「信じる」ってどういうこと?
儒教でいう五常、または五徳のひとつ「信」
大切なことだと言われていますが、
実際にどういうこと?考えてみました。
注:鵜呑みにしちゃダメですからね。
今回のテーマは「信じる」 英語で言うと、Believe!
はい、感の良い方はもう気付いたかもしれませんね。
私は綴命の錬金術師ではないので、感の良い方は大歓迎です。
「人を信じる」
教育の標語に出てきそうなフレーズですね。
人を信じる行為自体は難しくない。実に簡単なことなんですよね。
疑わなければいい。
ところが、世の中これが中々に難しい。
なぜなら、人は嘘をつくし、本当の事を言わないことがあるから。
嘘を吐く。と、本当の事を言わない。
似ているけれど、ちょっと違う。
嘘にも種類があるし、本当の事って見方によって変わるし、
これは一旦、おいておきましょう。
「信じる」を妨げる最大の要因、「疑う」の方を進めましょう。
「疑う」あまりイメージの良い言葉ではないですね。
じゃあ、どんな時に疑うのか。これを考えてみましょう。
これ、何かを守ろうと思うからじゃ、ありませんか?
自分を守るために、他人を疑うんだと思いません?
騙されないために、損をしないために、自分が傷付かないように。
守るのは自分だけじゃない。
家族、恋人、友人、所属する団体。
安全が確認できるまでは、安心できるまでは疑いは晴れない。
疑った結果、いろいろ確認して、疑いが晴れて
安全安心できるのなら、まぁ、いいことですね。
でも疑われる側は、いい気分はしませんよね。
しかし、疑われるのには理由があるわけでして
無条件に信じる人はいても、
無条件に疑うという人はいないんじゃないかなぁ。
存在を疑いますね。
人に疑われない様にするために、
礼儀や規則、マナーといったものが必要になるのでしょう。
礼儀知らずは信用されませんから。
規則を守らないとしたら、無法者です。ヒャッハーです。
窮屈に感じる人もいるでしょう。
それに反抗して、窓ガラスを壊しちゃう人もいるかもしれません。
私はあの人大好きですけどね。
缶コーヒーの描写が大好きでした。
分からないという方は、スルーしてください。
話を戻しますね。
大和民族は疑われるということを嫌いますよね。
善からぬ人物と思われたくない。だから礼儀や規則を重んじる。
疑われる要素をなるべく排除した人の方が、信じやすい。
誠実な印象を与えられる人物の方が信じられやすい。
なぜなら、自分がそうであろうとしているから。
自分と同水準の誠実さを持ち合わせているか。
それが判断基準なのかもしれませんね。
自分ならそんなことはしない。という行動をする人物とは
仲良くしたいとは思いませんものね。
攻撃的、悪口ばかり、自分勝手。
でも不思議なことに、そういう事をしている人も
同じこと思っていたりするんですよね。
自分を客観視できない、想像力がない、自我肥大、自己評価が高すぎ。
理由はいろいろあるんでしょうけど、
自分が信用されないなんて思ってなかったりするんです。
ここで、その人物を攻撃してしまっては、同じレベルになってしまうので
「あぁはなりたくないね」と心の中で思うことにしましょう。
間違っても、超弾動超流破を撃ったりしてはいけません。
反面教師にできたらいいですね。
反面教師として信じる。
ずいぶんと辛辣な言い回しを思いついてしまいました。
反対側から見てきたわけですが、信じるのに必要なのは、
相手のよいところを見付けること。ではないでしょうか。
相手が見せようとしている点以外から、よいところを見付けられれば
それが信じられる要素になるのかぁ。
断言は出来ませんけど。みなさんはどう思いますか。
いろいろブっこんだので忘れるところでした。
冒頭のフレーズについて。ここでクイズです。
めぐりあったソラは何色に染まりますか?
① 赤と黄色
② 茜色
③ 実にいい色
④ それ以外
内容はなんでも結構です。
みなさんの感想をお待ちしています。




