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結果として夢オチという都合のいい展開ではなかった。
うっかり眠ってしまったあの日、次に起きたらちゃんとベッドで眠っていた。ただそこは見慣れた自室ではなく見た事もない部屋のベッドの中。
寝起きの頭で少し混乱したが、自分の置かれた立場を思い出して今度は恥ずかしくなった。
いい歳して寝落ちしてベッドに運んでもらうなんて。
コートは脱がされていたがそれ以上の衣服の乱れはなく、ただルーカスがベッドに運んで寝かせてくれただけなのがすぐに分かり余計恥ずかしかった。
まぁそんなスタートを切った二人の生活は、ルーカスが休みだと言った三日の間になんとか慣れた。
これはひとえにどんな状況でも逞しく生きられる柔軟な思考の持ち主である弥生の力が大きかった。
まず他人と生活を共にするならある程度ルールを決めておくのがいい。
基本的に家から出られない弥生が家事をやるのは当然だが(というか他にやる事がない)、ルーカスの仕事が始まればご飯はなるべく二人で食べるようにするが、夜は帰りが遅くなったら先に食べて寝てていいと言った簡単なルールは作っておく。
こういうちょっとした事が後々揉める原因になるのは昔半年ほど彼氏と同棲した経験で知っていたから。
ただ異世界の生活スタイルや、そもそも生活の仕方が分からない弥生は全面的にルーカスに合わせる形になった。
一人暮らしが長い弥生はそれなりに料理も作る。別に料理が好きなわけではないが、安上がりなのが理由で自炊はしていた。
だから時間もある事だし、お世話になってる間の食事は作りたいと思っているが調味料からして知らないものばかり。単に名前が違うだけであちらの世界と似たようなのも多いのでそこからの勉強になる。
普段外食ばかりだと言うルーカスはそれは嬉しそうに弥生が食事を作る事を喜んでくれた。新婚みたいだという呟きはさらっと流しておいたけど。
そんな感じで竈に火をつけるところから始めて三日でだいたいのやり方は分かった気がする。
それでも分からない事はその都度教えてもらえばいいのだ。
「いいですか。 午後から私の姉が来ますが、それ以外は誰が来ても出てはいけませんよ」
「分かってる。 子どもじゃないんだから」
たった三日。されど三日。この三日で弥生のルーカスへの態度は大分砕けたものになっていた。
これから一緒に生活するのにいつまでも畏まった態度は疲れるだけだと早い段階で弥生が悟ったのだ。ルーカスも弥生本来の態度の方が嬉しいと喜んでくれた。
「では行ってきます」
「行ってらっしゃい」
だがいつまで経ってもルーカスはその場から動かず、蕩けそうな顔で弥生を見つめていた。
「ルーカス? 」
「ああ、すみません。 こうやってヤヨイに送り出してもらう事がこんなに嬉しいなんて。 仕事に行きたくなくなりますね」
「あの……お仕事はちゃんと行ってね」
「分かっています。 では……」
軽く左手を引かれ、弥生はあっさりルーカスの腕の中に倒れ込む。
「っ! 」
「行ってきます。 ヤヨイ」
抱きしめられ、耳元で囁くようにされた挨拶に弥生の顔は瞬時に赤くなった。
弥生は熱くなった頬を押さえ家を出て行くルーカスを見送った。
「……勘弁してよ」
ハグぐらいでこんなに恥ずかしくなるなんて。
ルーカスはこの三日だけでも全力で弥生に好きだと伝えてきた。それは言葉で言ってくれたり行動で示してきたり。こんなに大切に扱われたのは初めてだった。
自分みたいな庶民がどこぞのお姫様みたいに扱われて居た堪れないというか、むず痒い。とにかく慣れてないのだ。
「はぁー……。 掃除しよ」
これ以上意識しないように違う作業に没頭する弥生だった。
「よし。 上手くできた」
弥生は竈から取り出したクッキーを真剣に見つめ、見た目だけなら合格だと判断する。
竈は火加減が難しいので、まだまだ扱いには細心の注意を払わなければならないのだ。
これからルーカスのお姉さんがやって来る。
今日から仕事に行くルーカスが弥生を一人残して家を空けるのが不安で姉に助けを求めたようだ。
弥生自身、この三日はこちらの生活に慣れるのに必死でこの世界についてはまだ知らない事が多い。
だからルーカスの姉が来てくれるのはありがたい。特に弥生を口説かず、普通に会話をしてくれる相手というのが非常にありがたい。
そのお姉さんのためにクッキーを焼いてみたのだが、人様に出せる焼き上がりにほっとした。
弥生は綺麗に並んでいるクッキーを一つ摘むと口に放り込んだ。
「……味もよし」
焼き上がったクッキーを作業台に置き、弥生はお姉さんを迎えるために不備はないか、もう一度家の中をチェックして回った。
今年最後の更新です。
ですがあと数時間で年を跨ぎますので、お年賀代わりに0時に更新します(^^)