18
矢をつがえこちらを睨むエルフに弥生はエルフの存在に感動する暇なく、転んだ状態のまま両手を上げ抵抗する意思はないのだとボディランゲージで伝えた。 ……正確には「伝えたつもり」だった。
ヒュンッッ
またしても矢は放たれ弥生の顔の横を通り、今度は後ろの木に刺さった。
「女。 何の術を使うつもりか知らんが次にまたおかしな動作をすれば今度は外さん」
まさか無抵抗を表す動作が通じないとは。
(通訳、通訳呼んで! )
言葉は通じるけど、これでは立ち上がる事すらままならない。
「あの、私に攻撃の意思はありません。 今から立ち上がるので矢は打たないでください」
何が不興を買うか分からないし通訳もいないので、いちいち確認を取る事にした。
弥生はゆっくりと立ち上がるとエルフの男と向き合った。
「私は貴方がさっき言っていた異界の者です。 危害を加える気はないので矢を下ろしてもらえませんか?」
「その魔力は確かに異界の者なのだろう。 だが違う世界に来て何故そんなに落ち着いていられる? しかも自分が異界の者だと何故分かる」
「それは私が以前こちらの世界に来た事があるからです。 エルフにはいないですか? 番持ちは」
「番持ち……。そうか、アスディード国か。 あそこは獣人の血が濃く出るのだったな。 そして故郷に戻る魔法具を開発したと聞いた事がある」
「はい。 私はそれで元の世界に帰って、またこちらに戻って来ました」
「そうしたらここに出たと言うわけか」
「そう……みたいです。正直私も何が何だか分からなくて。 とりあえずそこに家が見えたので訪ねてみようとしたところを……」
「私に矢を打たれたと」
「……はい」
エルフの男は探るように弥生を見つめ、やがて矢を下ろした。
「分かった。信用しよう。それで、これからどうするつもりだ」
「勿論、私の番の所に行きます。 でもその、できたら今いる場所とかいろいろ教えてもらえると助かるんですけど……」
エルフの里にはとても興味があるが、それよりもルーカスの元に行かなければ。
「ふむ。 ならば我が家へ招待しよう。 地図を見ながら話した方が早い」
「あ、ありがとうございます!」
男はすぐに歩き出すが、いつまでも弥生がついて来ないので振り返るとそこにはスーツケースとボストンバッグを持った弥生がふらふらと歩いてるのが見えた。
「……何をやってるんだ? 」
「荷物が重くて……」
森の中だとスーツケースについてるタイヤが使えない。
木の根がそこらじゅうにボコボコと地面から出ているのだ。こんな中でスーツケースを引いて歩くのは無理だった。
「自分で持てない荷物を持って来たのか」
「こんな場所を歩く予定はなくて。 もう少し平らな道だったらこの荷物の下についてるタイヤ……じゃなくて車輪? それを転がして運べるようになってるんです」
「ほぉ。 異世界の物か。 面白いな。」
男は興味深そうに近づいて来ると弥生の荷物をしげしげと見つめた。
「それでは運ぶのに難儀するだろう。 これを使え」
「……袋?」
「アイテムボックスだ。 異世界にはないのか?」
「あったらこんな大きな荷物持って来ませんよ」
凄い。 アイテムボックスだ。
弥生は感動しながら男が広げてくれたアイテムボックスに荷物を近づけると、一瞬にして中に吸い込まれた。
「うわぁ……」
「これでいいだろ。 早く行くぞ」
背を向けて歩き出す男の背を追いかけ、弥生も今度こそ歩き出すのだった。
◇◇◇
「ここが今いる場所だ。 そしてアスディード国はここ」
「これって遠いんですか?」
「馬を使わず徒歩で行くなら五日ほどの距離だな」
「五日……」
エルと名乗ったエルフの男は(エルフだからエルなの? なんて安易な名付け!) 自宅に弥生を招き入れお茶を出してくれ、地図を広げて弥生の目的地を教えてくれた。
それにしても五日。 これが日本での五日の旅なら問題なく過ごせるだろう。 でも異世界で五日の旅。 一度来た事があるとはいえ前回はルーカスの家に引き篭もっていた身だ。 こちらで無事に旅が出来るとは思えない。 何よりそもそも……
(無一文……!)
こちらのお金を一銭も持ってない。 というか通貨すら知らない。
(これって相当マズいんじゃ……)
嫌な汗をかいてきた。
「こちらも準備があるからすぐには出られん。 出発は明日になるが、いいか?」
「へ? え、あ……え? 」
言ってる事が理解出来ずに弥生は間抜けな返事をしてしまう。
「だから、出発は明日だ。 いいな?」
「いいも何も……あの、その言い方だとエルさんも一緒に行く様に聞こえるんですけど」
「無論送って行く。 さすがに異界の者に五日の旅は無理だろう」
弥生が無断でエルフの里に入ってしまったせいでエルとの初対面は最悪な形になってしまったが、元々エルフは異界の者へは友好的なんだとか。
人間に干渉される事を嫌うエルフだが、異界の者はこちらの世界に無理やり連れて来られた被害者で、庇護する者という認識があるらしく、見つけたら助けてやるのがエルフにとっては普通の感覚らしい。
助かった。 エルフが異世界人に親切で良かった。
弥生が五日も男と旅をするなどルーカスにしたらとんでもない事かもしれないが、そこは我慢してもらうしかない。 でなければ弥生はルーカスの元に辿り着ける自信がない。
「そうと決まれば私は準備をしてくる。 弥生は空いてる部屋で休んでくれ」
「あ、じゃあ夕食は異世界の料理でも食べませんか? せめてものお礼に」
「それは楽しみだ。 私は少し出て来るから、家の中の物は好きに使え」
「ありがとうございます」
その日の夜、こちらの世界で初めて披露したインスタントラーメンをエルが大層気に入り、旅の間そればかり食べたがるようになってしまい弥生が頭を抱えるのはもう少し先の話だった。