13
「あの馬鹿弟……!!」
今や隠しようのない殺気を放つマーガレットに、弥生は椅子の上で身体を縮まらせていた。
「番を不安にさせるだけではなく、よりにもよって番かどうかの疑いを持たれるなんて。ルーカスの事情も理解出来ますが、まだこちらの世界を理解していないヤヨイに対してなんて失態なの」
顔は笑顔なのに怖い。 凄く怖い。
「肝心な事が伝わっていないじゃない……あら、ごめんなさい。 別にヤヨイに怒っている訳ではないのよ」
「……はぁ」
「こういう話をしてヤヨイを追いつめる様な真似はしたくないのかもしれないけど、こちらの……ルーカスの事情も少し話しておかなければならないわね。 あの子は嫌がるでしょうけど」
「事情、ですか」
「ええ。 ……ねぇヤヨイ。番持ちにとって番は魂が求める伴侶なのよ」
「魂……」
「本能が求めてるとも言うけど、根本は同じよね。魂が、その人の根の部分がどうしようもなく求めているの。 だから番を間違えるなんてありえないのよ。 番持ちは番と出会うまでカラカラに乾いた草木と同じ。 番と言う水を求めているの。 普通の人は親や兄弟、友人から得られる愛情と言う名の水を、番持ちは受け付けないの。 番ただ一人からしか受け取れないのよ。 だから番持ちはいつも心が渇いているわ」
「それは、ルーカスも? 」
「貴方に会うまでは。 でもルーカスはヤヨイに出会えた。 だからあの子の心はかつてないほど満たされているはずよ。 ……いえ、それは一時だけの事ね。 今は余計に渇いて苦しんでいるわ」
「どうして」
ルーカスが苦しんでいる? 最近の素っ気ない態度が思い出され、弥生は胸が痛くなった。
「貴方と言う水を得たからよ。 ルーカスはヤヨイに出会って自分の渇き知った。そして少し満たされた事でもっと貴方が欲しいと、前にも増して番を求めて飢えている状態になっているのよ。 だから最近ヤヨイが変だと感じているルーカスの態度も、不用意に触れると貴方を襲ってしまうと思っているからでしょうね」
「襲っ……」
「その衝動を抑えようと騎士団の方でもいつにも増して厳しい訓練をするルーカスをどうにかして欲しいとの声が上がっているようですけど、そちらはそのままでもいいでしょう」
「えっ、」
「騎士団の者がそれくらいで音をあげるようでは頼りになりませんものね。 問題はそこではなく、騎士団で鬱憤を晴らさなければならないルーカスの心情です」
そこで姿勢を正したマーガレットが弥生を静かに見据えた。
「ルーカスはヤヨイが考えているよりも強くヤヨイを求めています」
「……はい」
「ヤヨイ。 貴方が元の世界を選び、帰ったとしたら……恐らくルーカスは長くは生きられないわ」
「!!」
「番と出会わないままであればその渇きは気づかなかった。 でもルーカスはその渇きに気づいてしまったわ。 知ってしまったからには以前のままではいられない。 知らなかった時には戻れないの。 ルーカスはヤヨイのいない世界なんて生きていても意味がないと思うはずよ」
「そんな……」
言葉がなかった。 それほど弥生がルーカスにとって重要な存在であったなんて。
「これを知ったヤヨイが同情でこちらの世界を選ぶ事をルーカスは望んでいないわ。 ルーカス自身を好きになって選んで欲しいと思っているからよ。 だからこれを告げた私も責められるでしょうね。 でも私はルーカスに生きて欲しい。 卑怯かもしれないけど、こちらにもそういった事情があるとヤヨイにも知っていて欲しかったの」
なんだか無性にルーカスに会いたくなった。
そして何も言わずにただルーカスを抱きしめてあげたかった。
でもきっとそれは二人の関係を決定的なものにするだろう。
(和樹……)
もう好きとは思えなくなった彼氏。 けど彼とはまだ恋人同士だ。 魔法具を使い元の世界へ戻ればプロポーズされた瞬間に戻るだろう。
(断らなきゃ)
そう。 全てはそこからだ。
まだ彼氏と別れてないのにルーカスの気持ちには応えられない。そんなの世界が違うのだから黙っていれば誰にも分からないだろうが、弥生の道徳観が邪魔をする。 ーー人には誠実であれ。 死んだ両親が教えてくれた事だ。
「あの……」
ルーカスを抱きしめてあげるために今弥生がしなきゃいけないのは。
「まだ期限まで時間がありますけど、それを早めてあちらの世界に戻る事は出来ますか? 」
「ーー! ヤヨイ、それは、」
「駄目ですっ! 」
バタンと大きな音を立てて入って来たのはまだ帰って来るはずのないルーカスだった。
「ルーカス……」
「駄目ですヤヨイ、まだ期限まで時間はあります。 私の態度が悪かったのは謝りますから、 だから帰るなんて言わないでください……!」
大股で弥生に近づき力任せに抱きしめる腕の強さにぐえっと潰れた声が漏れるが、それでも構わずルーカスはギュウギュウに抱きしめてくる。
「く、苦し……」
「ルーカス! おやめなさい! 」
「私を捨てないでください! 」
捨てるも何も、まだどうにもなってないじゃん!