売られたもの、売ったもの
そのねっとりとした声に鳥肌が立った。とっさに離れようとしたが、すぐに後ろには先ほどの男がいて、がしっと肩をつかまれた。
「珍しいもんを連れてきたね。これは金になる」
「でしょう? ボス」
「けど、追跡されてるんだ。すでに誰かの持ち物だったんじゃないかい? 身なりも、」
アルジャの服の襟が引っ張られ、ピンと弾かれた。
「良いってわけじゃないね。……流行りを着せられている感じか。ふん。ブランドのカジュアルライン……。お仕着せってわけじゃないか。お飾りにするには顔の傷か目立つし、お小姓にするには安いね。仕入れ元はどこか言っていたかい?」
「不明だそうで」
「怪しいね。こりゃ誘拐だね。うちの目玉にしたいとこだけど、厄介なのに付きまとわれちゃ商売あがったりだ」
「そうですか? 俺としては仕込みがいがあると思ったんすけどね」
「この面倒な追跡魔法をどうにかできるってんならはなしは別だけど、お前できるかい?」
追跡魔法? アルジャは聞きながら、もしかしてニコが探してくれているのではないかと思った。それは期待だ。
やはりニコやアナスタシアが売ったのではない。
ニコはすごい魔導士だとアナスタシアが言っていた。であればきっと見つけ出してくれるはずだ。
「もしも追跡をどうにかしたら、こいつ、俺のラインで売ってもいいですか?」
「いいよ。好きにしな。できなかったら私の顧客に押し付けるよ」
「まかしてください」
背後にいた男の声が耳元でする。それは女の声のようにねっとりと変わった。そして肩を名が出るように手が下へと移動してゆくのだ。
気持ちが悪い。
しかし悲鳴すら上げられなっかった。
体に絡みつくようにだきすっくめてくる男から、今まで感じたことのない魔力が発せられていたからだ。
今動いてはいけない。本能がそう言っていた。
その朝、異変に気が付いたのは料理当番だった。船の揺れが酷くろくに眠れなかったうえ、いつもならされているはずの準備が何一つされていなかったからだ。食堂に明かりすらついていないし、当然だが食材庫と食器棚の解錠と準備もされていない。それはおろか、飲み水すら運ばれていない。
あの奴隷エルフが!
と怒りが湧いたが、呼びに行っている時間ももったいないので先に下準備を行った。
そうして準備を終えてからやっとアルジャの部屋に怒鳴り込もうとしたとき、部屋の扉が開け放たれていることに気付いた。
中にはアルジャの姿はなかった。
寝坊して慌てて起きやがったのか、どこに行った。
そう思って船中を探した。見つからず、もしかしたら船長のところかもしれないと思った。船長と副船長が揃ってアルジャを特別扱いしているのは気に食わなかったが、そうであっても仕方がないと理解する部分もある。自分がもし他種族の集団の中で生活したとして、その中に同じ人間がやってきたら、やっぱり嬉しいし、一緒にいる時間が増えるだろうと思うからだ。
しかし、船長ニコは操舵室で眠っていて、その傍にはアルジャはいなかった。
アナスタシアといるのかと思い甲板に行けば、甲板長のゴアと何やら深刻な話をしている。
「アーレンが航路を戻してくれないのよ。すっごく怒っていて、私の声を聞いてくれない」
「昨夜の見回りの時はアルジャと楽しそうに話していたようですが……。アルジャと喧嘩でもしたのではないですか?」
「喧嘩したからって、航路を勝手に変えるってことはないわよね? アーレンから引綱を取りたいけど、そしたらあの子勝手にどこかに行っちゃいそう……。でもこれ以上航路ぞ外れるわけにはいかないし。ああ、どうしよう。こんなの初めて。……アルジャがドラゴンと操れないって、こんな気持ちだったのかしら……!」
アナスタシアが泣き出してしまった。当然、話しかけられず、やはりアルジャのなかった。
しかも航路がずれているという大問題が発生している。
アルジャがサボったという話題など出せる空気ではない。
仕方がない、顔を出したら思い切り怒鳴り散らしてやろうと決めて、朝食の準備に戻った。
けれど食堂にアルジャは結局現れなかった。
食事の後、誰もいなくなった食堂で料理当番が一人食事をしていると、アナスタシアがやってきた。
「朝ごはんの支度、ありがとう。……アルジャは、一緒に食べてないの?」
「ああ、あいつサボったんすよ! なんなんすか! 一応あいつの飯も取ってありますけどね、これ、罰で飯抜きくらいしてもいいんじゃないすか?」
しかも、航路が外れた原因はもしかしたらアルジャにあるかもしれないのだから、さすがにアナスタシアも怒ってくれるのではないかと思っていた。
胸がすいた。
けれども、アナスタシアの表情は、赤くなるどころかサッと青く変わったのだった。
「アルジャ、……いないの?」
「……はい」
「いつから?」
「さあ、それは、分からないです……」
アルジャが船から消えた。
船内の大捜索が始まった。アナスタシアは青ざめていて、しかし何かを悟ったような顔をしている。
一方で、ニコも顔面蒼白であるが、今にも吐き出しそうなくらいで、小刻みに震えていた。
「誰か、アルジャの行方を知っている人はいないの? ねえ!」
アナスタシアの怒声が響く。
誰も答えなかった。
そんな中、一人が言った。
「海にでも落ちたんじゃないですか」
あり得る話しではある。けれどもアナスタシアはそれでは納得しなかったし、甲板長のゴアさえも、その言葉を一蹴した。
「そういえばお前、昨夜、アルジャがしまい忘れた樽をしまいなおしたと言っていたな。夜、外にいた。なにか知っているだろう?」
「え、いや知りませんよ。外にいたらアルジャを知っていることにはなりませんよね」
「俺もすぐに気が付けばあよかったんだが、しまい忘れたとしても、荷は船内から出さないよな。なざわざわお前たちは、しまいなおすはずの樽を外で運んでいた? 遠回りだよな?」
「……」
「倉庫番、樽を調べろ」
昨夜樽を運んでいたと言われる船員二人が拘束された。
そして、倉庫番から意外な事実が告げられる。
「樽には異変はありません。中身は全部、積荷の酒類と茶葉です」
ゴアの読みは外れた。
そして拘束されていた二人は、すぐに縄が解かれた。
「こんな名誉棄損がありますか?」
「戻ったら訴えますからね!」
と毒づいた。
その間、船長のニコは青ざめたまま無言だった。
アナスタシアが率先して、動いていた。そのアナスタシアが、
「では、皆、甲板に集まってくれる?」
と告げた。
「確かめたいことがあるの。これで最後にするわ」
アナスタシアの命令で、全ての船員が甲板に集まった。
「アーレンがすごく怒ってるの。こんな風に、私の命令を無視して動くなんてこれまではなかった。ドラゴン使いとドラゴンはね心を通じ合わせて、信頼関係を築く。信頼があるから、ドラゴンはドラゴン使いの命令をきく」
船は物凄いスピードで奔っていた。揺れも酷い。
「そう思ったら大間違いよ」
アナスタシアが船員を睨んだ。
「ドラゴン使いとドラゴンではどっちが強いと思う? 当然ドラゴンよ。ドラゴンは普通、他者には屈したりしない。ドラゴン使いは普通ではないの。普通ではない力を使って、調伏している。……その調伏を跳ねのけるほどの怒りって、どんなモノかしらね」
アナスタシアは笑った。そして叫んだ。
「解除! アーレン! 殺してはいけない!」
そのすべての言葉が最後まで聞こえただろうか。
解除の声とともに、海から海竜が解き放たれた。白い体が海から虹のように飛び出したかと思うと、迷いなく甲板にいた人間達に向かって牙をむいた。
そして一人の人間を噛み咥えて海に飛び込む。
殺してはいけない。そこまで命令を聞いていただろうか。
そもそも、アナスタシアの前置きはどういった意味だったのだろうか。残された人間たちは呼吸も忘れて立ち尽くしていた。
ドラゴン使いの命令を聞かないドラゴンが、ゆっくりと海面から顔を出した。赤い水しぶきがある。口には今にも肩が胴体からはがれそうになっている人間が咥えられていた。
その人間は、倉庫番だった。
「さあ、アーレンの餌になりたくないのなら、さっさと名乗り出なさい。あの子は、アルジャを連れ去った人間を全員覚えているわ。死にたかったら、別だけれど」
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なのでこんな中途半端な深夜に更新に。
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