕が僕である自信を感じるのです。
僕が僕である証明は、この傷があること。
この傷を、いつまでも持ち続けて、生きていかねばならないのです。
何度も何度も塩を塗りこんだ生傷は、やがて黒い痕となりました。
醜いこの痕は、盛り上がり、確かにここに傷があったことを知らしめてはいるのだけれど。
あの頃の、滲みる痛みは、もう感じられない。
僕の傷は、癒えて、しまったのです。
傷の無い、人生など。
痛みを感じられない、傷など。
傷だった名残が、僕を攻め立てる。
この傷は癒えてしまった。
この傷を持つ資格は、お前には無い。
この傷にお前はふさわしくない。
この傷がある事を、忘れるな。
この傷と共に生きてゆくというのか。
痛みの無い傷の名残は、ただ、罪を振り返る手段でしかありません。
痛みを求めて、僕は彷徨い、行く道を見失いました。
しかし、僕には、再び傷をこじ開ける勇気も無く。
ただ、傷の名残に、手を添えるだけで止まっているのです。
傷の名残に添えられた手が、震えていることに気が付かないまま。
傷に再び、痛みが戻ってくるのを待ちながら。
傷の記憶を辿り。
何とか、前を向いているのです。