嵐の海と、黒い芽生え
その日の海は時化ていた。
天気も悪い。雨や風は今のところないが、雲の流れからほどなく嵐がやってくるだろう。
乗組員たちはあわただしく嵐に備えている。アルジャも大きく揺れる甲板の上を走り回って、その準備の手伝いをしていた。
最近は怒鳴られることも減った。自分なりに仕事を覚えてきた結果だと思っている。
荒れる海面から時折アーレンが顔を出し、潜ってゆく。
「あの子に船の導きをお願いしているの」
アナスタシアが言った。
「導きって?」
「船をひくのよ。シードラゴンは船をひくことも役目の一つなのよ。海竜兵団って知ってる?」
「名前くらいは」
アルジャは素直に答えた。
「海の竜騎士みたいなものだんだけれど、背に騎士を乗せるのではなくて、その背で戦艦をひくの。巨大なものから、小型のものまで、様々形はあるわ。アーレンはまだ戦艦をひくまで体が成長していないけれど、この商船くらいは軽くひける」
「でも、この船もなかり大型だ」
「海竜の馬鹿力は見た目よりもずっとすごいのよ。嵐の荒れた海も、アーレンに任せておけば安心。アルジャは部屋に入っていてね。かなり揺れるから気を付けて」
「アナスタシアは?」
「私は海のドラゴン使いだもの。アーレンに指示を出すのは私」
「じゃあ甲板にいるのか? 嵐の中?」
「そうよ」
「危ないんじゃないのか?」
「心配してくれてありがと。けど、竜騎士だって暴風雨や雷雨の中でドラゴンに乗って空を駆けるでしょう? それと同じことよ。むしろやる気が出てくるわ」
アナスタシアは綺麗な顔で笑った。
「……だったら、俺も、アナスタシアのドラゴンの使い方を見たい。傍で」
「……」
「アーレンのシードラゴンとしての雄姿も見たい」
「……、いいわよって言いたいけれど、だめよ、アルジャ。あなたは、まだ海の嵐を知らない。船の揺れになれていないのに、外に出すわけにはいかないわ。部屋にいなさい。これは副船長としての命令」
「けれど、」
「アルジャ」
「……わかった。わがまま言ってすまない。仕事を済ませたら部屋に戻るよ」
「わかってくれてありがとう」
嵐が来る前に先に食事となった。食事当番には怒鳴られながら配膳をし、アナウンスを流した。船の揺れが一層激しくなってくる。
船酔いしそうな者は自己申告で食事を控えて、アルジャはその分の食事を携帯の箱に詰めて冷蔵庫にしまう。
「アルジャ、俺のも保管しておいてくれ」
そうアルジャに声をかけたのは、意外な人物だった。
船長のニコである。
「え、……ニコさんも船酔いするんですか……」
驚きながら食事を受け取った。
「はは。厳しいな。俺はこれでも天空出身。海には本来なじみがない。お前も近いうちにわかるさ、そう、今晩にでもな」
ニコは快活に笑った。周りで乗組員たちが何か言いたそうな顔でニコを見ているのにアルジャは気が付いた。その理由は分からない。ただ、なんとなく、変な空気だった。
「アルジャもあまり食べないでおいたほうがいいぞ」
「……ご忠告、ありがとうございます」
保管してある食事と洗い終わった食器をしっかりと固定して、アルジャは一番最後に食堂を出た。
そのころには外は真っ暗で、風もかなり強くなっていた。雨が激しく叩きつけている。
外に出ることは禁止されたが、アルジャに与えられている部屋は他の乗組員たちとは違い、外の通路を通らなくてはいけない個室だった。手すりにしがみつくようにして細い通路を歩いてゆくと、船体が大きく横に揺れた。
浮いた。
アルジャはそう思った。現に体が浮かんだからだ。
「うわっ!」
そしてそのまま船の外に放り出された。手すりを辛うじてつかんでいたために海に投げ込まれることはなかったが、船はさらに逆側に大きく傾くと、そのままアルジャは船体に叩きつけられた。
「ぐっ」
激しい雨と風にアルジャの体はすでにびしょぬれで、今度は波しぶきも浴びた。波が体を引っ張ってゆく。引力に逆らおうとして必死で腕に力をいれるが、船は大きく揺れるので思うように体を支えられない。
手すりをつかむ手も滑る。
「誰か!」
助けの呼ぶ声は風と波の音にかき消され、暗闇の中に人の気配はなかった。
このままでは海に落ちてしまう。
「誰か助けて! 誰か!」
アルジャは必死で叫んだ。けれども、乗組員は全員船内にいる。
そうだ、アナスタシアは外にいるはずだ。アーレンに指示を出すために甲板にいると言っていた。
「アナスタシア! アーレン! 助けてくれ! アーレン!」
手がもう限界だった。しびれてきて、力が入らない。
「くっ……」
痙攣のように指先が震えた。
「何をしている?」
暗闇の中、声が聞こえた。アナスタシアのものでも、ニコの者でもない。でも聞いたことがある。乗組員のだれかだろうと思った瞬間、アルジャの手首が掴まれた。
「あ、ありがとう……」
そのまま引き上げようとしてくれている。
「なに、礼はいらないさ」
そして、放された。
え。アルジャは何が起こったのかわからず、目を見開いた。
体が波にさらわれる。
どぶん、と真っ暗な海に沈んだのが分かった。鼻や口から問答無用でしょっぱい海水が入りこみ、浮かぼうとするアルジャの頭上から波が叩きつけられる。上も下も全部真っ暗だった。
そんな。
待って。
なんで。
服が水をさらに吸って重たく、水をかく腕を拘束している。ばたつかせたい足をからめとる。
ああ、そうか。そうなのか。
助けようとしたんではなく、あれは殺そうとしたんだ。
だから礼はいらないと。
追放のエルフだから。
邪魔だから。
ああ、どうして。
死にたくない。
こんなことで死にたくない。
ムカつく。
どうして俺が死ななきゃならないんだ。
溺れながら、気を失いかけながら、アルジャの心が憎しみと怒りで染まっていった。
どうして俺が殺されなきゃまらないんだ。
水の中で、ごぽりと最後の息を吐いた。そして強く思った。
俺に力があれば。
あいつらに、……やり返してやるのに。
ドラゴンが操れたら。
あんなやつら、八つ裂きにしてやるのに。
アーレン。アーレン、あいつを殺せ。俺を殺そうとしたあいつを、殺してくれ。
強く願った後、アルジャは少しだけ我に返った。
駄目だ、アーレン、お前はアナスタシアのドラゴンだから、そんなことはさせられない。
大丈夫。
復讐は俺自身でやるよ。
だから大丈夫だ、アーレン。ごめんな。
水の中、アルジャの耳の奥に雄たけびのようなものが聞こえた気がしたけれど、その正体を考える前に、なにか強い力で引き上げられてゆく感覚に気を取られた。
その力は物理的なものではなく、身体全体を覆って守るような不思議なものだった。
アルジャは意識を失う直前で、海上に掬い上げられたのだ。
「間に合ったか? 生きてるかアルジャ!」
「ニコさん……?」
甲板の上にどさりと落とされ、すぐにニコが抱き起してきた。
「俺のやったマジックアイテム着けてるか? 握ってろ! いいか、絶対に死のうと思うなよ!」
大丈夫、今は死のうとなんてひとかけらも思っていません。
アルジャは心の中だけで返事をした。
絶対に死ぬものか。
服の上からペンダントを握りしめ、自力で体を起こした。
手の中で宝石が熱くなってゆくのが分かる。それは体全体を覆い、中に浸透し始めた。
回復さえれていっている。
「助けてくださったのは、ニコさんんですか?」
「ああ。すまない、……遅くなった」
「全然。むしろこんな俺のためにありがとうございます。……立場、また悪くなっちゃいますよね? すみません」
「……違う」
「そうですよね。俺が勝手に船から落ちただけです」
「そうじゃない。違う、アルジャ、……」
「もうへまはしないように気をつけます。ありがとうございました」
アルジャは深々と頭を下げた。
嵐はさらに強くなってゆく。船の揺れも荒々しい。
アーレンの体が海の中で白く輝いているのが見えた。
もしかして、ニコ船長に知らせてくれたのはお前か、アーレン。
ありがとう。
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その嬉しさとは真逆のストーリーになってますが……、楽しんでいただけたら幸いです!
また更新頑張ります。
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