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これもちょっと、長めです。
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休み明けの気だるい空気が、朱野学園校舎内に漂っていた。それでも、その日の授業が終われば、生徒たちは元気に部活を始める。
それは運動部はもちろん、文化部も変わらない。直巳が所属する文芸部も、同様である。
「辰弥、これってどこの?」
「ん?通し番号は・・・付いてないのか。誰だよ、これ書いた奴」
月に一度、文芸部が発行している冊子の編集に追われる、直巳と辰弥。作品の内容に合わせて掲載順を決めたり、目次や表紙の文字を打ったり、忙しく活動している。
「そう言えば、今度新入部員が来るって、この部に」
「新入部員?こんな時期に?」
「ああ、ちょっといろいろあって、入るのが遅れたんだって」
「ふぅん・・・」
辰弥の「ちょっといろいろあって」という言葉に、直巳も、つい最近あった「いろいろ」を思い返した。
***********
「花井さん、俺・・・・君に謝らなくちゃいけないことが、あるんだ」
「・・・?」
あの日、帰りたくないと泣く雪乃に、直巳は頭を下げた。それは、噂とは言え、雪乃の現状を知って尚、何もしなかったことへの謝罪であり、それを認めた上で何もできないことを悔いての行動だった。しかし、直巳は何もできないと認めていても、力になりたいと、申し出た。
直巳の決意を聞いて、雪乃は長い間、何も言わなかった。暮れ行く空を眺めて、ただ黙っていた。そして、太陽が紅く染まる頃、ようやく口を開いた。
「・・・ありがとう」
そう言って、雪乃は自分の体へと帰って行った。
*********
数日前のやりとりを思い出し、ぼんやりする。そんな直巳に気付かないまま、辰弥は言葉を続けた。
「3組の、花井だって」
「へぇ・・・、え・・?」
今まさに回想していた相手の名前に反応する。話を振った辰弥が驚くほどの、反応だった。
「だから、新入部員。3組の花井・・、下の名前は忘れたけど、とにかく、花井って女子が入るって」
「・・・そうなんだ」
「お前ら知り合いだったか?」
「ああ、うん。まあ・・・」
首を捻る辰弥に、曖昧に頷いて視線を逸らす。雪乃が無事退院したことは知っていたが、文芸部に入るというのは初めて聞いた。急な話に、直巳は動揺する。
そこで、教室の扉が開かれた。入ってきたのは、今話題にしていた新入部員だった。
「あ・・・、こんにちは」
「えっと・・」
「あっ、花井雪乃です。文芸部に、入ろうと思って・・・」
段々語尾が小さくなって、消えていく。合わせて顔が下がっていく。とうとう俯いてしまった雪乃に、辰弥は苦笑した。隣の直巳は、先程の動揺が尾を引いていて、声が掛けられない。
「俺は、1組の比嘉辰弥。こっちは知ってると思うけど、織谷直巳。同じ一年同士、仲良くしよう」
「う、うん・・!」
優しく笑う辰弥に安心したのか、雪乃も控えめな笑みを浮かべて頷いた。そして、直巳に目を向ける。動揺から立ち直った直巳も、笑みを向けた。
「今、文芸誌を作ってるところなんだ。花井さんも手伝ってくれる?」
「あ、うん!」
辰弥が誘って、雪乃は空いている椅子に座った。3人で、のんびり話しながら、作業を再開した。雪乃は、最初こそ遠慮がちだったが、下校時刻になる頃には、慣れたように普通に話し、笑っていた。
「じゃあ、俺、こっちだから」
「ああ、また明日な」
分かれ道で、右へと行く辰弥を見送り、直巳と雪乃も左へと歩き出した。しばらくは会話もなく、静かな時間が流れた。
何か話した方が良いかと話題を探す直巳より先に、雪乃が「あの・・」と口を開いた。
「聞いて、欲しいことが・・あるの」
「・・・うん、何?」
「あのね、前、屋上で、言ったような気がするけど・・・。愛莉ちゃんのこと」
「ああ・・」
恐らく、雪乃と特に仲が良かったであろう女子の名前である。直巳はあれから、雪乃の見舞いへ顔を出していたが、雪乃から愛莉の名を聞いたのは一度もなかった。2人の関係がどうなったのかは分からない。うかつなことは言わないように、と直巳は聞き役に徹することにした。
**********
雪乃が目を覚ましたのは、白い部屋の中だった。体が重く、思うように動かせない。そのことに気付いた雪乃は、軽く混乱していた。「戻る」。そう決めた瞬間のことだった。
「逃げていてはいけない」。そう思っていた。同時に「帰りたくない」と思っていた。相反する気持ちを抱いていた雪乃を前に向かせたのは、一体なんだったのか。それは、雪乃自身も分かっていなかった。
リクや直巳の言葉、雪乃の気持ち、置かれた現状、全てが雪乃の決意を促していた。そして、雪乃はそれを受け入れた。それだけは理解した雪乃は、改めて部屋を見回した。
白くて、見覚えのある部屋。
自分の体があった病室だ。それに気付いた雪乃は、無意識に体を強張らせた。決意したからと言っても、すぐに実行できるわけではない。
再び恐怖が湧きあがってきた雪乃を呼び戻したのは、両親の歓喜の声だった。喜ぶ両親を前に、心配を掛けていたことを知った雪乃。そしてもう一人、心配してくれていた人の存在を知った。
「雪ちゃん・・・」
「愛莉ちゃん」
嬉しそうに、しかし何処か苦しそうな顔をした友達の姿を、雪乃は見つめた。お互い何を言えば良いのかと、逡巡する。先に動いたのは、愛莉だった。
「雪ちゃん、ごめん!」
「・・・・」
「私、雪ちゃんに酷いことした!仕方ないって、自分に言い訳してた。でも、雪ちゃんが事故に遭って、意識不明って言われて、何てことしちゃったんだろうって・・・。このまま謝れないままお別れなんて嫌だって・・!・・・・本当にごめんね。目を覚ましてくれて、良かった。また会えて、良かった・・・」
「愛莉ちゃん・・!」
涙を流す愛莉に、雪乃も涙を流した。失ったと思っていたものが、本当はまだ無くなっていなかったことを知った。2人は、泣き続けた。もう一度があって、嬉しくて。
**********
「そっか・・。良かったね」
「うん。ありがとう、織谷君やあの人たちのおかげ」
にっこりと笑った顔は、憑きものが落ちたように晴れやかだった。先日まであった暗い雰囲気がなくなった雪乃の姿に、直巳も自然と笑顔になった。
「それで、あの人たちにもお礼が言いたくて・・・。でもどこに居るかも知らないから、織谷君なら知ってるかなって」
「あー、いや、あいつらは・・・。ごめん、俺にも分からない」
「そっか・・・。お礼、いつか言えるかな・・・?」
少し寂しそうに空を見上げる雪乃。つられて、直巳も空を見上げる。薄闇に暮れる空を見上げて、自称死神の2人を思い浮かべる。
(帰るって言ってたからな。もう、会えないんだろうな・・・)
そう思ったが、雪乃には言わなかった。折角希望を取り戻したのだ。寂しい気持ちを助長させるわけにはいかない。そう考えてのことだったが、直巳自身、また会えたら良いと思っていた。
2人が見上げる空は、変わりなく夜へと移行していった。
**********
あの世とこの世の狭間。死神たちが、日々働く建物の中。戻ってきたリクとカイは、試験不合格を言い渡されていた。
「何でだよ!!」
「当たり前だろうが」
ダークグレーのスーツに身を固めた男を前に、リクが怒鳴る。その手には、不合格の烙印が押された紙が握られている。冷徹とも取れる眼鏡の男に、リクは正面から抗議した。
「何で俺たちが不合格なんだよ!問題も無事解決したし、悪霊化した魂も回収したし、完璧だろ!?」
「確かに、悪霊化した魂の回収、そのノルマはクリアしたな。だが・・・」
怒りで鼻息が荒くなったリクに、男は冷たい視線を向ける。一瞬怯んだリクから、カイに視線を移す。冷静な顔をしてその視線を受け止めるカイ。だがその内心では、冷や汗が流れていた。そんなカイには何も言わず、再びリクに視線をやり、続きを言葉にした。
「だが、関係のない人間を傷付け、魂を『賽の河原』へと送ってしまったこと。その魂の器に別の魂を入れてしまったこと。抜け殻になった器を殺しそうになったこと。ああ、あと勝手に人間の体を治療したこと。それらを総合した上で、不合格とした。この判断に、何の問題が?」
「あー、それは・・・、あれだ。事故は起こるもんだ。正規の死神であっても。だから、むしろ問題を解決したことを評価するべきだろ?」
リクが必死で言い募るが、男は軽く溜息を吐いただけで、視界からリクを締め出してしまった。改めてカイを見て、男は言う。
「お前も同意見か?」
「そうですね。部長、俺たちは、俺たちの出来る限りのことはしました。そこは、考慮に入れて貰えないですか?」
「そうだ、カイの言う通りだ!」
「煩いぞ、リク。・・・カイ、死神の掟は、何故定められている?」
更に何か言おうとするリクを制して、カイに問う。冷たく細められた瞳に、カイは目を逸らしかかり、何とか踏みとどまった。今目を逸らせば、この抗議自体打ち切られかねない。そう直感したカイは、腹に力を溜める。部長と呼んだ男を真っ正面に見据え、答えた。
「神とは本来、生物とは関わらず、静かに見守ることが仕事である。しかし死神は、その役割故、生物と関わることを避けられない。そのため、厳格な掟を以て間違いが起こらないようにすることが重要である。・・・・と、習いました」
「ふむ、模範的回答だな。いや、教科書的、と言うべきか」
「何が言いたいんだよ?」
「リク、お前は上司に対する言葉遣いがなってないな」
「な、何だよ・・。減点する気か・・・・?」
びくびくと怯えながらも、言葉遣いを改めようとはしない。そんなリクに再び溜息を吐き、組んだ膝の上に指を乗せる。男がその格好をする時は、何か重要なことを言う時である。そう体に染みついている2人は、条件反射で背筋を伸ばした。気を付けしたリクとカイに、男は目を細める。
「死神は、死を司る。そして、それは次の生を担っているということでもある。我々が間違えば、次の生が狂う。言っている意味は分かるか?」
「はい!」
声を合わせて応える。男は、それに一つ頷きを返して、更に先を言う。
「つまり、失敗をフォローするのは、当たり前だと言うことだ。そもそも、失敗自体起こすべきではないがな」
「じゃあ何で俺たちが不合格なんだよ」
不満そうに言うリク。結果的には全て丸く収まった、と言いたいようだ。
「それが駄目なのだ」
「・・・何処が?」
「その考えが、だ。お前の言う通り、神たる我々も失敗する。しかしだからと言って、失敗をフォローすれば良いという考えであってはならない。あくまで失敗、間違いがないよう努める精神こそが大切なのだ。お前たちは、そこがまだ分かっていないらしいな」
「そんなこと・・・、ねぇよ」
一応反論するが、その勢いは弱い。リク自身、思い当たることがあったのだ。そして、それはカイも同じだった。揃って落ち込む見習いに、男は一枚の紙を見せた。
「・・・・だが、死神は常時人手不足だ。お前たちを再教育するのも手間であることだし、再試験を行う」
「・・!本当か!?」
「嘘を言ってどうする」
「やりぃ!!」
喜ぶリクに、男は愉しそうに笑みを向けた。そのサディスティックな笑みに、リクの笑顔が凍りつく。何か企んでいる顔の男に、タダでは済まない空気を感じた2人は、背筋を震わせた。
滅多に笑わないこの男の笑顔を見る者は、近い将来面倒な目に遭う。
それが死神たちに、密かに伝わる噂だった。そして、教師と教え子の関係である2人は、身を以てその噂を体験してきた。その経験が伝えている。これは碌な事にはならないぞ、と。
「但し、条件がある」
「・・じょ、条件・・・?」
「ああ。お前たちが殺しかかった、織谷直巳。こいつが、ちょっと厄介な事情を抱えていてな。お前たち、こいつの力になってやれ」
「厄介、とは?」
「追々分かる。俺が教えるよりも、自分たちで知った方が驚くだろうしな」
カイの問いに、さらりと答える男。2人が驚く様を思い浮かべたのか、意地の悪い笑みを漏らす。正に、「陰険眼鏡」という様子の男にリクとカイは嫌な予感が拭えなかった。しかし、このチャンスを逃すわけにはいかないと、己を鼓舞する。男の嫌がらせは慣れているのだ。
「で、条件って、それだけか?」
「ああ、そうだ。お前たちは、半年間、人間に混ざって織谷直巳を補佐しろ。まあ、半年もあれば織谷直巳も自分の力に慣れるだろうしな」
「ちょっと待て!俺たちが人間に混ざるのか?」
「そうだ。再試験は半年後。内容はその時伝える。以上だ」
「待て待て待て!!俺たち死神は、生物と必要以上に関わっちゃいけないんだろ!?なのに、人間と暮らせって、おかしいだろ!」
話は終わったとばかりに、わざとらしく書類を広げ始める男。そこへ、リクが食って掛る。さっきと言っていることが違う、とカイも男に視線を向ける。書類から2人へ目を向ける。2人と1人の視線がぶつかり合う。
「・・・・ちっ、煩い奴らだ」
「うるさくねぇよ!当然のことだろ!」
「煩い。いいか、織谷直巳は本来その能力を開花させないまま、死を迎えるはずだった。それが、お前らのせいで抑制力を失った。このままでは能力開花と同時に暴走し、最高に面倒なことになる。人間にとっても、死神にとってもな。防ぐためには、安定した状況での緩やかな開花が必要だ。お前らはそのために織谷直巳のそばに付き、補佐をする。その際、霊体より肉体を持っていた方が、いろいろと都合が良いだろう、という俺の判断だ。文句あるか?」
凄んで見せる男に、身を引きつつ、リクが口を開く。
「・・・能力って、何だよ?」
「だから、追々分かると言っているだろう。他に質問は?ないなら、とっとと出掛ける準備をしろ」
と、カイが手を上げた。男に無言で促され、カイは疑問を口にした。
「何故、我々なんですか?そんなに重要なことなら、もっと信頼できる優秀な者に任せるべきでは?」
「原因を作ったのは、お前らだ。それに、再試験までに、死神の在り方って奴を学ばせる目的もある。せいぜい励め」
今度こそ終わりにするつもりのようだ。紙面に落とした目が上がる様子はない。しばらくそんな男を見ていたが、2人は顔見合わせて肩を竦めた。
男の部屋を辞して、廊下を歩く2人。
「面倒なことになったな、やっぱり」
「しょうがない。やるしかないよ」
「・・・・だな」
呟くように同意して、2人は準備のために動き出した。
一段落しますが、話自体は続きます。
気長に次をお待ちください。