15
「それでも、私は元の世界に戻りたい」
それを告げた途端、ルーカスの私の肩を掴む力が強まり顔も強ばったが撤回する気はなかった。
「何故ですかっ、そんなにすぐ帰りたくなるほど私が嫌いになりましたか?」
「そんな事ない」
切羽詰まった様に問われるが、嫌いな訳ない。 むしろ……多分、好き……だから現状を何とかしたい。
早いとこ彼氏と別れてスッキリした状態でルーカスの腕に飛び込みたい。 こんな、抱きしめられる度に後ろめたい気持ちになるのは嫌なのだ。
「嫌いでないのなら、どうして戻ると言うのですか? せめて期限までは一緒にいてもらえないのですか? 」
「ええと、今すぐの方がいいと思って……」
「それは何故ですか。 理由は何ですか」
「…………」
言えない。 彼氏と別れてくるから、とは言えない。 いや、言った方が納得してもらえるのは分かってるけど、私がいなきゃ死んじゃう(物理的に)って言ってくれるほど好きでいてくれてるルーカスに、プロポーズを受けようと思ってた彼氏がいるとは言いたくない。
「やはり私と今すぐ離れたいほど嫌になったと……」
「違う! それはないから」
「では何故……」
堂々巡りだ。 これは弥生が本当の事を言わなければ帰してもらえないだろう。 仕方なく真実を伝えようと思ったその時、
「二人とも、少し落ち着きなさい」
パンパンと手を叩き割って入ったのは一人蚊帳の外だったマーガレットだ。
「ルーカス、焦る気持ちも分かりますがその様に詰め寄っては話せるものも話せませんよ」
「姉上……」
「ヤヨイ、貴女もそのように理由も話さずすんなり帰れるとは思っておりませんよね 」
「はい……」
そこでマーガレットが弥生の手を取ると、悠然と微笑みながらルーカスを見た。
「貴方は少し出ていてちょうだい。 ヤヨイとは私が話します 」
「姉上!? 」
「ルーカスには話しにくい事でも私になら話しやすいかもしれないもの。 ね? ヤヨイ 」
確かにマーガレットの方が話しやすい。 が、それでルーカスが納得してくれるだろうか。
「姉上に話せて私に話せない事とは何です!? 」
案の定ルーカスはお怒りだ。
「いいから早く出て行きなさい 」
決して声を荒げているわけでもないのにマーガレットの言葉には有無を言わせないものがあった。
「……分かりました。 頼みます、姉上」
とても名残惜しそうにルーカスが出て行き、残された弥生は緊張した面持ちでマーガレットの前に立っていた。
「そんなに緊張なさらないで。 とりあえず座りましょう」
「あ、じゃあ新しいお茶淹れてきますね」
「いいえ。今はお茶より貴女の話を。 あまり長引くとルーカスが待ち切れずに部屋に押し入ってくるわ 」
そうして座り直した二人だったが、弥生はいざ話そうとするとどこから話していいやら、なかなか糸口を探せないでいた。
それでも急かさず、辛抱強く待ってくれるマーガレットにとにかく事実だけ述べていこうと喋り出した。
「実はあちらの世界に恋人がいて……」
◇◇◇
「……そんな訳で、できれば今すぐ戻って彼のプロポーズを断って別れてきたいんです」
「そうだったの……」
全部話した。
どこから話したらいいか分からず生い立ちから何もかも全て話してしまった。半分以上は余計な話だったと思う。
「ヤヨイの事情は分かりました。 確かに恋人がいる状態でルーカスを受け入れるのは難しいわよね。 例えその恋人にもう気持ちがなくても」
「はい」
「それにルーカスに話せないのも分かります。 番に恋人が……それも結婚を考えていた相手がいたと知って冷静でいられる番持ちなどいませんもの」
「やっぱり、話さない方がいいですよね?」
「ルーカスを選んでくれるのでしたら不要な情報だとは思います。 普通の恋人同士であっても相手の過去の恋愛話を聞いていい気持ちになる人などいないのではないかしら?」
「そう、ですよね」
「問題はルーカスに理由を話さずにあちらに戻る事ね……まぁそれは私が何とかいたします」
そう言って立ち上がったマーガレットはそのまま部屋を出て行った。 窓の外を見ると、風景画の様に庭に佇んでいるルーカスにマーガレットが近づいて行くのが見える。
淡々と話すマーガレットとは対象にルーカスは苛立った様子で話しているが、そのうち考え込むように下を向き、次に顔を上げた時にはとても真剣な表情で頷くのが見えた。
「え? どこ行くの? 」
するとルーカスはそのまま外へと出て行ってしまったのだ。
晴れやかな顔で戻って来たマーガレットに思わず詰め寄ってしまうと、ルーカスは騎士団に戻ったのだと言う。
「あちらの世界に戻る魔法具を取りに行きました」
「説得出来たんですか?」
「ええ。 ヤヨイはあちらでの別れを済ませ、一刻も早くルーカスの胸に飛び込みたいのだと伝えたらすぐ行動に移してくれたわ」
「それ言っちゃったんですか……」
ルーカスが好きだと言ったも同然だ。
「貴女が恋人がいる状態でルーカスに好きだと伝えるのは良くないでしょうけど、私が伝える分には問題ないと思います」
「それって屁理屈……」
「さ、ヤヨイも支度を。 あちらの世界の衣装はとってあるのでしょう?」
「し、支度?」
「こちらに来た時に着ていた衣装です。 ヤヨイは求婚された瞬間にこちらに来たのだから、その衣装でなければ恋人に怪しまれるのではなくて?」
「確かに」
弥生は自室に戻るとクローゼットからあの日の服を取り出した。
白いロングコートにグレーの花柄のワンピース。タイツは破れてしまったのでヒールの折れたパンプスを素足に履く。最後にハンドバッグを持てば完成だ。
「それがヤヨイの世界の衣装なのね」
「はい」
弥生の今の格好=あちらの世界の女性全般の一般的な格好だと思われているみたいだが、説明が面倒なので割愛させてもらう。
「……ヤヨイ」
着替えてる間にあっという間に戻って来たルーカスが手に何かを持って弥生の前に立った。
「これが魔法具です。 赤い魔石のついた方がヤヨイの世界に行くためのもので、青い魔石がついた方がこちらの世界に戻るためのものです」
それはネックレスの形をした魔法具で、中心にある魔石を囲むように細い鎖が巻きついている。
「この魔石を床に叩きつければ魔法陣が展開します」
「それだけでいいの?」
「はい。 魔力はたっぷり詰まっていますので魔力がないヤヨイの世界でも使えます。 だからヤヨイもこちらに……私の元に帰って来られます」
「ルーカス……」
マーガレットにルーカスが好きだと伝えられてしまったため気恥ずかしくて顔を見られなかった弥生だったが、ルーカスの静かな声にそこでやっと顔を上げた。
「ひと月はとても長いです。 でもヤヨイが戻って来てくれるなら私は待ちます」
以前、もし元の世界に戻るとしても仕事を辞めるのにひと月はかかる。例えこちらの世界に戻って来るとしてもそれくらいかかると言った気がする。 よく憶えていたものだ。
「ルーカス。 あのね。 私、帰って来たらちゃんと言うから……。 だから、それまで待っててくれる? 」
すると感極まったようにルーカスが弥生を抱きしめる。
「待ちます。 貴女が戻って来てくれるのならいつまででも」
「ありがとう。 あの、じゃあ、これをルーカスに……」
弥生は指に嵌めていた指輪を取ってルーカスに差し出した。
「私の母の形見の指輪。 凄く大事な物なの。 私が戻るまでルーカスが持ってて」
「……確かに預かりました」
それは大事そうにルーカスは指輪をそっと握りしめた。
「じゃあ、行くね」
「できることなら私も一緒に行きたいです」
「無理を言ってヤヨイを困らせてはなりませんよ」
「分かっています。 言ってみただけです」
「貴方の場合、行けるのなら本当に行くつもりでしょう」
呆れたようなマーガレットの声に弥生の緊張が和らいだ。
「それじゃ……いってきます」
別れが惜しくならないように弥生はすぐに赤い魔石を床に叩きつけた。 すると説明された通り魔石を中心に魔法陣が現れ弥生の身体を虹色の光が包んだ。
「ヤヨイ! 離れている間も貴女を想っています!」
光の向こうからルーカスの声が聞こえた。 その言葉に自分も同じ気持ちだと返事が出来ないジレンマで歯がゆくなる。
そして段々と光が強くなり、誰もが目を開けていられなくなり強く目をつぶり……次に目を開けた時には弥生の姿は影も形もいなくなっていた。
こうして弥生は再び世界を越えたのだった。