魔法陣の先
教室から見知らぬ部屋に集団で瞬間移動した俺たちはいつの間にか尻もちをついていた。魔法陣に驚いて立ち上がった者、椅子に座って呆然としてた者。みんな等しく、先ほどまで光っていた魔法陣が描かれた床の上に集合させられて、だ。
クラスメイトと担任教師を含めた総勢四十一名が一瞬のうちに見知らぬ部屋に移動させたこともそうだが、何よりも俺たちを取り囲むように鎧を着て槍を構えた人たちがすっごく怖い。クラスメイトよりも教室に入ってきた瞬間に巻き込まれた形の担任教師の狼狽えっぷりが半端じゃなかった。
「みなさーん、ホームルームの時間です。着席してくださいって、え? こここここ、ここはどこですか⁉ え? えっ? え、なんで? んん? なんで槍持った人に囲まれてるのですか⁉ 新手のドッキリ? やめてください! 先生、新任でこんなドッキリ耐性ないんですよ? ねえ?」
一挙手一投足に困惑が滲んでいて、逆に俺たちは冷静になるくらいだ。今にもヒステリックを起こしそうになっていた隣の女子も担任教師の狼狽えっぷりを見て冷静になれる程度にはすごい。
今年の春に着任した新任教師の多嶋晴彦。着任してから半年で見知らぬ部屋に瞬間移動するなんて思いもしなかっただろう。
幾分か冷静になれたので周りを観察してみる。窓もないコンクリートで作られたような部屋。五十坪くらいだろうか、かなりの人間が集まっているのに圧迫感を感じない程空間に余裕があった。
「落ち着いてください! 我々にはあなた方を害する意思はありません!」
右へ左へと忙しなく首を動かす先生を見てクラスメイト全体に謎の余裕が生まれ始めた頃、凛々しい声が部屋の中を木霊する。挙動不審になっていた先生も含め俺たちはその声の主を探して、見つけた。複数の白い全身鎧に守護された場違いの少女を。
透き通るように明るい金髪は緩やかなウェーブを描き、強い意志が宿る瞳は碧い。髪や瞳の色からして西洋系の人だろうか。それにしては親近感がある顔立ちだ。腰まで伸びた髪を優雅に従えた彼女は身に着けた薄桃色のドレスを軽く持ち上げ、自然な動作で会釈した。
「初めに手荒な形で御呼びしたことを謝罪させてください。そして、ようこそ! 異なる世界からやってきた勇者たちよ!」
顔を上げた時に見せた笑顔を見た瞬間、甘ったるい香りと言い表せない感情が体の中を駆け抜けた。
なんだこれは。無条件でこの少女のために尽くしたくなるこの高揚感は……‼ 理性では何かヤバいと理解しているのに、本能が疼いて堪らないこの気持ちは一体なんだ……⁉
訳の分からない気持ちと葛藤していると不意に肩を叩かれた。その衝撃で我に返った俺は反射的に振り返ると、苦しそうな表情を浮かべた大祐が口元に人差し指を立てていた。
「悠輝、静かにしてくれ」
「あ、ああ……」
大祐に目で回りを見てみろと促されて、目線だけで周囲を確認する。
「ッ⁉」
思わず悲鳴をあげそうになった。
男女関係なく金髪の少女に熱烈な視線を向けて興奮気味に息を漏らすクラスメイト達がいた。唯一の大人である先生ですらクラスメイトと同じなのだ。明らかに何かが可笑しい。
先ほどまでの高揚感がぶっ飛んだ俺は背筋にうすら寒いモノを感じて息を飲む。今度は俺から大祐の方に近付き、さらに小さな声で問いかけた。
「……これって」
「……集団催眠だと俺は思う。でなきゃこの異常な空気を説明できない」
突然見知らぬ場所に瞬間移動して鎧を着た人に囲まれてる状況であんな美少女が現れたら目を奪われるのは頷けるが、集団催眠って突拍子もない。何処かで催眠状態にするには時間が掛かると聞いたことがある。俺たちが連れて来られてからそれほど時間も経っていない。普通に考えれば四十一人も同時に催眠状態にさせるのは無理だ。
そう俺が考えているのを読んだのか大祐は続ける。
「突然のことが続きすぎて頭がついていけないのは分かる。けど、誰もあの女の子の言葉を疑っていない。俺たちは突然知らない場所に連れて来られたのに、誰も自分の意見を主張していない。普通じゃないよ。なら催眠を疑うのは当然だと思うんだ。俺も隣にいた奴がぶつかってくるまでああだったから分かる。この空間は異常だ」
俺も大祐に肩を叩かれるまでみんなと同じだったから分かる。他の事が段々考えられなくなるあの感覚は思い出すだけで気持ち悪くなる。
「でも催眠術をかけるにしてもここにいる全員同時に催眠させるなんて不可能だ。まだ過激な薬物で変な気分になったって方が現実的だろ。お前も感じたろ? あの甘ったるい匂い」
「匂い? 何言ってんだよお前。そんな匂いしないぞ」
は?
俺と大祐の間に認識の違いがあるのか?
「……悠輝、それは今も感じるのか?」
「い、いや……。今はしない。金髪の子が顔を上げた時だけだ」
「……俺やクラスメイトには分からない薬物をばら撒いていて、悠輝だけが薬物の匂いを感じた……のか? いや、違う。そもそも薬物なんかじゃない他の何か、なのか? っ⁉」
大祐が何かを閃いたと同時に例の少女が再び声を上げた。
「突然のことで理解できないかもしれませんが私の話を聞いてください! 」
少女は滑らかに唇を動かし、身振り手振りを添えて俺たちに強く訴えかけてきた。
「あなた方は皆、我らが神に選ばれし勇者様なのです。非力で無知な私たちにあなた方の勇気と知恵をお貸しください。私たちにはあなた方、勇者様を支援できる体制が整っています。何も心配することはありません。どうか、私の話を聞いてくれませんか?」
まただ。
またあの匂いだ。さっきよりこの甘ったるい匂いが強くなってるような気がするぞ。
頭を振って正気を保とうとしているとまた肩を置かれ、視線を向けた。気のせいか置かれた掌が微かに震えているような……?
「悠輝、こいつらマジでヤバいかもしれない……‼」
「? 一体何が分かっ――」
視線の先には何かに怯えた様子の大祐がいた。こんなに怯えてるのは小学生以来じゃないか? 俺はある種の確信を持って大祐から話を聞こうとした。のだが。
「モチロンです‼ 僕たち勇者はあなたの助けになりましょう!」
虚橋謙吾によって遮られた。俺たちの後ろにいたようで、勢いよく立ち上がった際に俺と大祐の間を割く形になった。
虚橋はリア充で、休み時間などはうちのクラスの美少女たちと話しているスクールカースト上位者だ。俺が家計を助けている放課後なんかは大勢の女子とカフェでお茶したりしている奴でもある。
その数多の女性を虜にする甘い顔も今はドレスを着た少女に釘付けでだらしないことになっている。
「ありがとうございます、勇者様! あなたの御名前を聞かせてくれませんか?」
「僕は虚橋謙吾です。あなたの名前も教えてくれませんか?」
「ええ、もちろんです! 私の名はエアリルフラカ・ヴィヌ・ランドレイシュ。勇者様を御呼びさせていただいたランドレイシュ王国の第二王女です。気軽にエリカと御呼びください」
「わかった、エリカ。僕のことは謙吾と呼んで欲しい。それで、僕たちに詳しい事情を聞かせてくれないか? きっと力になるよ!」
「ありがとうございます、ケンゴ。詳しい御話は会食場で致します」
「ちょ、待てよ!」
太陽のように朗らかに微笑んだエリカに虚橋を含め、クラスメイト全員がその笑みの虜になっていた。
展開が早すぎて全然付いていけない。まるで俺たちに時間と選択を奪おうとしているようだ。
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その後、俺たちは会食場と呼ばれる場所を目指して王宮の廊下ようなところを移動していた。
親しげに話す虚橋とエリカが先導して移動したのだが、俺たちを取り囲む鎧の人たちも一緒についてきた。きっと誰も逃がすつもりはないのだろう。一糸乱れぬ行進は並々ならぬ練度を感じさせ、おいそれと反抗できるような気がしない。威圧することが目的なら大成功だよ。他のクラスメイトはエリカに夢中で全然気にしてないけどね。
監視されながら歩くのはとても居心地が悪く、大祐が言いかけたことを聞きそびれてしまった俺は悶々としていた。聞き直そうにも移動し始めた際に大祐とはぐれてしまい、今どこにいるのかさっぱりわからない。我先にと動き出した彼等は密に群がる虫の様で気持ち悪かった。
一体何がヤバいんだ、大祐。
大祐の言葉の続きを考えていると大行進は終わりを迎えていた。顔を上げて確かめてみるとどうやらいつの間にか目的地に到着してしたようだ。
いい加減見飽きた簡素な造りの廊下の途中に豪華な意匠が彫られた扉が開け放たれていた。その先には煌びやかで眩しい装飾が施された照明が数多く並ぶ広場があった。
これが会食場か。なんだか目が痛くなる眩しさだ。
自身の財力を誇示するように揃えられた調度品や美術品。どれも見たことはないのだが、やっぱり既視感ある。
そして何よりも目立っている円状の机に並べられた美味しそうな軽食。日本で見たことのあるようだけど、見たことのない食事に俺の目は釘付けとなる。
あれ、食っていいのかな……?
「ご足労ありがとうございました、勇者様。ここが会食場です。そして」
エリカが別の扉の近くに待機していた鎧の人に目配せをすると、その人は頷いて閉じられていた扉を開け放った。その先で待っていたのは真っ赤なローブと金色の冠を身に着けた如何にもの感じの人だった。白い髭を蓄えた恰幅のいい男はゆっくりと歩きだしてエリカの横に着いた。
「私がこの城の主、ランドレイシュ十四世だ。ようこそ勇者諸君。我々は君たちを歓迎するよ」
ランドレイシュ十四世と名乗る男もまたエリカと同じようだ。エリカよりも遥かに強烈な甘い臭気を放つその男に俺は最大級に警戒心を抱く。ここの人間はなにかあると俺は直感した。