悪魔
少し衝撃の強い内容かもしれません。ご注意下さい。
倉庫番を含めて、犯人は三名だった。
アルジャを奴隷商に売り渡したらしい。
しかもその奴隷商がたちが悪い。よりによって裏取引で人身売買を行っている札付きだった。奴隷の売買自体が裏世界の職だが、それでも表側と裏側がある。表の奴隷商ではせいぜい悪くて売春や強制労働といったところだ。裏となると、売春や強制労働は当たり前、最悪は実験動物と同じような扱いをされて死に至る。
取引がされたのは、少し前に停泊した島だった。
裏世界の商人がその島に集まっていると噂を耳にし、犯人たちはいくつかの奴隷商とこっそりと会った。しかし、エルフを売りたいというはなしの乗る奴隷商はあまりいなかった。当然だ、エルフを奴隷にするなど普通では考えられない。エルフにも売春の世界に入る者もいるが、それは奴隷という身分ではない。やむにやまれぬ個人的な理由があるか、単純に性風俗の世界が好きかだ。
エルフを奴隷になど、危ない橋は渡れない。そう言って断る奴隷商の中、話に乗った商人がいた。
アルジャの年齢、性別、出身地、そしてなぜ奴隷になったのかを訊ねてきて、それに答えると想像以上の金額を提示してきた。
その金額まさかの四万ギル。小型船が一艘、もしくは土地付きのちょっとした一軒家が買える。
売値ではなく仕入れ値だとすると破格すぎる。
そうなると奴隷館への卸値ならば十万ギルでも安い。問屋をさらに通したら卸値はもっと上がるし、奴隷館での売値は五十万ギルには到達する。
よほどの金持ちでしか買えないだろう。
そしてあの島には、件のドワーフ王がいた。
ニコは嫌な予感がしてならなかった。
犯人である乗組員たちは、釣られた可能性がある。エルフを売りたがっている奴らがいると噂になり、エルフを買いたがっている変態の耳に届いた。そして、エルフを買いたがっている客がいることを知った奴隷商が乗組員たちに接触をはかったのだと、そう思えてならない。
アルジャをどうにかあの最底辺の界隈から遠ざけたかったのに、最短距離にまで迫っている。こんなはずではなかった。
「アナスタシア。アーレンはアルジャを追いかけて航路を変えたのか?」
「多分。けれどアーレン自身も確信は持てないみたい」
「ドラゴンのアンテナはほかの生物よりも優れているんじゃないのか」
「そうだけど……」
ニコは犯人である元部下を見た。縄で体を縛り、床に転がしている。その二人はヒッと小さく悲鳴を上げた。
周りにいる他の乗組員もじりっと後退っている。
「誰に売った?」
「……、そ、それが……姿も名前もわからなかったんです」
「そんなモノに売ったのか……」
地を這うような声だった。
「お前たちは、追放のエルフがどんな目に合うのかわからないからそんなことができたんだな……。そうか。経験がないならば仕方がないな。仕方がない。今後はこのような失態を犯さないように、同じような経験をさせてやろうな」
ニコの周りに、ゆっくりと黒い風が吹き始めた。それは船の床に黒い線で円を描くように回転している。円からたちこめる黒いものは、だんだん煙のようにも見えてきたし、火のようにも見えてきた。
「ヒィ!」
犯人の一人が逃げようと必死に足をばたつかせて後ろにさがり始める。
「怯えなくていい。痛みはすぐになくなる」
ニコの口元に笑みが浮かんでいた。
「この船で起こることのすべての責任は船長である俺にあり、すなわちこの船での法は俺だ。俺がやることはこの船の上での神羅万象である。お前に施される術はこの船においては罪にはならない。地の裏に息づく者たちよ、光の中にうごめく者たちよ、今こそ我が声に応じその真の姿を見せよ。汝らの魂はこの世界にあるべし。その血肉たる贄を受け取り、その対価として我に従え。我が名のもとに、汝らに名を与える。その名は呪い、その名は悪」
黒い風が徐々に逃げようとする犯人を取り囲んで行く。
「待って! 待ってください! 申し訳ありませんでした! やめてください! お願いです! 嫌だ!」
黒い風は犯人の周りに円を描いた。そして円の中に模様が刻まれてゆく。
「嫌だ、嫌だぁああ!」
描かれた禍々しい魔法陣の中で、その犯人は叫び声をあげた。
その瞬間、人間の皮膚が波立った。皮膚の下で何かが暴れているような、お湯が沸騰したような、ぼこぼことしたこぶが出ては引き、出ては凹みを繰りかえしはじめたのだ。
「うああああああああああああああああ、あああああああああああああああああああああああああああ」
悶絶の声は人間の者だったが、その皮膚の色が徐々に黒い緑色に変わってゆく。
乗組員たちは恐怖と嫌悪に青ざめ、中にはその場に力なく尻もちをつく者もいた。しかしだれ一人逃げ出さなかった。逃げだしたら、目の前のモノと同じように、捕まると思ったのだ。
「ぅああああああああ、ぐあああああああああああああ、ぐあ、あああ、ぐ、ぐぐぐぐ、ぐ、が、あ、」
人間の声だったものが、別の何かの声に変った。
どす黒い緑色をした、元は人間だった何かが、黒い魔法陣の中でおもむろに顔をもたげた。
「ああ、憑依したのは低級悪魔か。しかも上手く定着できなかったようだな。ヘロドの様なカタチになってしまったか。哀れだな。おい、哀れだからこれで殺してやれ」
ニコは腰からナイフをとると、もう一人の犯人の前に投げた。
「え、こ、ころ、す?」
「そうだ。これは憑依に失敗した。ゴミだな。俺は触りたくもない。汚くて臭い。さっさと殺せ」
「こ、ろ、…………で、できません、殺すなんて、できま、せん」
ガタガタふるえ、泣きながら元部下は首を振った。
その瞬間、その人間の耳が吹き飛んだ。ぶしゅっと血しぶきが上がった。
「ぎゃあああ!」
「早くしろと言ってるんだ。次は鼻か? 小指がいいか? 目にするか。肝臓でもスプーンでえぐられたいか?」
「や、やります! やりますから! やります!」
転がっていたナイフを手に取り、その人間は人間だったモノに容赦なく刃を突き刺した。
何度も、何度も突き刺した。
そのたびに人ならざる雄たけびが上がり、ぶしゅ、ぶしゅ、とどす黒い液体が飛ぶ。
「ほら、まだ死んでないだろうが。さっさと処理をしろよ。汚れが飛び散らせるなよ、丁寧に分解するんだよ。下手くそだな」
刺している人間の髪が頭皮ごとはがれた。
「ぎゃああああ!」
「泣き叫んでいいと誰が言った? 笑えよ。お前はまだ人間なんだから。ほら、さっさと刻め。そしてお前の胃袋に詰め込んで処理をしろよ?」
ニコは嗤いもせずに命じた。
「当たり前だろう? 残飯や生ごみ以下の廃棄物は、ひと固まりで充分だ。お前だけで手いっぱいなんだ。こんなものを美しい海に捨てられると思うか? お前の胃袋で処理するんだよ。わかるか? 罪人のお前に拒否をする権利があると思うか? ここでは俺が法だ。お前は誰にも救ってはもらえない。お前が殺しているそいつはしあわせさ。さっきまで人間として生き、人間と同じような飯を食っていた。お前はかわいそうだな? こんな汚物を食わされて、ごみ以下として生きていかなけりゃいけないんだ。ああ。お前の髪は生えさせてやるよ。さあ、そこで何を育てようかな。魔界の苔に興味があったんだ。こっちの世界じゃなかなか育てられない。ああ、この頭ならちょうどよさそうな湿り気だ。ああ、お前の耳にもなにか植物を憑依させようか。腹に穴をあけてそこにも植えよう。綺麗に寄せ植えができたら、そうだなぁ、いくらで売れるかなぁ。この世には生き物を苗床にした苔玉を好む魔女もいるだろうし。ああ、楽しみだな」
ニコはにやにやと笑いながら言う。
「ああ、あのアルジャはこれから散々変態にいたぶられ、死にかけたらサバトに売られて魔術の道具にされて、最後は生きたまま家具にでもされてしまうんだろうな。お前は、そう考えるとまだまだししあわせか。単に、鉢植えになるだけだものな。ああ、見世物小屋にでも売ってからでも遅くはなかったか。もったいないことをした。損をした。ああ、かわいそうなアルジャ。あいつは魔法も使えない。それにまだ子供だ。俺のようにサバトで反撃することもできないし、培養液のフラスコを壊して逃げ出すこともできないだろう。お前たちの何倍も苦しんで苦しんで、世界を恨んで、美しいコート掛けにでもされて、どこかの変態のシャツを咥え続けて、壊れて、死ぬんだ」
ニコは腹の底から笑いがこみ上げてきた。
「ああ、最高の生き地獄だったよ。おい手が止まってるぞ、さっさとそいつを細切れにして食えよ。俺はやったぞ? 隣の牢屋で飼われていた俺と同じようなガキを、そのからだに産み付けられた得体のしれない虫の卵と一緒に、三日三晩かけて食ったんだ。腹の中で何かが無数に生まれたのが分かったよ。それが無数にうごめいて、肛門や口から一杯に出てきたんだ。そして酒につけられて、エルフの虫酒だかなんだかの材料にされたよ。闇でどれだけの値がついたかわからないけれど、でっかい酒瓶の中から、頭のおかしなやつらが美味そうに俺の酒で飲んで、お上品な会食をしているのをみたなぁ。ああ、どうして俺が生きてるかって? そりゃあ、俺の中にいくつものわけのわからん魂を入れられていたからさ。ご主人様はお気に入りの少年を何度も何度も苦しめるのが好きでね。まあ、おかげで生きたまま逃げられたわけだけれど? ははは、最高に最悪な地獄だったな」
犯人の手が止まってしまって、動かない。生きてはいるようだが、心が死んでしまったようだった。
ニコは鼻で笑った。
「人間なんて生き物はほんとうに弱っちいなぁ。同じようなことをされて、十分も持たずに寝を上げるとはな。仕方がない。さあ、悪魔ども。お前らには低級ではあるが肉体を与えてやったんだ、それなりの仕事はしてくれよ」
ニコの言葉に、どす黒い緑色の物体が動き出した。
「お前の肉体が取引をした奴隷商の記憶を呼び起こせ」
「は、イ、ごしゅ、じん、さ。ま。あれは、アル、ジャを、買った、の、は、蜘蛛、の紋章、つけて、いた、銀の、丸い、リング、指輪」
「ああ、蜘蛛か。よくあるモチーフだな。おそらく末端業者だな。商品引き渡しのルールは?」
「樽か、箱、沈まない、箱にいれて、海に、おとす。夜。その時、一緒に、紙、入れる。紙は、濡らしては、だめ。破っても、だめ。慎重に、いれる」
「呪符か、魔法符か。それが目印か」
「そうすると、商品、回収、できる。商品、なければ、呪い、返される」
「ということは、お前にも何かの術がかかってるわけか。って、悪魔を憑依させたから、その呪文は吹き飛んじまったかな」
心が死んでしまった醜い人間をニコは見た。
「こいつにはかかってるか」
ニコはその人間を使い、呪い返しを行った。その術に着色という目印を施すと、醜い人間から一筋の金色の糸が伸びてゆく。
「ああ、アナスタシア。アーレンの向かった方向は間違っていないようだ。ただ、隠匿の魔法と瞬間移動の魔法を使っているみたいだ。船を背負ったドラゴンでは追い付かなっただろう」
「追う?」
アナスタシアが冷たい声で問う。それにニコは微笑んで答えた。
「追え」
お読みいただき、お疲れ様でした。
お読みいただき、ありがとうございます。
今回は少々ショッキングな内容だったかと思います。
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