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魔法使いの喫茶店

作者: ヴァイス

 私は、地下鉄東山線を降りて、八月の暑さ厳しい屋外にいる。

 名古屋市中区栄。名古屋の中心地で人が集まる。名城線と東山線が通る栄駅。名古屋駅に劣らず乗降者数は多い。駅周辺は本日も満員御礼だ。

 三車線もある大通りから一本路地に入ると、居酒屋や飲食店が立ち並ぶ。木造家屋が目立ち道幅が狭い。スタイリッシュな建物と違って、景色が一変する。近代的なビル群やショッピングセンターが軒を連ねる街と、下町の風情が残った昔ながらの景色が混在する。

 地面からの照り返しが強い。アスファルトが陽の光によって輝いてまぶしい。靴と地面の境界は相当の熱を帯びているだろう。

 汗をかいてきたのがわかる。日本の夏を過ごすのに、避けて通れない問題だ。

 今年から大学に通うことになった。華の女子大生生活がスタートしたのである。東山線の定期券を購入したので、沿線を網羅するのが趣味となった。弾丸日帰り小旅行はやってみると意外と面白い。知らない街を開拓するワクワク感が刺激になって、意欲が湧く。

 友人には、

「あんたの好奇心にはかなわないわ」

「小さな体のどこにそんなパワーがあるのか謎だわ」

 と、言わせるほどにまでなった。

 その前に身長関係ないよ。確かに低いけど、気持ちがあれば大丈夫。

 そして、知らない街で見つける喫茶店がなによりも楽しい。店独自のメニューがあり、店員と話すのも、知識が増えてためになる。店内の内装もアレンジが効いている。

 もちろんオーダーするのは、王道のコーヒーではなく、少し邪道のココア。様々な店を回ってきたが、アイスココアの上に生クリームが乗った、ウインナーココアは絶品。

 ココアにはわざと牛乳を使わずに、本来の苦さを生かす。反対に生クリームを乗せることで、牛乳の代わりに甘さを持たせる。

 今日は栄の日だ。以前から楽しみにしていたスポットで、特に駅周辺は、喫茶店激戦区である。

 プリンセス大通りを南へ歩く。何軒もの店を見つけたが、チェーン店が多い。入ったことがあるところばかりだ。目新しさは感じない。少し気落ちして左右を見渡しながら歩を進めると、木造りの喫茶店を見つけた。

 立ててある黒板には、「ココア専門店 café de choco」とある。

「ココア専門店?」

 思わず声が漏れてしまい、とっさに右手で口元を隠す。

 コーヒー専門店や、紅茶専門店はよく見るが、ココア専門店は初めて目にした。

 ココアってあれだよね。ココアパウダーを使った、あれだよね。

 自問自答して店のドアに手をかけた。

 からんとベルの音が耳に届く。夏の暑さを忘れさせる歓迎だ。

 店内はいたってシンプルで、小物類は見当たらない。木目調のテーブルやイス、カウンター席には、これまた木製で背もたれ付きのスツールが五脚配置されていた。店内にはクラシックのメロディーが漂って落ち着いた雰囲気がある。カウンター奥のキッチンでイスに座り一人本を読んでいる男性がいるだけで、他に店員らしき人はいない。たった一人で店を回しているのだろうか。

 三組の客がいる。どのグラスにもチョコレート色をしたココアが置かれている。

 さすがココア専門店!

 私は、カウンター席に腰を落ちつける。喫茶店といえばカウンター席と、私は決めている。店員の作業工程が望める特等席だからだ。

 本を読んでいた男性が水とおしぼりを持ってきた。

 そういえば、「いらっしゃいませ」って声、聞いたかな? 内装を見るのに気をとられて聞き逃したのかな?

 疑問が充満して、頭がオーバーヒートしそうだが、エアコンがほどよく効いているのが救いだ。思考に使った頭を冷ます、保冷の役割を果たしている。

 私は、カウンターに置いてあるメニュー表を手にとった。A4の紙には、ココアやチョコレート系統しかない。コーヒーや紅茶は皆無だ。

 本当にココア専門店だ! オレンジジュースすらない喫茶店初めて来た。店長のこだわりそんなに強いんだ。でもなんでココア専門?

 私は即決で、冷たいアイスココアを注文することにした。ココア専門店という看板を掲げているくらいだし。どんな味か楽しみ。

「すいません」

 浮かれ気分で、横に立つ男性に声をかける。

 ペンと紙を準備して、向こうは臨戦態勢に入っている。

 短髪で丁寧に髭がそられた顔。年齢は二十代後半から三十代前半ぐらい。腕は女性のように細く、やせ型。目が合ったとき、一瞬目をそらしたので気が弱そうな印象を受ける。

 神経質な人なのかな?

「アイスココアを一つください」

 注文すると、男性はお辞儀をして、そそくさとキッチンに戻り作業を始めた。

 しゃべらない人なのかな。愛想ゼロじゃん。おもてなしできてないし。接客業は笑顔だよ笑顔。

 心の中で助言をしつつ、彼の行動を観察する。

 カップに牛乳を少し加えて、レンジで温める。

 アイスなのにレンジ使うの? 突っ込みを飲み込んで、設定した時間まで待つ。

 チンとなった後カップを取り出し、そこにココアをスプーンに山盛り乗せ入れていく。二杯入れただろうか、かき混ぜる。氷と牛乳を足して完成だ。

 男性は、愛想こそなかったものの、ココアを作るときは楽しそうだ。

 彼は私の前にカップを置いた。両手で包み込むように持つ。入れ物は焼き物で、よく冷えている。保冷剤を持っているような感じだ。レンジを使って温めたとは思えない温度に度肝をぬかれた。チョコレートと同じ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 私はこげ茶色の液体を口に含む。苦い味と牛乳の甘さが絡み合っている。思わず、

「美味しい」

 と声に出していた。

 男性は生感想を聞いて、少し頬が緩んだ。

 こういう顔もするんだ。笑った顔のほうが素敵じゃん。

 私はオーダーを置いて、キッチンのイスに腰掛ける彼が妙に気になった。なぜしゃべらないのか、ココアにこだわる理由はなんなのか。

 勇気を出して、私は、男性に声をかけた。

「あの、店員さんはお一人なんですか?」

 男性は一つ頷いた。

「どうして声を出さないんですか?」

 この問いには少し悩んでいた。彼は、側にある紙とペンをとって文字を書いた。書き終わった彼は、紙を私のほうに向ける。

 〝精神的な病で声が出せなくなってしまいました。過去のトラウマが原因でして〟

「そうだったんですか」

 これ以外に返答は浮かばなかった。ただ愛想が悪かったわけではないようだ。実は過去につらい経験をしたことが、現在も尾を引いている。私にはわからない、彼だけの苦しみ。

 男性は、私の答えに頷いて、また紙に書き出した。

 〝暗い話になってしまってすいません〟

 彼は頭を下げた。

「そんなことないです。私こそ変なこと聞いてすいませんでした」

 私もお辞儀を返す。

 お互い気まずい空気になってしまったので、アイスココアを飲む。

 やっぱり美味しい。冷たさも健在だ。

 沈黙を破るために私は、もう一つ気になったことを質問する。

「どうしてココア専門の店にしたんですか? 目新しさはあると思うんですけど、メニュー数は限られちゃいますよね?」

 彼はペンを走らせる。今度はたっぷりと時間をかけて私に見せた。

 〝ココアには色々な効能があるんです。便秘の改善や、美肌効果は女性にとってはうれしいことばかりです。それに病気にもなりにくくなりますよ〟

「そうなんだ! 初めて知りました」

 ココアってそんな効果があったんだ。牛乳をストレートで飲めない子のためにあるものだと思ってた。

 自分の無知に恥ずかしくなる。

 男性は動かしている手を止めない。

 〝あとはストレス解消に役立ちます。日々ストレスが溜まっていく人たちのために、私はそのお役に少しでも立てたらとココア専門店を作ろうと思いました〟

 同じように、傷ついた人が出ないように、彼はこの喫茶店をやっている。他人のために働いて、自分も満足する。難しいことをこなす彼がやけにまぶしく見える。まとっているオーラは決して明るいとは言えないが、大人の魅力を感じるには十分な要素だ。

 この店のココアには秘密がある。お金を儲けとか、話題になるとか、そんな簡単な理由ではない。一人の人間が体験した経験を他人にさせないように、心のきれいな彼が淹れるココアが緩衝剤になれるように。恐らく、ここに来るすべての人が満足して帰っていくはず。店主である彼の書く文字が聖書のように、私の心を浄化してくれる。

 思いが言葉となって口からこぼれた。

「素敵です」

 彼はもう一度お辞儀をしてから、またペンをとった。

 〝なによりも私がココア大好きなんです〟

 彼の目は笑っていた。口角も上がっているが、長くは続かない。笑顔はやっぱり苦手らしい。

 声が出せない喫茶店員。コミュニケーションはとりにくい。しかし、店員とお客という関係が一杯のココアによってつながっている。

 アイスココアの表面が揺れている。

 最後の一滴まで、私は味わって飲んだ。


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