山を越えて
魔物。マナやオドを求めて彷徨う、動物とは違う進化をした獣。一見普通の動物見えても魔物だったりするそうでこの世界では家畜のことを動物と呼び、それ以外の野生の獣を魔物と呼んで区別するらしい。家畜の中にも魔物はいるそうなので詳しい境目は不明だ。
魔物には魔術を使う種類が一定数存在するそうで危険度は動物の比ではない。人間に含まれるオドを狙って襲ってくるらしく、許容魔力量が大きい人ほど狙われやすいそうだ。
こんなにも可愛い普通のリスのオスカーも魔物というのだから世の中不思議でいっぱいだ。
「なあ、オスカー。機嫌直せよ」
「……きゅ」
そんなオスカーくんは俺に利用されていたことがショックなのか絶賛不機嫌だ。
好物のどんぐりもどきをあげて機嫌を取ろうとするが逆の肩に逃げられてしまう。
かなり不機嫌だ。困ったなぁ……。
「あんたたち、少しは緊張感持ちなさいよ」
「そんなこと言ってもね、テレサちゃん。俺はオスカーの機嫌取りの方が忙しいんだ」
「あんたね……」
テレサちゃんが人里まで道案内してくれることになったので俺たちは今、下山している。俺が登ってきた方向とは逆側に向かっているのは有難い。もうあんなクソの治める国になんて行きたくない。クラスメイトのことが気になるが今の俺が戻ったところでまた縛られてこの山に戻ってくるのがオチだ。戻るならそれなりの準備が必要だし、あの兵士たちの動きに対応できない限り活路が無い。動きが早すぎて見えないとか笑えない冗談だ。
この山のことを知り尽くしているらしいテレサちゃんがいるので俺は特にやることがない。強いて言えば小腹を満たすために拾い食いするくらいだ。その度に「普通なら即死するような物食べるな!」ってテレサちゃんが怒るのはご愛敬だろう。
「やっぱこのどんぐりみたいなの美味いな」
「きゅぅ……」
「オスカーも食べるか?」
「きゅ!」
オスカーが食欲に負けてチラチラとこちらを見てくる度にどんぐりもどきを差し出してるんだが、未だに機嫌を直してくれない。かなり根が深い。それでも俺の肩には乗っているので嫌われた訳ではなさそうだ。
「私の気分一つでまた山籠もりする事になるって分かってる?」
……笑顔が怖いよ、テレサちゃん。
「もちろん。でも、俺には何も出来なくて暇なんだよ」
「いくらマナが濃すぎて魔物が近寄らない山と言ってもあんたみたいに許容魔力量が桁違いの魔物と遭遇するかもしれないのよ? そこん所分かってんの?」
「滅多に居ないって言ったのテレサちゃんじゃん」
「言ったけど、山頂を目指す魔物は通るわ。この山のマナをものともしない魔物は私でも手に負えないわよ」
「テレサちゃんが対処できないなら俺一人でも同じだよ。だからテレサちゃんに任せるんだ」
「あんたって口が減らない男ね……」
「誉めてもどんぐりもどきしか出ないよ?」
「誉めてない……」
魔物にも許容魔力量はあるらしい。だから普通の魔物はここには近寄らないそうだ。さらに言っちゃえば濃いマナを求める魔物はマナの濃い山頂付近にいる。俺たちが通ってる道は山頂を目指して登ってきた魔物くらいしか遭遇しないのだ。緊張しろって方が難しい。
そういえば虫が居なかったってことは虫も魔物に含まれるってことでいいのかな?
テレサちゃんに聞こうと思ったが呆れられてなんだか話しかけ辛い。また今度聞いてみよう。
詰め寄られた後、俺はテレサちゃんに色々と聞かれた。
なんで許容魔力量が異常に高いのか。どうしてオスカーに好かれるのか。俺は何者なのか。様々なことを聞かれた。
その問いに俺は答えることが出来なかった。俺自身が知りたいくらいだ。
代わりに訳の分からない魔法陣に乗ってこの世界にやってきたこと、ランドレイシュ十四世にハメられたこと、俺が黄金魔術の使い手だからこの山に捨てられたこと。
俺の知ることを全て話した。全てを聞き終えると、テレサちゃんは眉間に皺を寄せて考える時間が欲しいと言ってあのログハウスの中に消えていった。このまま放置されるんじゃないかと不安な気持ちで待っているとテレサちゃんがログハウスから現れてくれた。そのことにホッとしていると人里まで道案内してくれると言ってくれたのだ。
この山には栽培していた薬草を補充しに戻っただけなのでついでと言っていたが俺はテレサちゃんの優しさが嬉しかった。ランドレイシュ十四世に散々な目にあわされた後だったからか、すごく心に響いたんだ。
勝手に薬草食べてごめんね? 今度同じの見つけたらあげるから許してね?
どれくらい歩いただろうか。朝から歩き始めてもう正午過ぎだ。ちょくちょく休みを挟んでいたが、かなりの距離を進んだぞ。
「後どのくらいかかるの?」
「夕方には街が見えてくるわ。口じゃなく足を動かしなさい」
「しっかり歩いてるよ。そういえばテレサちゃんは黄金魔術の事聞いても驚かなかったよね」
「いきなり何よ。ちゃんと驚いたわよ。滅んだと聞いてた太古の魔術の使い手がまだ居たなんて思いもしなかったわ」
「そうじゃなくてさ。黄金魔術が使えるからって差別しないのかなって思ってさ」
「なんだ、そんな事気にしてたの?」
そんな事とは何だ! そんなことのせいで俺は六日もこんな山で生活する羽目になったんだぞ!
「異邦人だから知らないのは当然ね。あんたの黄金魔術って地域によっては神様扱いされてたりするのよ。その反面、ランドレイシュ王国みたいに邪悪認定してたり邪心として忌み嫌ってる宗教もあるわ。それに、国くらい簡単に滅ぼせる魔術なんて他にもあるのよ。だからいちいちそんなことで神経質になるほどの事じゃないのよ」
それマジ? 物騒すぎない?
黄金魔術が地域によって扱いに差があるのは何故だろう……? 益々、前に黄金魔術を使っていた人のことが気になってきたぞ。
「これから向かう国は黄金魔術を嫌う文化はないからそれほど毛嫌いされることはないと思うけど、居心地が悪ければ黄金魔術を祀ってる地域にも案内してあげるわ。その代わり、対価はもらうけどね」
「げ、金取るのかよ!」
「当たり前でしょ? 魔術師が無償で取引に応じる訳ないじゃない。それに対価はお金とは限らないわ。私が価値があると認めた物を対価と呼んでいるのよ」
所持品は汚れた学生服とスキルカード、携帯食料のどんぐりもどきくらいだ。財布やかばんは教室に置き去りになったので正真正銘の無一文だ。情報が対価になるとしても洗いざらい喋った後だ。
どうしよう、対価になりそうな物がないんだが。
「今回は帰るついでだから対価はいらないわ。私が対価を取らないなんて珍しいんだから感謝しなさいよね」
流石テレサちゃん! 手を合わせて「ありがたや……ありがたや……」って唱えて拝んでいると気持ち悪いと罵られたので黙って歩くことにした。
感謝しろというから拝んでたのに……。
「やった! 平原だ!」
「あんたの体力どうなってんのよ……」
それから特に話すこともなく黙々を歩き続けた俺たちは山を降り、平原に辿り着いた。六日も木に囲まれて生活してたから木のない景色が新鮮だ。
はしゃぐ俺とは対照的にテレサちゃんはぐったりしていた。初めはぴんぴんしてたが山を降りるにつれて歩くペースが落ちていき、最後の方は俺が先導していたくらいだ。
理由を尋ねてみると。
「身体強化と呼ばれる魔術の一つを使っていたの。私はあんたほど許容魔力量が多くないから身体強化で身体に取り入れるマナの量を調整してたのよ」
魔の山脈は登るほどマナが濃くなり、降りるほど薄くなる。だから降りるにつれて身体強化の強度を下げてたらしい。マナはあるとしてもオドは何処にあったんだろうか。身体強化が魔術なら魔力を使うと言っていたのはテレサちゃんだぞ。膨大な量に見合うオドを用意出来るんだろうか。
素朴な疑問を尋ねてみると意外そうな顔でテレサちゃんが感心した。
「あんた、見た目の割りに鋭いわね。それは初心者が勘違いする落とし穴よ。魔力を精製する際、オドとマナは同じ量を必要としないわ。熟練した魔術師は魔力に必要なオドとマナの量を自分で調整出来るのよ。今回は限界までオドの消費を少なくしていたから私のオドが尽きなかっただけ」
魔力というのは奥が深い。マナが濃すぎて常人なら死ぬような場所でも工夫でどうにかなるとは。
「ん?どうかした?」
一人で勝手に感心していると何故かテレサちゃんがジト目で俺を見つめていた。今度はなんだろう。
「身体強化してた私と素で同じってどういうことなのよ、あんた」
「テレサちゃんが体力無いだけじゃないの?」
俺を捕らえた衛兵たちの方がよっぽどだ。ほとんどダッシュで俺を担いで魔の山脈まで行き、そのままダッシュで帰って行ったんだぞ。どう考えてもあいつらの方が可笑しい。
「私は魔術師にしたらある方よ。鍛えてる兵士や冒険者には敵わないけどね。……黄金魔術を使うって聞いてた勘違いしてたわ。あなた、武術か何かで身体を鍛えてた?」
「いや、鍛えてないよ。ただ毎日山登ったり海で素潜りしてただけかな」
「充分鍛えてるじゃない」
「そんなつもりはなかったんだけど」
俺としては食費を削るために駆け巡っていたのだが。最近は生き物に顔を覚えられたのか、逃げられてばかりで海藻や山の幸しか採れなかった。あの頃が懐かしい。
ちなみに山の持ち主や漁師の皆さんとは仲が良かったのでちゃんと許可はもらっていたぞ。
「あんたの図太さの訳がなんとなく分かったわ」
疲れた様子で歩き出したテレサちゃんの後を追う。山では滅多に危険がないと分かっていたから気を抜いていたが、これからはそうも言ってられない。ちゃんと付いていかないと迷ってしまう。
「そういえば冒険者って何?」
「冒険者っていうのは危険を顧みず未開の地を開拓する命知らずの総称よ。未開の地で得られる富や名声は計り知れないから庶民の間ではかなり人気の職業よ。実際に開拓してるのは実力の伴った上位層で、実力不足の駆け出しは街道近辺の魔物を駆逐したり必要としてる人のために素材を集めたりして生計を立ててるわ。主に冒険者が集めた素材は魔術師が薬液に加工したり魔技師が魔導具を作ったりして消費されてる」
テレサちゃんの話を聞くと一攫千金を狙ってるようにしか聞こえないぞ。
「実力が無いのに個々人で冒険者稼業をしてもたかが知れてるから冒険者斡旋組合、通称ギルドに身を置くのが常よ。仕事を紹介してもらえたりギルド傘下の店で値引きしてもらえたりしてお得だけど、その分年会費が掛かるわ。ギルド内でより貢献した冒険者を、実力のある冒険者を優遇するためにランク制を導入してるわね。私は加入してないから詳しくは知らないけど興味があるなら案内してもいいわよ。もちろん」
「対価は頂く、だろ?」
「そう。あんたも魔術師の事が分かってきたじゃない」
正直、興味はある。いずれ実力をつけて未開の地を開拓することで得られる物を想像すると夢が広がるし、ギルドに入ることで得られるサポートも充実してるって分かる。
けれど。
「俺には命を賭けるとか無理だ」
俺は帰りたい。じいちゃんやばあちゃんの居る地球に、俺は帰りたい。何年かかっても、あのクズから帰る方法を聞き出して帰るんだ!
「それが賢い選択よ。なんで冒険者なんて危ない職業が無くならないのかしらね」
前を向いてひたすら歩くテレサちゃんの横顔は何処か哀愁が漂っていた。過去に何かあったのか。
その顔を見ていると冒険者の話を聞く気が失せて、俺は何も言えなかった。
気まずいまま歩き続け、太陽が沈みかけた頃。
巨大な白い壁が姿を現した。夕日に照らされて異様な存在感を放っていた壁に圧倒されていると、いつもの不敵な笑みを浮かべたテレサちゃんが教えてくれた。
要塞都市マニュスアルマ。
過去の異邦人が築き、魔物の脅威から人々を守る偉大な鎧。
遠目からでも分かる巨大な壁は円を描き、壁の上にある六つの三角錐が存在を主張していた。こんなに巨大な壁を建造するまで何年かかったのだろうか。少なくとも十年単位だろう。
「すげえ……」
「この街の凄さは見た目だけじゃないわ」
立ち尽くす俺の背を叩いて走り出したテレサちゃんが振り返る。
「こんな所で立ち尽くしてないで早く行くわよ。門が閉まったら野宿決定よ!」
「野宿は慣れてるよ!」
「私は絶対に嫌!」
テレサちゃんに釣られるように走り出した俺たちが要塞都市マニュスアルマに入ったのは門が閉まる寸前の頃だった。