悪魔の囁き
区切りが悪かったので二話分纏めてです。
「きゅ! きゅきゅぅ!」
んあ?
誰かに頬を突かれてまどろみの中にあった意識が浮上する。寝ぼけて霞む目で辺りを見渡してみると猛烈に怒ったように鳴き声を上げているオスカーが顔の横にいた。
なんだ? 飯か?
「おはよう、オスカー。ほーら、ご飯だぞー」
少し埃臭い毛布を捲ってベッドに腰掛け、放り投げていた上着のポケットを漁ってどんぐりもどきを取り出す。
「きゅい! きゅ、きゅうきゅい⁉」
「え? 違うの?」
差し出してみると嬉しそうに齧り出したが、半分くらい食べてまた鳴き始めた。
ノリツッコミみたいな感じで面白かったけどさっぱり分からない。
「きゅ! きゅ!」
意味が分からなくてボーッとする頭を掻いているとオスカーは齧りかけのどんぐりもどきを抱えたまま扉の前に移動して必死に扉を指さす。
ますます分からない。何度も扉を指さす理由は……。ッ‼
「……トイレだな!」
「きゅぅぅぅぅ‼」
いつもより甲高い鳴き声を上げたオスカーは持っていたどんぐりもどきを尻尾で弾いた。弾かれたどんぐりもどきは一直線に俺の顔に向かってきて。
それを焦点の定まらない目で見ていると、その目に当たった。
「ぬおぉおおおおおおお⁉」
痛い! めちゃくちゃ痛い!
命中した左目を抑えて悶絶していると今度は右頬に衝撃が走った。
すごい勢いでベッドに倒れ伏し、痛む右頬を抑えながら振り返ると尻尾を振り切った体勢で俺を見つめるオスカーがいた。扉の前から助走付けて尻尾ビンタとか酷くない?
「いったぁ……」
「きゅ」
自業自得と言わんばかりに胸を張るオスカー。
今のビンタで霞んでいた視界がはっきりしたので改めて状況を確認してみる。
気持ちよくベッドで寝ていたらオスカーに起こされた。そのオスカーは何度も扉の前で俺に何かを伝えようとジャスチャーしていた。寝ぼけていた俺を衝撃で覚醒させた。
賢いリスのオスカーが意味もなくこんなことをするはずがない。きっと何かある。
昨日何か言ったか? 店の外に二人が出て行った後、すぐに階段を上って今泊まっている部屋に入った。部屋に水瓶が置いてあったので身体を拭いてそのままベッドに突っ伏して。……そこからの記憶がないので寝たんだろう。特に何も言ってない。
ならそれ以前か? ……あ。
『……また明日来るわ、ユーキ。寝坊するんじゃないわよ』
ぎこちない動きで首を動かして窓を見る。……太陽は既に登っていた。太陽の上り具合からしておそらく昼前。
……どうやら俺、寝坊したみたいです。
「やっべぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええ‼‼」
ベッドから跳ね起きて上着と鍵を拾って勢いよく部屋から飛び出した! いつの間にか肩の定位置にいたオスカーが落ちないように気を付けながらも階段を段飛ばしで降りて食堂に到着!
食堂の席には既に客は居らず、食堂の隅にある机を挟んで座るアンズちゃんとテレサちゃんしかいなかった。
なんて言えばいいんだ⁉ ああ、わかんないけど謝るしかない!
「ごめん! ベッドの魔力に負けて寝坊した!」
「……ベッドには魔力なんてないけど」
ダッシュで二人に近付いて手を合わせて腰を九十度に折って謝るとジト目で俺を見つめるテレサちゃんと目が合った。
……気まずい。
「……まあ、時間指定しなかった私も悪いし、今回は許してあげるわ」
「テレサが約束反故にされてキレない⁉ まさか……⁉ 天変地異の前触れかしら……!」
「打つわよ?」
よ、良かった……。鉄拳制裁くらい覚悟してたけど許してくれたみたいだ。若干笑顔が引き攣って握り拳が震えてるような気がするけど、良かった。アンズちゃんを打つふりして俺が打たれるとかないよね?
「まあまあ。それよりライルの所行くんでしょ? もうじき昼なんだから早く行きなさいよ。連絡してるの?」
「ライルなんて連絡のしようがないじゃない。どうせ住宅街に居るわよ」
「昨日のお客さんから聞いた話だと今週から領主様の別宅でやってるって」
「ありがと、アンズ。ぼさっとしてないで行くわよ」
「あ、うん」
住宅街? 領主様の別宅?
ライルって人は一体何してる人なんだろうか。
早足で店を出て行ったテレサちゃんを見失わないように俺も後に続く。宿屋を出る前にアンズちゃんに鍵を返すのも忘れない。もし紛失したら大変なことになってしまう。この世界の鍵っていくらするんだろう……。
住宅街から大通りへ。日が落ちた頃とは違った活気で満ちた大通りを進むこと十分弱。巨大な噴水を中心にした広場に出た。日本でも見たことないくらい巨大な噴水だ。
いろんな屋台が噴水の周りを囲むようにテントを構え、美味しそうな料理を並べている。肉や魚が焼けた香ばしい匂いや香辛料の香りを嗅ぐだけで腹の虫が音を立てて騒ぎ出す。そういえば寝起きで朝飯食ってないや。
何度か屋台の匂いに釣られそうになったがその度にオスカーが目を覚まさせてくれた。扱いが雑で後頭部を尻尾で叩かれるんだが、今朝の事があるので何も言えない。もう少し優しくしてほしい。
誘惑の広場を超えると大通りの賑わいが嘘のように静かになった。
「ここが住宅街よ。壁の弊害で日光が入り辛いこの街だけど住宅街は日が昇って落ちるまでずっと日が差してるわ。だから土地の値段が高くて富裕層ばかり住んでいるわ。稼ぎが少ない人は区画の境界線や壁際に住んでいるわね。土地の面積が限られてるこの街ならではとも言えるけど」
「住宅街はマニュスアルマの一等地って事?」
「端的に言えばそうなるわ」
住宅街に住んでいる人の大半が仕事で留守にしているらしい。居るのは建築業で商売してる人か屋敷に仕える使用人らしいのでそれほどうるさくないとか。言われてみれば金槌で何かを叩いてる音が絶え間なく聞こえる。
「ライルさんって建築業の人なの?」
「そうよ。この街でライルを知らない人は居ないくらい有名よ。ほら、ライルの仕事場が見えてきたわ」
テレサちゃんが指さした先にあったのは一つの工事現場だった。
壁や屋根は無くなって骨組みと床だけになった屋敷の周りを囲むように足場が組まれ、何人かが足場の上で作業をしていた。頭に手ぬぐいを巻いて如何にもな感じだ。
地球で見たことのある足場を使っているのには驚いた。こんな所にも先代異邦人たちの影響があったなんて。
「ライルー!」
「ん? テレサじゃねえか!」
テレサちゃんの声に反応したのは屋根の骨組みの上で何かの作業をしていた筋骨隆々の男だった。頭に巻いた赤い手ぬぐいとぼさぼさに伸びた灰色の無精ひげが印象的なその男はすいすいと足場を伝って地面に降り、軽やかな足取りで俺たちの元へ駆け寄ってきた。
「どうしたんだこんな昼間に。店の方はいいのか?」
「領主様から大口の注文があったから休業中で、仕込みが終わったから熟成待ちよ」
「ここんところ領主様が色々としてるって聞いてたがテレサの所にまで話が来てるとは驚いた。で、今日は何の用だ?」
「私の隣に居る子、ちょっと訳あってお金がないのよ。雇ってくれない?」
「うちでか?」
「ええ」
テレサちゃんから俺に目線が移る。舐めるようにじっくりと俺を観察したライルさんは鼻で笑って肩をすくめた。
え? 何? 俺、馬鹿にされたの?
「ハッ。こんなひょろっちぃ奴、うちじゃ使えねえよ。テレサんとこで雇った方がこいつのタメだぜ?」
カチンときた。
何か言いかけたテレサちゃんを手で制して一歩踏み出す。先ほどとはまた違った、ジロリと睨め付けるような視線を向けるライルさんに臆さず、俺は堂々と胸を張る。
「なんだ、いちゃもんか? 坊主」
「逢坂悠輝」
「あ?」
「俺の名前です」
「そうか、ユーキ。で、俺になんか文句でもあるのか?」
別に体格の事でカチンときたんじゃない。
「使える使えないは仕事を見て判断してください」
何もしてないのに無能扱いされたことにカチンときたんだ。見た目だけで判断されるのが一番嫌いだ。見た目で俺の何が分かるって言うんだよ。
「ほう……。言うじゃねえか。ならお前は大工の仕事が出来るっていうのか?」
「俺は大工に関しては素人かそれ以下です。ですが、工事現場というのはそれだけですか?」
ライルさんは大工だったのか。なら納得の体格だ。日々重たい建材を運んで鉄の塊を振ってるんだ。筋肉だって自然に増える。荒くれ者の相手をしていれば自然と口調も荒っぽくなってしまうのだろう。
だが、大工の仕事とは。建築工事とはそれだけなのか?
「……お前に俺らの何が分かる?」
「何もわかりません。ですが役には立ちます」
「口は一丁前だな。そこまで言うなら試してやる。使えねえと判断したら、分かるな?」
「ええ。ですが解雇される気なんてありませんので」
まさに売り言葉に買い言葉だ。
折角テレサちゃんが用意してくれたチャンス、逃す訳にはいかない。俺は今、試されているんだ!
「ちょっと、あんなこと言って大丈夫なの?」
「平気だよ。いざとなれば山に行って売れる植物取ってくる」
「魔の山脈って気軽に行けるような場所じゃないんだけど」
どのみち、オスカーのおやつの為に一回戻るつもりだったし。そろそろ無くなりそうなんだよね、どんぐりもどき。この辺で生ってる所ないかな。
「ハッ、魔の山脈に行くなんて言うじゃねえか。それじゃ早速働いてもらおうか」
頭痛を堪えるように頭を押さえているテレサちゃんに別れを告げ、俺は新たな職場へと足を踏み入れる。
こうして俺はライルさんの元で働くことになった。
一日目
「ユーキ! 柱の用意は⁉」
「出来てます! 言われた場所に纏めてあります」
「よし、次は」
俺はそのまま工事現場に残り、テレサちゃんは帰って行った。
昼食の後、今やっている工事の内容とその他諸々の説明を聞いてから材料運びや現場の整理整頓を任された。生意気な新入りにも食べ物を分けてくれるなんて優しい。
途中休憩の時に現場に出入りしている人と仲良くなったりこれから行う仕事の事を聞いたりして過ごした。みんな筋骨隆々の強面だったけど話してみるといい人ばかりだった。仕事に誇りと情熱を持っているので熱くなりすぎるのが玉に瑕だ。
仕事に慣れて余裕が生まれたので周りの人が何をしてるのか観察してるうちに一日目が終わった。
ライルさんの機嫌は上々で明日も頼むと言われた。掴みは成功したと思う。
明日の集合時間などを聞いてから宿屋に戻る。この日の夕食はカレーのような色をしたスープだった。スパイスの効いた絶妙な味付けだ。通りがかったアンズちゃんにお礼を言って部屋に戻る。仕事をし始めてから居なくなったオスカーはベッドの上でスヤスヤと寝息を立てていたので起こさないようにずらして俺も眠った。
三日目
「ユーキ! 次の」
「加工ですね? 道具と材料の準備出来てます」
「お、おう」
雑用にも慣れてきたのでライルさんが次に取り掛かる仕事を先読みして準備を進めた。初日に色々と聞いておいたのが役に立った。大工の仕事は順々に行われるので意外と読みやすい。聞いてた話と違う部分もあったがその都度確認して頭の中で調整をする。
何度かあった途中休憩は昨日と同じように過ごした。何人か親しくなれたので色んな事を教えてもらった。その中でも印象に残ったのが、仕事の八割は準備で決まる、という言葉だ。
すごく良い事を聞けた。俺がこの現場の歯車になってやる!
その日の夕食は肉じゃがのような煮物だった。久しぶりの肉で涙が溢れた。
どうやらオスカーは金槌で物を叩く音が嫌いの様だ。今日も仕事中は何処かに行っていた。どこに行ってるのか気になる。
五日目
「ユーキ」
「はい」
「お前やりすぎ」
「迷惑でしたか?」
「いや、逆だ。お前なしじゃ仕事にならなくなりそう」
先読みしすぎてライルさんにそう言われた。
じいちゃんに砥石の使い方を教わっていたので切れない刃物を研ぎ直したり、使う道具をさりげなく用意したりしてただけなんだけど。後は誰が見ても分かるように道具や材料を整理したり掃除してた。
やっぱり職人は素人の俺とは違った。空いた時間を利用して鋸引きなどを真似してみたんだけど全然できなかった。それを見ていた大工さんたちが途中休憩の時にアドバイスしてくれたのは嬉しかった。おかげでかなり上達したと思う。
今日から俺が昼食当番になった。最近はアンズちゃんに頼んで捨てる食材をもらって弁当を作っていたんだが、それがライルさんの目に留まったみたいだ。地球に居た頃、じいちゃんたちが経営してた宿屋の料理番は俺だったので料理するのは得意だ。
作った昼食は好評だった。毎日作ってくれと全員に頼まれてしまった。誰かに必要とされるのは嬉しいことだ。張り切っていこう!
この日の夕食はまたカレーのようなものだった。ある程度のメニューで回してるのかな?
十日目
「ユーキ」
「はい」
「これやってみろ」
「え、いいんですか? 仕上がりですよね?」
「お前なら出来るはずだ」
そこまで技量を必要としない仕上げ仕事を任せてもらえた。体格の事で笑ったあのライルさんが俺を認めてくれたと思うと胸が熱くなった。その期待に応えたい。
この現場にいる全員と親しくなれたおかげか現場の雰囲気が明るくなった気がする。初めからこうだったのかもしれないが、気持ちよく働くことが出来た。清々しい気持ちだ。
給料の話になったので詳しく聞いた。ここで得た給料が俺の生命線だ。根掘り葉掘り聞きまくった。
工事が終わってから掛かった費用と手間賃を請求するらしく、工事が終わってから貰えるみたいだ。日本と違って初めから金額が設定されてないのには驚いた。それでも注文が絶えないのはライルさんの腕と人望あっての事だろう。ここを紹介してくれたテレサちゃんには感謝しないと。
夕食はシチューのような物だった。いい加減他の味を感じたい。
オスカーはそよ風のつむじの庭で日中過ごしてるようだ。テレサちゃんみたいに過剰な反応はないらしいので自由に過ごしてもらっている。
二十日目
「ユーキよぉ」
「はい」
「俺のとこでずっと働く気はねえか?」
いつものように任してもらえた仕事をこなしていると、ライルさんから就職しないかと言われた。それも職人さんと同じ待遇らしい。正直に言えば魅力的で、スカウトしてもらえて嬉しい。初めて会った時の事も謝罪してもらえた。俺の仕事を、ライルさんに認めてもらえたんだ。走り出したいくらい嬉しかった。
でも、ライルさんの好意に甘えてばかりではいけない。しばらく考える時間をもらった。果たしてどうするべきなんだろうか。このままライルさんの所で働いていくのも悪くない。……でも、何か忘れてるような気がする。とても大事な事だったはずだ。
二十五日目
「今日までよく働いてくれた。ご苦労だった。これがこの現場でお前が稼いだ給料だ」
結局、就職の返事をする前に工事が終わった。忘れていたことが何か思い出すこともなく。
いつもより早く仕事を切り上げたライルさんが麻袋のような物を俺に手渡してくれた。その中には五百円玉よりも一回り大きく、五百円玉二枚分の厚みのコインが三枚入っていた。
「これは……?」
袋から一枚取り出して裏と表を交互に観察してみる。表には立派な寺院が彫刻されて裏には訳の分からない幾何学模様が刻まれていた。これは、通貨なのか?
「小金貨だ。三枚でそよ風のつむじに二ヵ月泊まれる額だ。次の現場はもう決まってるから働く気になったならいつでも来い。お前なら大歓迎だ」
ライルさんには俺が異邦人であることを伝えてあったのですぐに疑問に答えてくれた。そよ風のつむじはそれほど高くない一般向けの宿屋らしいので貰った給料の高さが分かった。一泊五千円で計算すると日本円で約三十万円相当。てことは、……一日、一万二千円⁉
大金をこんなに無造作に渡していいの⁉ 手のひらから落っことしてしまった小金貨を慌てて掴んだ。危うく十万円相当の金貨を落とす所だった。
「こんなにもらっていいんですか⁉」
「おう。お前が働いてくれた仕事量に見合う報酬だ。小金貨三枚じゃ少ねえかもしれないくらいお前は働いてくれた。だから胸を張れ。それはお前が稼いだ金だ、ユーキ」
「ライルさん……!」
胸の奥からこみ上げてくる熱を感じた。泣きたい衝動をグッと堪え、俺は胸を張った。涙がこぼれないように上を向いてしまってどうにも締まりがない。
「そうだ、男なら胸を張れ。その金をどう使おうがお前の勝手だが、阿呆な事で散らしやがったら承知しねえからな」
ニカッと子供のような笑みを浮かべたライルさんは弟子の皆さんに帰る支度をするように指示を出し、今さっき完成したばかりの屋敷の中に消えていった。
足場が撤去されて姿を現した純白の壁が眩しく見えた。これを造るために一ヵ月近く働いていたと思うと感慨深い。
少し寂しい気持ちを振り払うように貰ったばかりの給料を大切にポッケに仕舞って帰路に就いた。
そして、この後。悪魔が囁いた。
「ユーキ」
屋台が並ぶ噴水広場を超えた所でテレサちゃんに会った。仕事をしてる間会っていなかったので約一ヵ月ぶりの再会だ。
「ちゃんとお金は貰えた?」
「うん! これで滞納してた宿泊費を払えるよ」
「そう、それは良かったわね」
何だろう。久しぶりに会ったテレサちゃんは何処か様子が可笑しかった。
どこが可笑しいとは言えないけど、悪戯をする直前の子供のような不気味さを感じられたんだ。帽子で隠れて表情が見えないからか?
「所でさ、あんたこれから暇?」
「え? 仕事終わったから暇だけど」
宿に戻ってもお金を払ってオスカーと遊ぶくらいだ。どんぐりもどき集めないとマジでヤバい。二桁切ったよ。
「なら街の外まで付き合いなさいよ」
テレサちゃんに連れられて街の外までやってきた。魔の山脈からやってきた街道ではなく、南門から少し北上した何もない平原に俺たちは居る。そろそろ日も暮れるので早く戻らなくちゃいけない、
理由も教えてもらえずに付いてきたが、一体何がしたいんだろう。こんな何もない所に来る理由が俺には分からない。この辺にどんぐりもどきが生ってる木ないかな。
不思議に思っていると先導していたテレサちゃんが振り返り、俺が寝坊したあの日のように手を合わせ腰を折った。
え? 何?
「お願い! ユーキの黄金魔術を私に見して!」
黄金魔術? ……、ああ。そういえば俺、そんなの使えたね。まるで実感ないけど。
「いいけど、俺、黄金魔術どころか魔術のまの字すら知らないよ?」
「そこは抜かりないわ。私が使い方を教えるし、あんたと会ってない間に黄金魔術の事を徹底的に調べてきたから」
怖ッ⁉
そこまでして見たいのか⁉
テレサちゃんの準備の良さに驚いていると今度は俺に詰め寄ってランドレイシュ王国の衛兵に話しかけていたような甘ったるい声で懇願してきた。
「ね、いいでしょ? 少しだけでいいの、ほんの少しだけ! ユーキのカッコいい所が見てみたいなぁ~」
うわっ、気持ち悪ッ!
「鳥肌立つからその声やめて」
「チッ。素を見せすぎたか」
え。今、舌打ちされた?
気のせいだと思いたい。
「それで黄金魔術ってどうすれば使えるの?」
「そこまで複雑じゃないわ。私が調べた情報によれば、黄金魔術は使う媒体が魔力ともう一つってだけよ」
いつものぶっきらぼうに戻ったテレサちゃんは腕を組んで説明してくれた。もう一つって一体なんだろうか。
「もう一つって?」
「金よ」
……金? お金? いや、黄金ってことは貴金属の金だろ。きっとお金じゃない、うん。
「俺、金なんて持ってないよ?」
「何言ってるの。今さっき金貨貰ったじゃない。それを触媒にすればいいのよ」
「絶対嫌だ!」
人が汗水流して稼いだお金を使えだなんて。何を言ってるんだ! というか、俺が給料貰ったこと知ってるってどういうこと⁉ 隠れて見てたのか⁉
「魔の山脈。道案内。宿屋と職場の紹介。寝坊」
断固拒否の姿勢を貫こうとしていたらテレサちゃんが腹の底に響くような低い声でボソッと呟いた。小さな声だったけど、自然と俺の耳に残って、肝が冷えた。
こ、この人、俺の弱みに付け込む気だ……‼
「なんて酷い女なんだ……!」
「調べた情報によれば変形させる程度らしいの。別に無くすわけじゃないから安心しなさいよ」
「……その情報、信用できるの?」
安心出来ない……!
にこやかな笑みを浮かべているが分かるぞ。こめかみとか指先がぴくぴくと震えてる。これはきっと俺に色々と言われて怒っている。俺が寝坊しても怒らなかったのはこのための布石か……!
「ええ、出来るわ。あんなにしたんだもの、嘘だったら……」
続きは聞こえなかった。いや、聞きたくなかった。あの目は物騒なこと言ってるに違いない。
でも、テレサちゃんに大きな恩を受けたのは確かだ。テレサちゃんに会わなければ今でも山で生活してたに違いない。もうベッドのない生活は嫌だ!
無くならないというならテレサちゃんのお願いを聞いてもいいだろう。
『やめろ、乗るな』
「……わかった。やるよ」
「さっすがユーキ! まずは基本の魔術の使い方から教えるわ」
『ダメだ! それは悪魔の囁きだ!』
「……て感じ。ユーキの場合は金貨に魔力を流す手順が増えるだけだと思うわ」
「魔術って意外と論理的なんだね。もっとこう……感覚的なのかと思ってた」
「最終的には感覚がモノを言うわ。ほら、早く見せなさいよ」
「わかったよ。……使う金貨は一枚でいい?」
「どうせ変形するだけなんだから全部使いなさいよ。その方がサンプルになるから」
『聞くなッ‼』
「サンプルって……。まあ、いいか」
『使っちゃだめだ‼』
「ちゃんと戻るんだよね?」
「ええ。何も心配いらないわ」
俺はテレサちゃんに言われた通りの手順を踏んで手のひらに握った金貨に魔力を流してみる。
初めて魔力という物を使ってみたが意外とすんなり使うことが出来た。体中を巡る形容し難い熱を金貨に集めるように集中してみると、拳からスキルカードを使った時と同じ光が漏れ始めた。漏れた光は徐々に強さを増していき、直視出来ないほどの輝きを放った。
魔力が流れ始めたのか、握っていた金貨が柔らかくなってきた。握っている感覚すらなくなるくらい柔らかくなったかと思った次の瞬間。唐突に光が消えた。
「えっ?」
光の代わりに拳から零れていたのは、砂よりも細かい霧状の金の粒子。さらさらと風に乗って飛んでいくそれを呆然としながら見つめていた。
「あ」
間の抜けたテレサちゃんの声を合図に俺は風を追って走り出した。
握った拳の中にはもう何もなかった。本能が俺を走らせたんだと思う。
必死に働いて稼いだ金貨は金色の風になったのだ。
『風になった金貨は帰って来ないんだッ‼』
約一ヵ月働いた結果がこれだ。なんて勿体ないお金の使い方だ。きっとライルさんにぶん殴られる。アンズちゃんになんて言おうか。
ああ。なんて日だ。
「まっ、待ってくれ……!」
ここで冒頭に繋がります。