第1節 『魔法少女!? ぼ、僕がっ? う、うそでしょっ!?』
「本日本刻をもって、松宮薫くん。君を<魔法少女>に任命する。おめでとう」
目の前にいる初老の男が、ニカっと歯を見せながら、そんなことを宣告したんだ。
――えっと、何かの冗談だよね?
足下の紅絨毯上に浮かび上がった<トリプルトライアングル>の紋章の上で自問してみても、誰も答えてはくれない。
ちなみに<トリプルトライアングル>というのは、三つの正三角形が頂点を合わせた図形――<放射線エリアマーク>に似ている――のことで、現国家<新日本>の象徴になっている紋章だ。
「ちなみに君の配属は――<冥土の土産>となる。この小隊はバルクじゃ。ダズンではない。むろん君のスキルの優秀さを買ってのことじゃな、ふぉっふぉっふぉ。そうそう、隊長の樫村くんはな、いまはちとキツい性格になってしまったようじゃが、昔はたいそう可愛い娘っ子じゃった……まぁ君ほどではないがの」
今日は二〇三七年四月一日。
――ってことは、これって古のエイプリルフールイヴェントってやつ? だってさぁ。<魔法少女>だよ? ヒロインだよ? 女の子だよ?
「当面必要な物は配属先に発送済みじゃ。君はこのOFIDだけ持っていけばよい。このカードは軍属者における公的身分証明書ゆえ、決して無くさぬようにな」
男は一枚のカードを投げてよこした。
弧を描いたそれを、おっかなびっくり僕は受け取る。
――OFIDに触るのって、僕初めてなんだよね。うん、昔あったっていう運転免許証くらいの大きさくらい、かな?
いま現在、運転免許証など証明書の類いは、本人確認データベースの照合だけで済ませるゆえ、こういった物理カードを持ってる意味はほとんどない。
しかし、軍務は最高の機密性が要求されるため、最高にアナクロなセキュリティでも保護されることを推奨されていた。
――ほら、だって。いまだに印鑑なんてもので、認証してたりするんだし。
さて、OFIDの説明に戻ろう。
有機デヴァイスを使用したフルカラーの表示部には、写真と名前と所属と階級が映し出されていた。表示される項目は所有者がコントロールできる。
また、意図的に所有者の体内から供給される生体電源――精神力がその大きな源となる――を切らない限り、端末を使ってOFIDの位置や所有者情報を得ることが可能である。
「さて、何か質問は?」
――あるよ! いっぱいあり過ぎるよっ!
でも、声を搾り出そうとしても、喉からあぅあぅみっともない空気が出てくるだけで、音波として顕現することはなかった。
総裁室。
その場所は、一般空間からにわかに隔絶されていた。
大昔のファンタジー小説によく出てくる<結界>という言葉が近しいだろう。
「す、す、すっ、杉ノ原総裁! 問題あり過ぎですっ! ど、ど、どうして、ま、ま、ま、ま、魔法少女なんですかっ! ぼっ、僕はっ、――――――――お、男の子ですっ!」
カラッカラに乾いた喉から絞り出された言葉は、奔流となって迸った。あたかも、せき止められていたダムを決壊させた水流のように強く。
「男の娘なら問題あるまい。二一世紀初頭の代表的萌えカルチャーじゃろう? わしも、準にゃんとか、あさひきゅんとか、瑞穂たんとか、どハマりした覚えがあってのぅ……」
「じ、字が違いますっ! ……ってか、会話の中じゃ分かりにくいです!」
いやいやと手を振り、紫、緑、茶の髪をしたキャラクターイメーヂを霧散させた。
――ここは妄想する場面じゃない。
「それに、僕の希望は<回復守護者>でした。最終スキルチェックでも、肉体適性・精神適性ともに、<回復守護者>適合率がほぼMAXだったはずですっ!」
「うむ、その件は聞き及んでおる」
杉ノ原影虎――それが目の前にいる男の名前だった。身分は<総裁>。要するに<新日本>で一番偉い人だ。
総裁は、楓盛捷雄・檜坂一本と並ぶ救国三英雄の一人である。まさに今を生きる伝説として<新日本>の国民に知られているのだ。
中肉中背、浅黒い顔肌に無数の傷跡。どれもこれも先の革命で負った傷なのだろう。しかし、その見た目の傷の深さ以上に、心にこそ最も多くの傷を負ったのも明らかだ。
小さな顔は丸みを帯びているが、眉毛も双眸もとかく細い。なので、優しさと厳しさ双方を兼ね備えた面構えとなっており、対峙した者が総裁に対して抱かされるイメーヂ自体、総裁に対して自らが抱いているイメーヂを映し出しているに他ならない。
「君の肉体適性、精神適性、どちらも<回復守護者>あるいは<治癒医者>として、存分に力を発揮できるであろうことは明らかじゃった」
「なら、なんで……」
総裁はすぅっと息を吐き、現役時代さながらの――と言っても、実際見たことないけど――強い眼光で、僕の目を射抜いた。
思わず体が震えてしまう。
「君の卓越した観察眼は、我々のような人間にとって垂涎の的じゃ。まぁ、それらの適性以上に――君には他人を思いやる心があったことが一番の理由じゃ。それは人が成長するに従い蔑ろになっていきがちな慈愛という人間係数とも言えるじゃろう」
総裁は一転、慈しむような表情を浮かべて僕を見た。
この緩急を付けた表情変化こそ、多くの人に慕われる杉ノ原影虎というカリスマ性につながっているのだろう。
「ところで君は、男子校ではモテモテだったと菊が」
感心したのも束の間、総裁はいきなり話を変えてきた。なんだか悪い方向に。
「いや、その<菊>はちょっと。って字が違うよっ!」
――また声に出しただけじゃ分からないネタを! 思わずお尻をさすっちゃったじゃないか!
「まぁ、それは冗談じゃが、思春期真っ盛りの中等部時代に男子校では、色々悶々として大変じゃったろう?」
帰りの通勤電車の中、女性のそばで夕刊スポーツ紙のアダルト面をこれ見よがしに広げることだけを楽しみにしているサラリーマンのようなニヤケ顔で、総裁は僕に迫ってきた。
「悶々となんてしてなかったよ!」
目を閉じて中等部時代を思い返す。
――中等部時代の僕には悶々とする時間なんてなかったんだよ。
水泳の時間にはブリーフが盗まれたり、音楽の時間にはリコーダーのマウスピースが盗まれたり、修学旅行のお風呂タイムではなぜだか全クラスの男子が僕と同じ時間に入って来たり。
――そう、自己防衛に精一杯だったんだよ。
「ふむ、そんな経験をしてきたのなら、男が苦手になるのもわかる。痛み入るよ」
総裁はちっとも痛み入ったふうでない表情で僕を見つめていた。
細めた目が僕に警鐘を鳴らしているように見えてならない。
――裏に何かあるのかも。
ここは慎重に返答しないといけない場面だろう。
「さて、ならば女の子だらけの場所はどうじゃ? 嬉しかろうて?」
不敵な笑みを浮かべながら、総裁は問うてきた。
――うん、この返答次第で僕の運命を変えることができるかもしれない。
男の子なのに<魔法少女>になってしまう――なんていうありえない運命を。
再び目を閉じて、初等部時代を思い返す。
――共学だった初等部時代、女の子にとって僕はなぜだか敵だったんだよね。
ミスコンで毎年連続優勝しちゃって女の子たちのプライドを打ち砕いちゃったし、学校で用意された体操服はいつも間違えられてブルマだったし、お母さんに教わった料理、裁縫なんかはどんな女の子よりも上手かったし。
そんな僕だから、男女問わずよくいじめられていた。
特に女の子からのバッシングはひどかった。
『何で男子トイレに入ってんのよ、あんたはこっち』
なんて言われて仕方なく女子トイレに行ったら痴漢扱いされたり、身体測定では女の子の測定をする教室に先生のミスで紛れ込まされてしまって変態扱いされたり……。
――僕にとって、女の子はトラウマの種になってるんだよ!
だからいま、
僕は、声を大にして言うんだ!
「女の子しかいないところなんて、全っっっっっ然、嬉しくなんかないよっっっ!」
――ハッ、思わず魂の叫びを上げてしまった。
だけど、これで総裁に、僕が<魔法少女>に向いてないってことが、分かってもらえたはずだ。
女の子を苦手とする僕が、<魔法少女>なんていう女の子社会に紛れることなんてできやしないんだって。
――しかし。
「じゃろう? 年頃の男の子なら女の子しかいない場所と聞いて、舞い上がってしまうところなのじゃがな。女の子ばかりの職場で、女の子の妄想に耽りっ放しでは、任務の遂行に不都合が生じるからのう。やはり君にはぴったりのスキルだったようじゃ」
――ま、まさか。僕に、女の子が苦手だって言わせるための、ゆ、ゆ、誘導尋問!?
「だ、だから、ぼ、僕は確かに女の子が苦手で、だから、これは……その…………」
後ずさりながら、尚も引き下がる僕。
だけど、言葉は出てこなくて――
「あ……あぅ……ううぅ」
トリプルトライアングルの中心で僕は言葉を言い淀ませる。
「薫くん。復習をしよう。MODとは何かね?」
――突然何を!?
僕は、総裁の意図を酌みかねた。
<新日本>の常識を問うてきたからだ。
つと意識を集中すると、総裁の体からMODの気配を感じることができた。
――何かある。
「MODとはっ……Mousouryoku OverDosing。過投与妄想力の略語……です。はい。妄想力という……本来は非物理的な力を、げ、現実世界に物理力として呼び起こすこと、あ、あるいは、実在化した力そのもののこと、で、です」
この総裁室が現実空間から隔離されているのもMODの作用だ。
とても複雑なMODで幾重にもシールドされているのがひしひしと感じられた。でもないと、<総裁>などという身分の者に、僕のような平民が一対一で謁見することなど叶わない。
「ふむ、その通り。では、この総裁室の隔絶に使用されているMODは、何のMODじゃと思うかね?」
不安定なのに安定しているこの総裁室。
――となると、現実空間を非現実空間内へ転移させ、それを固定化している、のかな?
ってことは、このMODは――
「す、神昂度MOD<終末の棺桶>でしょうか? こ、こんな大きなスペースを封じ込めるほどですので、高レヴェルプレイヤによるMODと、お、お見受けします」
MODを使用する者を、僕らはプレイヤと呼ぶ。まさに妄想とは祈りでもあるからだ。
「ご名答じゃ。<終末の棺桶>は決して有機物に対して使用してはいかんぞ? ……取り返しのつかないことになってしまうからの」
総裁は顔を伏せた。あたかもつらい過去があったかのように思えた。
「ゴホン。さて、MODのランクをおさらいしよう。君がいま答えた<終末の棺桶>は神昂度。すなわち最高難度のMODじゃな」
総裁は言葉を区切った。僕に続きを促しているらしい。
「神昂度、超昂度、高昂度、中昂度、低級の順番で、MODの難度が定義されているんですよね?」
「うむ、よく勉強しておるようじゃ」
総裁は顔を和らげた。
僕もつられてにこっと笑う。
「では、MODを使うために必要なものは何じゃ? まぁ、世の中にはこれを使わずともMODを使用できる<超変態>なるプレイヤもおるがの」
総裁は立ち上がり、手にしたコウモリ傘をくるりと一回転させた。
――このコウモリ傘はMODEだろうか?
僕らが、いや、プレイヤがMODを使用するときには、MOD Element――略してMODE――と呼ばれる補助アイテムが必要となる。
MODEに内包される固有の副妄想力が、プレイヤの主妄想力と感応し、物理力に変換、増幅する手助けをするのだ。
だが中には<超変態>と呼ばれているプレイヤもいる。彼らはMODEを使用することなくMODを呼び起こすことができる。その特性ゆえ<超変態>は大変珍しく敬われているのだ。
「……ところで、そ、総裁はそのコウモリ傘をMODEにして、な、なんのMODを使用なさるおつもりなんですか?」
現実に戻った僕は、脂汗をかきながら総裁のMODに集中する。
――高昂度? いや、もっと上だ。超昂度? いや、神昂度だ!
総裁が手にしたコウモリ傘からMODがだだ漏れしていた。それもとても強力な。
「薫くん、そこまで理解していれば<冥土の土産>でもうまくやれることじゃろう――とりあえず行って来たまえ」
総裁は、突然話を切り上げにかかった。
「えっ!? い、いや、ま、まだ僕は――」
そして、右手に提げていたボロっちいコウモリ傘を振るった。
すると、僕の立っていたトリプルトライアングルが紅絨毯から剥離されてしまう。
MODの象徴であるトリプルトライアングルが、大きくて小さい、長くて短い、近くて遠い、そんな反因果律に支配されたMOD作用を受ける。
そして僕はと言うと、
床から受けていた抗力がなくなり……って落下!?
――こ、これは神昂度MOD<空間転送>!
――なんでコウモリ傘をMODEにして、こんな高難度のMODを総裁は使えるの? コウモリ傘に<空間転送>に関連する副妄想力なんて含まれてないよ!
「あ」
そうか。思い至る。
――総裁は<超変態>なんだ。
「うわわわわわわわわわわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
薄れゆく景色の中で、僕は絶望する。
――僕は今日、魔法少女になってしまったのだ、と。