第5節 『ふぅ、裸のロリっ子を襲っちゃったことがバレたら……。って、じ、事故なんだよ!』
廊下に出ると水音がはっきりと聞こえてきた。
――右方向、かな?
水音に導かれるように廊下を進む。
音はさらに大きくなっている。
「やっぱあそこね」
僕らは【洗面場・浴室】プレートが掛けられた部屋の前で足を止めた。
水音はここから聞こえている。
「はい。しかし、どうやって取り押さえましょうか?」
じろり。
「な、なんで僕の顔を見るの?」
「やっぱこういうときくらい役に立ってもらわないと、さ?」
「期待してますわ」
どうやら僕は拘束された重要参考人の立場から、いつの間にか噛ませ犬やらヒットマンにランクアップしてしまっていたようだ。
――こんなランクアップなんかしたくなかったよ!
「うぅ、怖いよー」
「仮にも男なんだからシャンとしな!」
廻理ちゃんはエイヤっと声を張り上げ、オドオドする僕を突き飛ばした。
「うわあああっ!」
ドンガラガッシャーンなんていう古典的なオノマトペを発生させながら、僕の体は洗面場のドアを突き抜けた。
幸いなことに開かれたドアの向こうには誰もいなかった。なので、廻理ちゃんの部屋にいたときの僕のように、人間サンドウィッチにされちゃうことはなかった。
しかし、真に運が悪いとはこのことか。
押し出された勢いがあまりにも強く、そして僕の体は綿のように軽い。
そのままの勢いで洗面所の奥の部屋。
そう、人が入っているときには決して入ってはいけない部屋。
特に、水音が響いているときには絶対に開けてはいけない部屋。
更に言うなら、女の子が入っているときには近付いてさえいけない部屋。
そう、その部屋の名は【浴室】。
僕はその密室を隔てる扉へと力を掛ける形になってしまったのでした。まる。
ガラガラガラ~。
――蛇腹開きの風呂場の扉というものは、どうしてこう俸給支給日直後の財布のように開き易い構造になっているのだろう?
開いた扉に招かれた僕の体は、浴室に入り込んだところでようやく勢いが止まった。
同時に扉が閉じ、元通りの密室状態に戻った。
白熱球に照らされた浴室全体に、モクモク白々した湯気が広がっていた。
その湯気は深夜のテレビアニメに見られるモザイク効果のような不自然さはなく、満遍なく均一に広がり、一種のスティーム効果をも生み出していた。
――うん、それだけなら良かったんだけど。
浴室の一番奥にある浴槽には湯が張られていたが、誰も入っていなかった。
――でもね、ガウス分布状にお湯を撒き散らかす装置、すなわちシャワーという文明の利器。そこから迸る温かいお湯を一心に浴びながら、風呂場の扉の方、要するに僕が今いる方を向いて放心状態になっている小さな女の子がそこにいたんだ。
「あぅ?」
「こ、これは、じ、事故なんだ、よ? あはは」
――女の子とシャンプーハット? ってことは、髪の毛を洗っているところだったのかな?
湯が目に入るのが嫌なのか、女の子はずっと眼を閉じている。
ちなみに、シャンプーハット以外は全裸だった。
――当然だよね? お風呂なんだもん!
「さ、先にシャワー借りてます。大美、水とかお湯とかすっごく苦手で、目を開けられないので……」
――なるほど、シャワーを浴びることに精神的苦痛を感じて生体電源が切れちゃってたのか。
どうりで端末でOFID反応を捕らえられなかったわけだ。
――ん? でもなにか引っかかるなぁ。……まいっか。
「いえいえ。こちらこそ」
――とりあえず僕が男だということはバレてない、かな。嬉しいやら悲しいやら……。
さて、大美と名乗る女の子はシャンプーハットを巧みにくるくる回しながら、セミロングの髪の毛をチャパチャパ洗っている。
プロシャンプーハッターの技を垣間見た――気がした。
いや、見ていたのはその技だけではない。その小さな体も隅々まで鑑賞させてもらった。
――うーん、この子随分と小柄だね。初等部生かな? 胸は全然小さいし。って、ダメだダメだ、見ちゃいけない。
湯だった頭を左右に振って強引に冷やす。
「そ、それじゃ、外で待ってるから」
「あ、ちょっと待ってください。シャワー止めてくれませんか? 手探りだと、栓の場所が分からなくて」
大美ちゃんは『メガネ、メガネ~』とメガネを探す近眼少女のように、両手をぱたぱた振っていた。
とても可愛らしいその仕草に、僕自身の緊張がほぐれてくるのを感じた。
妹がいたらこんな気持ちなのだろうか?
「うん、いいよ」
――このときに気付くべきだったんだよね。なぜシャワーを止めるように指示したのかを。
僕は気にせずキュッとシャワーの栓を閉じた。水流が次第に弱まり、止まった。
大美ちゃんはタオルで顔に残る水分をわっさわっさと拭き取り……。
「ありがとうございまし………………え!?」
振り返ると僕と目が合った。
「ひっ。ひぃっ! お、女の子っぽいけど、お、男の人! も、もしかして、痴漢ですかっ!?」
――そう、浴室から出ようとしていたからだったんだよね。
「い、い、いやっ。こ、こ、これは……」
罪に罪を重ねることの恐ろしさを肌で感じた。どう見ても処刑台の十三階段を登りつつある状況だった。
もし大美ちゃんに叫ばれて、外にいる廻理ちゃんと八重ちゃんに踏み込まれたら、どうあがいても言い訳がつかない。
ならば。
僕は一歩踏み込み、手で大美ちゃんの口をふさぐ。
――ご、ごめんね。
大美ちゃんは涙を流しながらイヤイヤをしていた。
――これじゃまるで僕の方が犯罪者じゃないか!
ジタバタ、ジタバタ、ジタバタ。
「ほらっ! 大人しく! ねっ! ひどいことはしないからっ!」
大美ちゃんは発情期の牝馬のように暴れ続け――ついには足を滑らせてしまった。
「あぶないっ!」
僕は大美ちゃんの背中に手を回し倒れないよう支えた――つもりだったんだけど、力負けしてそのまま突っ伏してしまう。
――こんなとき、自分の非力さを呪いたくなるよ。そして、それ以上に、自分の悲運をも。
そう、僕は大美ちゃんを抱き抱えた状態、すなわち、大美ちゃんの上に正対して被さる形になっていた。
僕の目の前数センチ先に大美ちゃんの小さな顔。上気して赤みが差す頬。驚きと恐怖を湛える大きな瞳と半開きの口。白く細い肩に洗ったばかりの髪の毛が濃淡のコントラストを演出していた。
僕は服を着てるから正確にはわからないけど、触れ合わせた胸は見た目相応に小さい。
――無論、股間の方はつるつ……。あれ? ぼ、僕、完全に犯罪者!?
「こんなところ、あの二人に見つかったらどうなるか――」
僕は独りごちる。
――吐く息に色が付いてるとしたら、いまは灰色だね、きっと。
「……誰に見付かったら、ですって?」
「『大人しく!』と命令でございますか。あらあらまあまあ、仲の良いことですわ」
僕はブリキ人形のようにぎこちなく扉の方に振り向いた。
受け入れたくない現実がそこにあることを頭で分かってはいても、否定したい思いは無限大に発散する。
――現実は残酷に過ぎる。
「ひぃっ!」
汗がダラリと落ちてきた。風呂場の蒸気によるものじゃない。脂汗だった。
「いったいこれはどういうことかしら? アタシは侵入者を確保しろって言ったの。侵入者にいやらしいことをして尋問なんて…… アンタこそ、真性の犯罪者ね!」
大美ちゃんは目に涙を浮かべてグズっていた。
「ひ、大美がっ、シャワーを浴びていたら突然襲われて……怖かったですっ!」
キッと僕を睨みつけてくる廻理ちゃんに、あらまぁと口に手を当てる八重ちゃん。
――さもありなん。こんな状況じゃ、僕の味方なんてのは一人としていないよね……。
「侵入者、ならびに真性の犯罪者も一人確保しました。隊長」
『犯罪者? まあいい。ご苦労。もうすぐそちらに着くからそれまで逃げないようしっかりと見張っているように。ふふふ、手荒に扱わないようにな』
廻理ちゃんは隊長とやらと連絡をとっていた。
そして、スマートフォンの外部スピーカモードをぷつりと切り、僕に向き直った。
「楽しい尋問の時間の始まりね」
「ひぇっーーーー! た、た、助けてぇーーーーーー!」
何一つ悪いことなんてしてないのに、悪い事態しか降りかかってこない自身の悲境を、僕は精一杯呪うのだった――