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「これは、数珠っていうのよ。御守りなの」
「おまもり?」
「そう。直君を護ってくれる、特別な御守りなのよ」
そう言って、綺麗な、紫色の数珠を付けてくれた。
「いつも付けててね。大切に、するのよ」
「うん!たいせつにするよ、おばあちゃん!」
それは、過ぎ去ったある日の光景。
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都会と言えど、夜が来れば闇が満ちる。そんな闇に紛れて、2つの影が舞い降りた。
そこは、高層ビルの屋上。普通なら降り立つことなどできない場所に、彼らは当然であるかのように立っている。
2人とも、全身を黒で固めているが、その雰囲気は正反対だった。
1人は、黒いコートの前を開け放ち、その下に着た黒いシャツも、首元のボタンを3つほど外している。右肩に掛けた紐には、柄,鍔,鞘の全てが黒い日本刀を括りつけている。
顔つきは未だ幼さが残っている。身長もあまり高くないこともあって、高校生、場合によっては中学生とも取れる外見をしていた。
真剣な表情を裏切るように、その金の瞳には愉しげな光が躍っている。
一方、もう1人は、着ている服こそ同じだが着崩したりせずに、きっちりと着込んでいる。しかし、ロングコートを締め付けるように、所々ベルトが巻かれている。そのうち、腰に巻かれたベルトには黒い銃が2つ、吊り下げられている。
背は隣に立つ彼よりは高く、スマートなシルエットをしていた。顔立ちは青年然としていて、整っている。
少なからず興奮している隣の彼と違い、冷静な目を眼下に走らせている。
「・・・!」
と、何かを見つけた小さい方の影が、何の躊躇いもなく宙へ躍り出た。続いて、残った影も宙へと体を出す。
本来なら、重力に従って落ちるだけの彼らは、ビルの側面を蹴って跳んだ。
まるで空を飛んでいるかのように、ビルからビルへ、屋上を伝って進んでいく。その速度は凄まじく、ビル街を抜け、人気のない住宅街へと入っていく。
そうしてしばらく進んだ2人は、揃って地面へ視線を移した。
その視線の先では、不気味な黒い塊が躍っていた。
止まりもせずに、2人は地面に飛び降りる。そして、有り得ない速度でそれに肉薄した小さな影が、一瞬で抜刀しその塊を斬る。更に、大きく反った塊に、弾丸が幾つも撃ち込まれる。
やや離れた場所で、両手に銃を構えた青年が立っていた。
2人の攻撃を受けて、塊がゆっくりと倒れて行く。しかし、地面に触れた瞬間、それが爆ぜた。
「っ!!」
油断していた彼は、日本刀を振って向かってきた欠片を叩き落とす。
「リクっ!油断するな!」
「分かってるよっ!!」
飛び散る欠片を精密なコントロールで撃ち落とす青年。怒鳴られた、日本刀を持つ彼、リクはバラバラになったのに未だ蠢く塊たちを踏みつけた。
更に散らばった欠片を、斬り伏せ、踏み潰しつつ、周囲に目を向ける。
少し遠くに、2回りも小さくなった黒い塊がある。それを見つけた瞬間、リクは駆けだしていた。
「リクっ!?」
「カイ、そこは任せた!」
声だけ残して疾駆し、塊に追いついたリクは、手にした日本刀を閃かせた。
真っ二つになった塊は、それでも逃げるように蠢く。
「往生際が、悪いんだよ!!」
リクが手近な一つを切り刻む間に、残った塊が大きく弾んだ。
周囲の塀や電信柱に当たり、その反動を利用して逃げて行く。動かなくなった塊を放置して、リクも後を追う。塊は、住宅街の先にある夜でも活気のある駅前通りを目指していた。
リクは、今まで以上の速さで駆ける。が・・・、
「うおっ!!?」
急に動きを止めた塊に足を取られ、空中で大きく体勢を崩す。
「・・っこの!」
慣性の法則に従って流れる体を捻って、地面にへばりつく塊に日本刀を突き刺した。
地面に縫いつけられた塊は、なお逃げようと動く。しかし、しっかりと刺さった日本刀はびくともしなかった。
それを見て、未だ空中に居るリクは笑った。
「ざまぁ見ろ・・!」
「リクっ!前!!」
「へ?」
***********
「明日・・、明日こそは・・・」
周囲が闇に閉ざされた住宅街へと続く入口に、一人の少年が立っている。
背は高くもなく、低くもない。電車で数駅離れた高校の制服に包まれた体は、成長途中で頼りない印象を受ける。顔立ちも、幼さを残している。学校指定の鞄を持つ右手には、紫色の数珠が付けられていた。
学校帰りの彼は、家へと帰る途中だった。
「よし・・!明日こそ、告白するぞ!」
星の少ない夜空を見上げて、握り拳をつくる。そして、住宅街へ入ろうと足を前に出した。
「・・・ん?」
ふと、少年が振り向く。夜の闇を寄せ付けない、明るい店が連なっている。きょろきょろと周囲を見回し、前に向き直る。
所々ある街灯以外は暗い道をしばらく見つめる。
「気のせいか・・・」
「・・・っ!・・!!」
前方で、何か声が聞こえた。
今度は気のせいではないと、目を凝らした少年に何かが衝突した。しかし、何が衝突したのか、少年には分からなかった。『それ』は全く見えなかったのだ。
見えなかったが、凄い勢いでぶつかって来たのだろう。
少年の細い体は突き飛ばされ、歩道を横断し、ガードレールに当たった。
少年の不幸は、そこで終わらなかったことだろう。
ガードレールに当たったのは、少年の腰から太ももの辺りだった。上半身の勢いは止まらず、そのままのスピードで車道へ飛び出してしまった。
(あ・・・)
少年が最後に見たのは、眩しい車の光だった。
**********
(ここ・・どこだ?)
目を覚ました少年が最初に見たのは、目の前に横たわる大きな水の流れだった。
ぼんやりと、それを眺めていた少年は、はっとして周囲を見渡した。
(ここはどこだ?!)
同じ疑問が頭の中を巡る。
彼の周囲は、おかしかった。目の前にあるのは、河であるのは疑いようもないが、周囲の光景が異常だったのだ。
河の周りには、角の取れた丸い石が敷き詰められている。それは河原なのだから、あってもいい。しかし、それが見渡す限りに広がっているのは、異常と言わざるを得ない。
そして、見える範囲もおかしい。ある一定の範囲から先が見えないのだ。
いや、見えないのではない。「ない」のだ。
数メートル先は闇に呑みこまれている。その割に、河だけは何処までも続いて見えている。
異常な光景だ。
少年は、再び呆然としてしまった。
「どこだよ、ここ・・・」
今度は声を出して言ってみるが、それで何か分かるはずもなく、変化のない景色を意味もなく見つめるしかなかった。
「・・あれ?・・」
(河の、水の音がしない・・?)
気付いた少年は、河に近寄って行った。彼が足を出すたびに、踏まれた石同士が擦れ合う。しかし、その音は何処か遠くから聞こえてくるようで、現実味がない。
覗き込んだ河は、透明だった。しかし、余程深いのか底が見えない。そして、流れる音がしない。湿気も感じない。
確かにそこにあるのに、石と一緒で現実感が全くない。
(何だよ、ここ・・!)
得体の知れない場所に、恐怖を覚えた少年は、不気味な河から身を引いた。
もう一度周囲に視線を走らせる。
(何でもいいっ。何でもいいから、なんかないのかよ!?)
焦りと恐怖が混ざって、呼吸が荒くなっていく。
やがて少年は、何かに突き動かされるように歩き出した。
河を左手にどんどん歩いて行く。早足で河を遡る。頭は絶えず動き、目は何か別のものを求めていた。
おかしなことに、数メートル先の闇には辿りつかず、ただ河原だけが続く。まるで果てがないようだ。
(・・!あれは・・華?)
どれくらい歩いただろうか。景色に大きな変化はなかったが、所々に赤い華が咲いていた。
少年は、そのうちの一つに近付いて、よく見てみた。
(これって、確か・・・彼岸花?だっけ)
群生するでもなく、本当に所々にしか咲いていないその華は、物悲しい雰囲気にさせる。
その華から目を離し、行こうとしていた方向を見る。
相変わらず、少し先は闇に閉ざされている。何も見通せない闇から、河の向こうへ目を向ける。
河幅は広くて、向こう側はよく見えない。それに、靄がかかったように不明瞭である。幾ら目を凝らしても、見えないものは見えなかった。
諦めて、再び歩き出す。今度は、ゆっくりと、だったが。
(一体ここは、どこなんだよ。何で俺はこんなところに居るんだ・・?)
思い出そうとするが、上手くいかないようだ。何度か頭を振って、思考を切り替えようとする。と、河原に変化があった。
河原の石が、積み重ねられたものがあったのだ。
「何だ、これ?」
しゃがみ込んで、石を一つ拾ってみる。ひんやりとした感触だけが、リアルだ。
石の山、だったのだろう。しかし今は、途中で崩れていた。明らかに、誰かに崩された跡がある。それは、彼以外に誰かが居る、あるいは居たという事実だった。
顔を上げて見回すが、やはり誰も見つからない。少年の口から、溜息が洩れる。
手にした石をしばらく見つめていたが、なんとなくといった風に山の上に置いた。
「何てやる気のない奴だ」
「!」
気が付いてから初めて、少年以外の声がした。
勢いよく顔を上げた彼の目の前に、一人の男が立っていた。
今までは確かに居なかったはずなのに、いつの間に来たのだろうか。そして、尊大な態度で彼を見下ろす男の頭には、小さいが確かに角が2本生えている。どう見ても、怪しい。
しかし、誰かに会えた嬉しさから、少年は疑問を全て脇にやってしまった。
「あ、あの・・」
「お前、初めて見る顔だな。新人か」
「え・・?えっと、あの・・」
「あ、それ前の奴が使ってた山だろ。駄目駄目。一から積まなきゃノーカンだからな」
少年が何か言う前に、男は残っていた山の残骸を足で崩して平らにしてしまった。
そして、少年の前にしゃがみ込む。
「積み方、分かんねぇんだろ?最近の奴らは、皆そうだからな。優しい俺様が教えてやるよ」
と言って、少年の返事も聞かずに手近の石を拾った。
「良いか、少年。石積みのポイントは、土台だ。土台がしっかりしてないと、その上が崩れやすくなっちまう。だから、土台に使う石は厳選するべきだ」
「あ、あの~・・?」
困惑する少年を置いて、男は滔々と石積みのコツを説明していく。
手慣れた様子で石を積む男を見て、少年はようやく冷静に考え始めていた。
(何だ、この人。・・・てか、何だこれ。角?・・・ヤバイ人?)
軽く引き気味の少年気付いたのか、男が目を上げた。
鋭い眼光が、恐ろしい。
「おい、聞いてんのかよ?」
「あ、あの!ここ、どこですか!?あなた、誰ですか?!」
少年は思い切って聞いたのに、男は呆れたような顔を見せた。次いで、やれやれ、と言った様子で頭を掻いた。
「・・・今更、その質問かよ。てか、その説明は俺らの仕事じゃねぇし。・・ったく、死神の奴ら、職務怠慢か?真面目な俺様を見習えってんだよ・・・」
ぶつぶつ悪態を吐いて、イライラと体を揺する様は、チンピラのようだった。
相手が怒っていることが分かって、男の言っていることを気にしている少年も声を掛けづらそうだった。
男は、一頻り悪態を吐いて、面倒くさそうに少年を見る。
「あー、じゃあ、説明からな。まず、此処は死後の世界・・・の、一歩手前だ。
此処は『賽の河原』って呼ばれてるところだ。此処に来た奴は、石を積む。最後までちゃんと積めたら、天国へ行ける。
で、俺は鬼。お前らが積んでる山を、適当に途中で崩すのが仕事。と言うことで、さっさと積め。崩してやるから」
「・・・・」
一息で説明して、鬼と名乗った男は少年に石を握らせた。しかし、言われた少年はあっけに取られていた。握らされた石に目を落として、再び鬼に目を向ける。
「何だよ?」
「・・・・俺って、死んだのか・・?」
「そうだって言ってんだろ。・・って、そこも説明されてねぇのかよ、ったく・・」
(死んだ?俺が・・?)
またしても悪態を吐き始めた男を無視して、少年は必死で思い出そうとしていた。死んでいないと思おうと、していた。
しかし、思い出したのは、最後の光景だった。
道路に投げ出された自分の目の前に、車のランプが迫っていた。そして、間を置かず受けた衝撃。痛む体と、遠くで騒ぐ人々の声。
彼は、確かに車に轢かれたのだ。
(嘘だろ・・・)
涙が溢れてくる。
思い出されるのは、今まで当たり前にあった日常。そして、好きだった人。
(明日、学校に行ったら、告白しようって・・そう、思ってたのに・・・)
後悔や取り返しのつかない気持ちが、胸を締め付ける。
嗚咽を堪えて泣く少年に気付いた鬼は、居心地悪そうに身じろぎした。手持無沙汰に頭を掻き、泣きやまない少年に目を向ける。
「・・あー、あれだ・・・、元気出せ?来世は良い事あるさ」
慣れない慰めの言葉を掛けるが、それで泣き止んだら苦労しない。
鬼が、止まない嗚咽に辟易していたら、遠くで何かが動いた。
「あん?」
「おー、居た居た!」
駆け寄って来たのは、リクだった。少し遅れて、カイも追いついてきた。
やたらと元気そうなリクに、鬼は眉を顰めた。
「ひょっとして、お前らか?死人に説明無しで、放置してたのは」
「すみません」
「死人に死んだことを認めさせるのは、お前らの仕事だろ?職務怠慢で上司に訴えるぞ」
「本当に、すみません。少々、事情がありまして・・」
小言を言う鬼に、カイが頭を下げる。その間に、リクが少年の前にしゃがみ込む。
少年が顔を上げるまで待って、口を開いた。
「お前、織谷直巳で合ってる?」
「・・・?・・そうだけど」
「お前、死んでないぜ」
「・・・・え・・?」
あっけらかんと言われたことを理解できず、ぽかんと口を開けている少年の腕を取って、立ち上がらせる。
「どういうことだ?」
顔を顰めたまま鬼が説明を求める。それに応じて、カイが口を開く。
「彼、事故には遭ったんですよ。でも、奇跡的に軽傷で済んだんです。でも、魂が勝手に出て行ってしまって・・。死んだと認識してしまったみたいですね。自力で『賽の河原』まで来てしまったんです」
「で、それに気付いたお前たちが、慌てて連れ戻しに来たってことか」
「はい。お騒がせしてすみません」
「本当にな。いい迷惑だぜ」
何度も頭を下げるカイに、鬼は追い払うように手を振った。
「あ~、良いよ、もう。さっさと、そいつ連れてってくれるか?仕事の邪魔だからな」
「ええ。それでは、失礼します」
リクとカイは、未だ呆然としている少年、織谷直巳の両腕を持って引きずって行く。
やがて、3人は闇に紛れて見えなくなった。
「・・・あーあ、なんか無駄に疲れた・・」
残された鬼も、肩の凝りを解す様に腕を回し、闇の中へと消えて行った。
*********
直巳の住む街の一角。そこに、3人は現れた。
「ということは、俺は生き返れるんだな!」
「てか、死んでねぇし」
ようやく理解した直巳は、破顔した。一度死んだと思ったところで、生き返れると知ったのだ。嬉しさも一入なのだろう。
「しかも、怪我が軽いってことは、すぐに学校行けるようになるよな!?」
「あー、それなんだが・・」
「良かった。本当に良かった・・!」
「・・・・・」
一人喜ぶ直巳に、苦い顔を向ける2人。それに気付かず、直巳は喜び続けた。
「俺さ、好きな子が居るんだ。体に戻ったら、即行告白する!」
「・・・・どうする、リク?」
「どうするって、はっきり言うしかないだろ。・・おい、織谷直巳!」
「何?」
「お前は、告白できない。どころか、このままだと今度こそ本当に、死ぬ」
風もないのに、リクとカイの黒衣が、不気味に揺らいだ。